写真①:「宮地嶽神社」門前町に大正7年に建てられた木造3階の旅館・「大阪屋」
=福津市宮司3丁目14―11で、2011年7月13日撮影
〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 50
:「宮地嶽神社」門前町の3階建て旅館
私が所属している福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が8月27日、同市宮司3丁目の旅館「大阪屋」=写真①=で第2回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」(受講無料)を開催しました。「宮地嶽神社」の門前町の一角、同神社バス停そばに大正7年(1918年)に建てられた福岡県内でも珍しい木造3階の同旅館を見学、経営者の川道孝さん(64)から旅館の歴史や建物の維持・管理などについてお聞きし、予約注文でないと食べられない名物の「松ケ枝餅」や「よもぎ餅」(いずれも1個百5円)を味わいながら懇談するためでした。
旧津屋崎町(現福津市)が平成11年に発行した『津屋崎町史 通史編』では、「大阪屋」について「木造三階建ての旅館『大阪屋』が大正七年の建立と伝えられ、宮地嶽神社の門前町にあるのは、当町内の特色の一つであろう」と記述。門前町にあった宿は多いときで25軒、うち4軒は木造3階建てで、月参りや正月、旧正月には常連客が宿泊し、見番も2軒あり、芸者、酌婦もいました。明治41年に津屋崎馬車鉄道が福間駅間に開通、大正14年に博多湾鉄道の宮地岳線が開業し、参拝客が増えましたとしています。
この「4軒は木造3階建て」だったという宿のうち、「大阪屋」以外の3軒はどこか、というのが、第2回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」での懇談で話題になりました。福岡県立図書館所蔵の絵葉書「宮地嶽神社参道(筑前名所)」に掲載された大正8年ごろ撮影のモノクロ写真には、県道502号線の同神社前交差点から東の門前町商店街に入った左手(北側)に、3階建ての旅館「櫻(桜)屋」が写っています=写真②=。現在、建物はなく、跡地は駐車場=写真③=になっています。
写真②:石の鳥居の左手に建っていた3階建ての旅館「櫻屋」
=福岡県立図書館所蔵の絵葉書「宮地嶽神社参道(筑前名所)」のモノクロ写真(大正8年ごろ撮影)から
写真③:駐車場になっている3階建て旅館「櫻屋」の跡地(石の鳥居の左側)
=福津市宮司元町1丁目で、10月8日撮影
もう1軒の3階建て旅館だったのは、4軒斜め向かいの「島屋」=写真④=だと10月8日、分りました。経営者の阿部司さん(60)によると、2階建ての建物に小ぶりの3階を造って営業していたという。
写真④:門前町商店街中央の南側にある「島屋」
=福津市宮司元町1丁目-10で、10月8日撮影
残る3階建て旅館1軒は、どこなのか。『津屋崎町史 通史編』に掲載されている極彩色の「宮司門前町図絵」(明治31年発行の『参詣案内宮地みやげ』より)には、旅館「櫻屋」の3軒東(「宮地嶽神社)寄り)にも3階建ての建物が描かれています。今はない旅館のようですが、津屋崎町史民俗調査報告書『津屋崎の民俗(第一集)』(旧津屋崎町発行)に掲載されている「昭和初期の宮司門前町の家並み図」によると、「泉屋」という建物の位置にあったようです。現在、ここには2階建ての「泉屋食堂」の建物がありますが、店舗はシャッターが下りて休業中という。
「大阪屋」と「島屋」の位置図