吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2009年11月16日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉091

2009-11-16 13:18:39 | 行楽催事
写真①:2006年に「萬松山新泉岳寺」で営まれた「津屋崎義士祭」法要
     =福津市津屋崎天神町で、06年12月14日午前11時30分撮影

津屋崎で「義士祭」2年ぶり復活へ
12月14日午前11時~
――天神町の「新泉岳寺」

 福津市津屋崎天神町の「萬(万)松山新泉岳寺」で毎年12月14日に行われていた「津屋崎義士祭」=写真①=が、07年から2年続いて中止になっていましたが、今年は「四十七士義士祭」として復活することになりました。

 「四十七士をしのぶ有志の会」が主催するもので、チラシ=写真②=によると、12月14日(月)午前11時から「新泉岳寺」で式典のあと、そば御接待が午後3時まで行われる予定。問い合わせ先は、福津市観光協会(℡0940-42-9988)。

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写真②:「四十七士義士祭」のチラシ
     =福津市中央3の「ボランティアハウスふくま』で、09年11月16日午前11時35分撮影

 「新泉岳寺」は、津屋崎の実業家児玉恒次郎氏が大正2年(1913年)に建立した赤穂四十七士の墓。以前の「津屋崎義士祭」は、地元の郷土史家らで組織した〈四十七士をしのぶ会〉(古野卯平会長)が昭和50年(1975年)から主催し、同60年(1985年)に会員の高齢化や「地域の人たちへの義士の心の理解も深まった」として会を解散、翌61年からの法要は児玉家に引き継がれました。

 毎年12月14日の討ち入りの日に、児玉氏の親族などの手で法要が行われ、墓参者に義士が食べたという〝討ち入りそば〟が振る舞われ=写真③=、2006年は、約70人が参列、赤穂浪士の義挙を偲びました。ところが、07年からは児玉氏の親族夫婦が病気や体調不良のため、中止されていました。

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写真③:赤穂四十七士の墓参者に振る舞われる〝討ち入りそば〟
     =「新泉岳寺」で、06年12月14日午後0時10分撮影
コメント
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