goo blog サービス終了のお知らせ 

吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2010年6月28日/〈大阪・町歩き〉004・「四天王寺」の③

2010-06-28 15:13:28 | 大阪・町歩き
写真①:朱塗りの「極楽門」
     =大阪市天王寺区四天王寺1で、2010年6月3日午前11時35分撮影

〈大阪・町歩きスポット〉 1 

:「四天王寺」の③ 極楽門と転法輪

 太子の「引導鐘」を三打撞き、「引導石」を拝んで歩を進ませると、正面に朱塗りの「極楽門」=写真①=が見えてきました。いよいよ極楽の門を潜るのです。

 門を潜り、ふと内柱を眺めて、異なものがあるのに気付き、目をパチクリ。「転法輪(てんぽうりん)」と書かれた表示板と、その上下に車のハンドルのような「転法輪」=写真②=が一つずつ設置されていました。

 〈法輪とは、お釈迦様の教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもので、仏教の象徴です。合掌し、「自浄其意(じじょうごい」(心が清浄=しょうじょう=になりますように)と唱えて軽く右にお回し下さい〉と説明されています。

">
写真②:合掌して軽く右に回すと心が清浄になるとされる「転法輪」
     =「四天王寺」で、6月3日午前11時40分撮影

 さっそく合掌し、「自浄其意」と唱えて「転法輪」を軽く右に回してみました。「四天王寺」って、「引導鐘」といい、「引導石」、「転法輪」といい、極楽へ導く法具がいろいろ備わっているのが面白いですね。

 「極楽門」にあるお香をいただいて身を清め、さらに歩くと、向こうに「仁王門」が見えてきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月25日/〈大阪・町歩き〉002・「四天王寺」の②

2010-06-25 10:19:02 | 大阪・町歩き
写真①:玉砂利の中に安置された「聖徳太子影向引導石」
      =大阪市天王寺区四天王寺1の「四天王寺」で、2010年6月3日午前11時35分撮影

〈大阪・町歩きスポット〉 1 

:「四天王寺」の② 引導石

 昔から極楽への入口と信じられていた西門の石の鳥居を潜ると、すぐ右側の玉垣の中に「聖徳太子影向引導石(ようごういんどうせき)」=写真①=が鎮座しています。

 そばに建てられた「聖徳太子影向引導石御縁起」の解説板=写真②=によると、転法輪石、伊勢神宮遥拝石、熊野権現礼拝石とともに聖徳太子ゆかりの霊石・「四天王寺四石(しせき)」の一つ。


">
写真②:「聖徳太子影向引導石御縁起」の解説板
     =「四天王寺」で、6月3日午前11時35分撮影


 解説板では、葬送の時、柩をしばらく鳥居の前に置き、太子の引導鐘=写真③=を三打撞けば、太子自らこの引導石の上に影向(神仏の来臨)され、浄土に導かれると伝えられています、としている。

">
写真③:「聖徳太子影向引導石御縁起」の解説板そばにある太子の引導鐘
     =「四天王寺」で、6月3日午後0時10分撮影

 さらに、同解説板では、引導とは釈尊が「勝者必滅、会者定離」という人生無常の迷いの世界より、人々を究極の悟りの世界へ導かれたことに始まり、その引導の教えは四天王寺西門より始まった彼岸信仰と彼岸中日に夕陽を拝する日想観(四天王寺の西門で西の海に沈む夕陽を拝して、西方極楽浄土を観想する修行)によって興隆した浄土信仰の中に結実し、臨終に際して諸仏諸菩薩が極楽浄土にお導き下さるとの信仰を生んだのであり、聖徳太子信仰と西門信仰を結ぶ重要な霊跡となっている、と説明。四天王寺引導石は、太子信仰と西門信仰を結ぶ重要な宝跡となっているという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年6月22日/〈大阪・町歩き〉001・「四天王寺」の①

2010-06-22 10:25:50 | 大阪・町歩き
写真①:和宗総本山・「四天王寺」の石の鳥居
     =大阪市天王寺区四天王寺1で、2010年6月3日午前11時35分撮影

 きょう6月22日から、〈大阪・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。大阪府内の親族の葬儀に参列した翌日の6月3日午前、大阪市天王寺区四天王寺1にある「四天王寺」=写真①=を訪ねたリポートです。聖徳太子が、飛鳥時代の推古元年(593年)に建立したという「和宗総本山」を一度参拝したいと思って立ち寄りました。

〈大阪・町歩きスポット〉 1 

:「四天王寺」の① 石の鳥居 

 「和宗総本山」の和宗とは、聖徳太子十七条憲法の第一条にある「和を以って貴しとなす」の「和」にちなむ宗派名です。四天王寺は、戦前まで天台宗でしたが、太子創建の寺であるとして昭和24年に天台宗から独立し、和宗を創立。その総本山として、 仏法興隆と太子精神の高揚を本願とする寺となっています。

 JR「天王寺駅」から乗ったタクシーから「四天王寺」の入口だと言われた谷町筋で下車、同寺の西門に立ち、まず石の鳥居を潜ろうと近づきました。すると、鳥居の右の柱の前に「大日本佛(仏)法最初四天王寺」と刻印された石柱が建っているのが目に留まりました。

 この鳥居は、「安芸の宮島・朱塗りの木の鳥居」、「吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)・銅(かね)の鳥居」と並ぶ日本三鳥居の一つです。もとは木造でしたが、太子を深く信仰し、四天王寺別当に任命された真言律宗の僧・忍性(にんしょう)が、鎌倉時代後期の永仁2年(1294年)に石造りに改めたもので、日本最古の石造りの大鳥居とされる重要文化財。でも、寺なのに鳥居があるうえ、その石造りの扁額=写真②=に書かれた4行書きの文字を見上げて、思わず「?」。

 「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」、つまり「お釈迦様が説法される所で、極楽浄土の東門の中心である」と書かれており、扁額はチリトリのように衆生の全ての願いをすくい取る阿弥陀如来の本願を現わして箕の形をしているのだとか。また、鳥居はもともと聖地結界の四門としてインドで建てられ、神社だけに建てるものではないという。

">
写真②:「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれた扁額
     =「四天王寺」・石の鳥居で、6月3日午前11時35分撮影
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする