柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

反攻

2006-08-06 08:41:19 | Weblog
横浜もどうしてあんなにお人好しなんでしょうね。相手の4番に打ってくださいというばかり。だから明徳が松井にやったように全打席歩かせればいいんですよ。それじゃぁ面白くないですか?いいや、十分面白いですよ。巨人ファンが大事か、アンチを優先するか。今や後者だろうと思うんですがね。決まり文句のようにアホ解説者がつぶやく「巨人が強くなければ・・」も実は自分たちの業界の強迫観念に過ぎないんです、自分たちが巨人のユニフォームに憧れていたという憾み。でもアンチ連中も(私を含めて)も実は巨人ファンなのですよ、ただひねくれてねじくれているだけで。巨人が勝てば巨人ファンが、巨人が負ければアンチが喜ぶ。ううむ、アンチが増えれば増えるほどにやはり未だに野球の中心は巨人なのだ思い知らされる皮肉ですか。
 小泉さん松下村塾見に来たと話題です。翌日(今日)の広島での用事のついでという体です。このくそ暑いときにわざわざ真昼間に回らずともいいこと、明らかに安倍さんの選挙応援です。TVに映る首相の後ろには河村、福田、岸と国会議員が並びます。知事も相好を崩しています「郷土六人目の首相誕生に向けて!」なんて言いながら。ふうむご苦労なことですが、彼らはこれが仕事。県会議員さん達はTVに映るのを控えたのでしょう、国会議員の後ろにずらりと居並んでいたのでしょうね。こういう場にいるいないが評価に繋がるというわけです、仕方ありません、人は誰もそういう心向きで生きているのですから。あいつはおった、あいつは来んかった、です。どの業界でもあることです。せんない(面倒)ですが、仕方ありません。その世界で生きているなら従うまでです。嫌ならおのれがトップに立って変えるしかありません。でもその駆け上がる間は従うしかありません。そういう仕組みです。笑うは簡単ですが、あなたの所もそうでしょう?
 靖国関連でどんどん出てきます。中国新聞に、戦中東条英機首相が靖国神社に祀る者の選定基準を自ら提示していたという記事です。戦死者に限る、としたもののようです。つまり自ら除外した事例である本人が祀られているという皮肉矛盾を嗤う記事論調です。東条本人は合祀を望んでいなかったであろうという推測、勝手に宮司が祀ったのだという誘導、そしてそれを昭和天皇は許しておられなかったというメモスクープに繋がる一連の流れ。戦中の首相としての通達は、靖国をより純化することによって一介の国民の戦死を純化する、つまり総動員(しなければならない窮地)を正当化する一翼を担う政策だったのでしょう。自分もここに祀られようとかそんなことを考えての通達ではなかったでしょうに。あの時代に戦時の首相が保身助命を言うはずもないこと、自殺未遂を指してあれは狂言であんなことでは死なないことを見越しての演技だったという評価もありますが、そんな心根で首相が張れたのでしょうか。腹かっさばいて自裁した多くの軍人とおなじ心であったのではないですかね。昭和天皇のメモには松岡、白鳥(取)とあるだけだのに、その「不快感」がA級戦犯全体に及ぶような解釈する恣意と合わせて、時代背景や当時の切迫した空気を無視しての浅薄な評価で、結果として靖国問題を煽り続ける意図はいずこに?明らかですよね。小泉さん、是非8/15に参ってくれ!そして安倍さん、あなたも来年から堂々と8/15に総理大臣と記帳して参ってくれ。さすればこの問題は消し飛んでいくのだ。戦後60年、いよいよ反日勢力への反攻である。
コメント
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