拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

「お前は自分が誰の子だかまだ知らない」

2020-04-20 11:21:19 | 音楽

写真の紅顔の美少年は13歳のベートーヴェンである(写真はWikiから拝借した)。ミサソレの通唱会を主宰しているから、私がベートーヴェン・ファンだと言っても誰も驚かないだろうが、私自身は、そう称することは、放蕩息子が放蕩の末、家に戻ってきたはいいが、恥ずかしくて中に入れないような忸怩たる思いがある。10代の私は、好きな作曲家は?と聞かれれば迷わずベートーヴェンと答えていた。が、その後、多くの誘惑に乗り(誘惑に簡単に乗ってしまうのが私である)、あれも好き、これも好き、まるで和洋中のビュッフェで動けなくなるまで食べ尽くす感じ、そんななか、一番好きだったはずのベートーヴェンはほとんど聞かなくなっていた。だが、ここにきて、猛烈にベートーヴェン熱が蘇ってきた。ヴェーヌスベルクで酒池肉林にいたタンホイザーがエリーザベトを思い出したごとくである。ミサソレの通唱会を2回やったりヴァイオリン・ソナタを練習していることがきっかけであることは間違いない。因みに、家で酒を飲まずにベートーヴェンと楽器に夢中になっている私はまるで10代に戻ったようである。そんなときに世の中を覆った「Stay home」の風潮。そこで思いついた。うちにはベートーヴェンが作曲したほぼ全部の曲の録音がある。それをイチから聴いていこう。ということで、早速、作品1(Opus1)の三つのピアノ三重奏曲を聴く。おお、いい!かりにベートーヴェンがあまり有名ではない(有名な曲が有名すぎる)この三曲しか残さなかったとしても、音楽史にその名を燦然と残したことだろう。力強さの中に、チコちゃんが「ねえねえオカムラー」とすり寄っていくのと似た感じの人なつっこさがある(私はこれが大好き)。まてよ、「歌いまくる会」ではバッハのカンタータを年代順に歌っている。どうせベートーヴェンを全部聴くならこっちも年代順にしよう。となると、作品番号(Opus番号)が付いてない曲(今では、WoO番号やHess番号が付けられている)をどうしよう。例えば、「エリーゼのために」にはOpus番号は付いてない(WoO番号が付いている)。そうした名曲だってたくさんある。よし!WoO番号やHess番号も含めよう。リストを用意して早速開始。仕切り直しの第1曲(ホントのホントの第1曲)は、ベートーヴェンが12歳(誕生日前なら11歳)のときに書いた「ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲」。すごい。モーツァルトは天才でベートーヴェンは努力の人のように言う人がいるが、12歳でこんな曲を書くベートーヴェンは間違いなく天才である。ドレスラーという音楽家は、そのメロディーを使ってベートーヴェン少年が曲を書いたということで現在まで名を残している。続いて、13歳(12歳)のときの作品群。まず三曲の「選帝侯ソナタ」。後年の曲に比べると終わりがあっさりしているが、十分に「ベートーヴェン」である。同じ年に書いたオルガンによるフーガはある意味大変な聞き物。ベートーヴェンはこの頃、ネーフェという先生についてオルガンをよく弾いていた。バッハの作品もよく弾いていたという。そうやって身についたフーガの技法が、晩年、大フーガやハンマークラヴィーア・ソナタで爆発する、この小品はその萌芽と思うと感慨深い。そして二つの歌曲である。その一つ「みどりごに」の歌詞の出だしは「Noch weißt du nicht,wes Kind du bist」(お前は自分が誰の子だかまだ知らない)。えーっ?「お前はお父さんの子じゃないんだよ」なんてこと子供に言っていいの?それより13歳(12歳)のベートーヴェン少年がよくこんな詩を選び、理解して曲を付けたものだ、ルートヴィヒ少年はそちらの方も早熟だったのか、とあんぐり開いた私の口がそっと閉まったのは数秒後に歌詞の続き「何年もせずに、私がお前の母だということが分かります」を聴いたとき。すみません、下司の勘ぐりとはこのこと。まったくもー、私の頭ってどんだけそっち系のことで埋め尽くされてることだか。やはり10代の頃に戻ってはいなかった。ヴェーヌスベルクでしみついた煩悩の層は厚い。因みに、アップした写真に今回のタイトルだと、写真の子が不義の子のようであるが、そういうことでないことはご案内の通りである。