柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

要らぬ世話

2006-08-31 08:40:33 | Weblog
2016年オリンピックの国内候補地に東京が決まって、何だか大騒ぎです。何年か前に大阪が立候補して大負けしたのは記憶に新しいですが、あの時はこんなに候補地がどうこうなかったですよね、なんか大阪だけが勝手にやっている感じ、日本中(東京は、国は、マスコミは)知らん顔で。今回は何故?福岡の参戦、石原慎太郎の知名度?北京の次の次です、開催国としてアジアが続くことは考えにくいという論が妥当なところですか、では何故招致するのか?10年先は当の都知事、生きているかどうかの問題です、さてさてその目的やいかに。中国新聞は社説で、東京ばかりに集中するな、なんて情けない遠吠え載せています。朝日の天声人語はよくわからない文章です、昭和39年(どうしてこう書かないのでしょうかねマスコミの言葉狩りにはまことに呆れます)の東京五輪は「敗戦から再生して世界の舞台に復帰する証しのようだった」が「東京は激変した」、「前の五輪の功罪を見つめることが肝要だ」だから「あの時代の「改造パニック」そのものを省みる必要がある」と言いながら、福岡は独自の魅力的な都市の肖像を備えていると持ち上げます。福岡が改造されるのは良いというのでしょう。東京の二の舞、長野の二の舞じゃありませんか。大金掛けて、競技場やら道路やら宿泊施設やらをどんどん創って、祭りの後には大借金。朝日が言うような上っ面で考えても、今の東京ほどの交通機関の利便や競技場などのインフラを揃えようと思えば、どれだけの破壊を(山を崩し、川を埋め、田園を道路が突っ切る)伴なうのでしょう。判官贔屓は判官贔屓でいいですけれど、理屈が無茶です。無駄なくやるにはやはり東京です。長野の祭りの後の四苦八苦をご覧なさいな。もっとも、五輪を招致する意義が本当にあるのかどうかは別次元の判断です、大無駄遣いには違いないでしょう。公共事業による景気回復という、大昔からの行政手法には違いないのでしょうから。
 徳山工専の事件。この事件に限らない事ですが、校長の談話(今回は学校での事件ですから、一応順当な手続きですが)は毎回大仰です。被害者の志を酌むとやら、何やらを背負うとやら、大仰です。本点をわざと外して誤魔化しているのでしょう、いやご本人にはそういう意図がありやなしや、どうせ教育委員会辺りからお達しが出ていましょう、こうこうこう言いなさい、要らん事は言わないこと、とか。つまりマスコミ向け、自分の保身のための言辞でしょう。生徒には響かないです、こんな言葉では。生徒は生徒でちゃんと理解もしているし、相応に考え対応していましょう。特に女生徒は大人ですから、周りがああのこうの言うだけずれていきます。動揺しなさんな、あなた方にはあなた方の日常が続いているのだ、と言ってやればいいことです。そして、要らん世話の最たるものは「心のケア」です。何をしようというんでしょうねぇ。臨床心理士なんてこれまた仰々しい連中が乗り出してくるんですが、どうせマニュアルに沿ってああのこうの聞いたり話したりするだけでしょう。人の心なんて、周りからどうこうできはしないのです。皆、自分の経験から十分わかっているのに、専門家(何とか士達)なら何とかできるだろう、そういう手当をしておけばこれはこれで解決、なんて安易な流れに違いないのです。心の専門家なんていません。自分より経験のない、常識のない、端的に劣った専門家なんて世の中にざらにいますよ。そんな専門家様に何を聞きたいですか?しかも相手は子供です、専門家様の言葉を信じてしまうでしょう、教科書に書いてある通りしか喋れない奴に当たった日には、これ宗教の勧誘と大差のないことになります。あなたはこういうふうに傷ついているに違いない!なんてね。馬鹿馬鹿しい。高校生くらいの歳の子には事実をありのままに隠さず教えて、あとは放って置けばいいんです。自分で考えさせ自分で解決させればいいんです。心のケアが必要な人はもっと他にゴロゴロいますがねぇ、専門家の方々。

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