拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「春」は「ミュージック・エコー」で聴きました(交響曲第6番「田舎」?)

2020-04-12 16:32:06 | 音楽
外出もせず、家飲みもせずと生活スタイルが大きく変わったからというわけではないが、久しぶりに日曜の朝、NHKのラジオのAM放送で「音楽の泉」を聴いた。iPadに入れたNHKのラジオアプリで聴くあたりはなんだかんだ文句を垂れても私はNHKっこである。因みに、NHKの語学アプリっていうのも入れてあってこれも最近活躍中である。で、今日の「音楽の泉」はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの5番(春)と1番。「春」を聴きたくて聴いたということもある(最近練習しているので)。ベートーヴェンの「春」を最初に聴いたのは、(さあさあここから昔話の始まり始まり)中学のとき、学校の音楽の先生を通じて定期購読していた月刊誌「ミュージック・エコー」の付録の17センチのLPでである。この雑誌は、音楽の先生が、付録のレコードの演奏家は日本を代表する演奏家ばかりで絶対いい、と太鼓判を押すからとりはじめた(小学校のとき、同じく生徒が学校を通じてとっていたのは「学習」と「化学」で、私は「化学」をとっていた)。その「ミュージック・エコー」の付録の一つが「春」だったのである。ヴァイオリンは和波孝禧だったから、宣伝に偽りはなし、たしかに素晴らしい演奏だったが、正直にいうと、ピアノ伴奏のリズムが子供ごころに腑に落ちないところがあった。それが解消して腑に落ちたのは後にグリュミオーとハスキルの組合せのレコードを買って聴いたときである。いったん話がそれるが(すぐ戻ってくる)、子供の頃、ゲゲゲの鬼太郎でおなじみの水木しげるが書いたベートーヴェンの伝記漫画を読んだ覚えがある。師匠のハイドンがベートーヴェンを褒めたうえで、これからは君の作品に師匠の私の名前を併記しようと言ったのに対して、ベートーヴェンが「あの先生に教わったことは何もないよ」と独りごちるシーンが印象的だった。その漫画を最近ネットで探し出して再読した。件のシーンがたしかにあって感無量だった。その他ベートーヴェンの髪の毛を一本一本書いてるところが水木しげるらしいと思った。さらに今回分かったことがある。いったい水木しげるが書くベートーヴェンの伝記漫画などを何で読んだのか、ということだ。解説に書いてあった。「ミュージック・エコー」だと言うのだ。そっかー、だから読んだことがあったんだ。ところで、ベートーヴェンの「春」という表題は作曲者が付けたものではなく、後世の人の命名だということで、「音楽の泉」の解説者は素晴らしいネーミングであると絶賛していた。ふむ。たしかに明るい曲だから「悲愴」はおかしい。かと言って、がーって曲でもないから「英雄」もそぐわない。「田園」はアリなんじゃない?交響曲にも「田園」があるけど、ピアノソナタにだってあるし。さすがに同名で三曲は多い?じゃあ、こっちを「田園」にして交響曲第6番は「田舎」にするとか。だって、第1楽章は「田舎に着いたときの気持ち」だし。でも、日本語にしたときどうかね。交響曲第6番「いなか」って言ったら笑っちゃうかも。「いなか」って言ったらおんぼろバスだもんね。

「飲まなければご褒美をあげる、と言われたんでしょ」(そういうことにしとこっか)

2020-04-12 09:34:51 | 
外国は日本のコロナ対策が生ぬるいと批判しているらしいが国民性が違う。よくも悪くも「お上(おかみ)の言うこと」をよく聞く国民である。だから、フランス人が罰則をもって外に出るなと言われても在宅疲れでどっと街に繰り出しているのに対し、日本人は「要請」でも多くの人が守ってる(フランスは民衆の力で民主主義を勝ち取った国であるのに対し、日本に民主主義をもたらしたのは進駐軍である)。とか言ってるうちに、東京都の感染者数の増加が半端でなくなってきた。大層心配である。で、私はどうかと言うと、昨日も書いたが、お上がどうのこうの以前に足が痛くて外出ができない。食べるパンがなくなったのでお菓子を食べてしのいでいる状態である(大げさに言ってますが、昨日の昼だけの話。それにしてもガトーショコラは美味しい)。それにしても、通風の発作が起きるにしてもなぜ今なのだ。1か月前なら分かる。それまでざるのように飲んでいたから。今は家では飲んでない。これまで私の生きがいは晩酌だった。夜、ご飯を後は火を通すところまで作ってから入浴。湯上がりに火をかけて完成したら夢の晩酌タイム。350缶をくいっとやった後は赤ワイン。これがエンドレスで気づいたら翌朝。歯磨きも忘れるくらいだから夜に洗い物などするはずがない。♪これで体にいいことないよ、分かっちゃいるけどやめられない……の世界であった。それが今はどうだ。ささっとご飯を作って夕飯を早々に済ませる。お供はノンアルコールビールである。歯を磨いてそそくさと洗い物をして、それからぬるいお風呂にゆっくりつかり、出たらラジオを聞いたりして早々にご就寝。まるで聖人君子である(私が聖人君子になったのは生涯初である)。おかげで体調もすこぶる良好……と思っていた。そこに今回の通風である。少し前は耳鳴りもしていた。変な夢も見る。思えば、聖人君子になる前、一日のすべてを終えて料理とお酒の乗ったテーブルにつくたびに「あー、これがあるから私は生きているんだよなー」と独りごちていた。その生きがいを自ら葬り去ったわけだが果たして正しい選択だったのだろうか。どっかに無理がたまっていて、それが今回の通風の発作になって現れたのであろうか。などと疑心暗鬼になっているこの数日である。いや、別にお酒をやめたわけではない。外でみんなと一緒のときは(記憶をなくさない程度に)飲むからね。今、それができるご時世ではないが、ほとぼりが冷めたら誘ってちょうだいね!そうそう、私など及びもしない妄想でいつも楽しませてくれるA姐さんが私の聖人君子ぶりをどう言ってるかと言うと、「飲まなければご褒美をあげる、と言われたんでしょ」だって!とどまるところを知らない、そしていつも私の想像の上をいく姐さんの妄想であるが、しかしここまで来ると「故意」である。つまり、姐さんも実情をお分かりでありながら、あえて「設定」を変えずに、砂上の妄想を築かれているのに違いない。だったら私もそれに乗ろっかな。フィクションで言ってるうちに「ひょうたんからこま」ってこともあるかも知れない。