柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

声なき声

2006-08-07 08:39:17 | Weblog
王さん、再入院だそうです。さて何でしょうか。内視鏡手術(開腹せずに管を何本か突っ込んでの手術です)ならではの不手際でしょうか。例えば縫合不全(実際に縫うのかどうかは知りませんが、つなぎ変えた部位の不都合)とか繋いだ部分の狭窄(通り道が狭くなること)が考えられるところです。あの教授も名誉と沽券を賭けた執刀だったでしょうから気が気じゃないでしょうね。手術の失敗であった日には医者の生命が断たれます。715号を打たれたヤクルトの鈴木のように、王の手術を失敗した何々元教授なんて肩書きがつきますから。大変ですなぁ。
 例の富田メモ事件は、あの発言が本当に昭和天皇のものであったかどうかという論争に移っているようです、週刊誌や月刊誌を読むに。そんな問題じゃないでしょうにね、側近に漏らした言葉は天皇陛下の公的な発言ではないのです。根っこの所の議論が避けられている感(観)です。おかしいですねぇ。
 田中康夫とうとう落ちましたねぇ。改革やら変化とやらは結局飽きられる運命です。人は安定も同時に欲するものなのです。もちろん、田中氏が妙な安定を望まなかった、長期政権を望まなかったと言えばそれまでのことですが、議会と敵対することを改革と思い違いしていたのでしょうか、敢えて中庸を採らぬことこそが改革と信じていたのでしょうか、となればよくぞ6年間も同じ調子を続けられたものと感心します。新しいポジションであれこれ変えられるのはせいぜい1、2年のことです、その後はそれなりに慣れて(馴れて)きて、「様子見」のいわゆる安定期に入るものでしょう。ずっと喧嘩し続ける方が難しいこと、余程に役人嫌いか、偏執気質か。とまれ、二者択一であったとはいえ、長野県民はありきたりの、旧態依然の役人を選びました。ともかくも「安定」を選びました。田中康夫が変われなかったのでしょうし、社会大衆を読み間違えたのでしょう。だから選挙は必要なんでしょうね、こういう理に適った結果が出ると silent majority の力、意識を感じます。いかがですか。
コメント
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