とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2015北海道ジャーニー・マラニック続編:4日目昭和新山&ポロトコタン編

2015-05-08 17:14:35 | 観光
森町から洞爺湖経由で昭和新山の麓まで来た。天気が崩れだし、今にも雨が降り出しそうな雲行きになっていた。

14:10。昭和新山に到着する。


昭和新山は、昭和18年に突然地震と共に始まり、麦畑が隆起して出来た火山だ。現在も噴気活動が見られるが、温度低下と浸食などによって年々縮んでいるそうだ。しかも、火山そのものを個人が所有するということで世界的に稀な火山である。


これは当時、壮瞥町で郵便局長をしていた三松正夫の像だ。彼は、この噴火活動を、寝食を忘れ記録し続けた。その後、火山の保護と家や農場を失った住民の生活の支援のために私財をなげうってこの土地を買い取ったという。下の台座には「麦圃生山」(麦畑、山を生ず)との文字が刻まれている。


昭和新山の反対側には、有珠山があり、ロープウェイで上ると昭和新山を見下ろすことが出来る。有珠山は、平成12年にも噴火があり、今なお活動を続ける活火山だ。こちらも時間があれば、ゆっくり見学したいところだったが、時間がないのでそのまま次の場所に移動する。


15:39。白老のアイヌ民族博物館「ポロトコタン」に着く。ポロトコタンとは、アイヌ語で「大きい・湖・集落」の意味だという。この巨大な像は、コタンコロクル(村長)だ。


コタンコロクルの前で記念撮影。


檻の中には、大きなヒグマが…。やはり山の中では会いたくない動物だ。


敷地内には、サウンチセ(手前の家)、オトゥタヌチセ(次の家)、ポロチセ(大きい家)マクンチセ(奥の家)、ポンチセ(小さい家)と同じような形の家が並んでいる。アイヌ民族は、地位の違いはあっても家を特別豪華に作ったりはせず、みんな平等に同じ形の家に住む掟なのだという。


天井には、鮭の燻製が吊り下げられている。




家ごとに、アイヌの暮らしを垣間見ることが出来た。


売店では、アイヌの楽器「ムックリ(口琴)」を実演してくれた。


そろそろ帰ろうという時間になったが、16:15から「コタンの解説とアイヌ古式舞踊」の最終公演があるというので、見ていく事になった。


最初に、コタン(村)の解説ということで、ユーモア溢れる話を聞きながら、アイヌの生活ぶりや言葉の意味を勉強する。


一通り解説が終わると、古式舞踊や楽器の演奏が始まった。




売店でも見たが、会場でも「ムックリ(口琴)」等の演奏を聴く。






最後にアイヌのわらべ歌「ピリカピリカ」を聞いて、「ポロトコタン」を後にする。


それにしても、北海道にはカタカナの地名が多いが、ほとんどアイヌ語から来ていたのが良く分かった。例えば、札幌は「サル・ポロ・ペッ(乾いた広大な川)」、知床「シレトコ(地の果て)」、富良野「フラヌィ(臭い匂いのする所)」等だ。また、後ろに「ペツ」と付くのは川、「ナイ」と付くのは沢を表しているといい、語源を知るとその地域の地形がわかりそうだ。

「ポロトコタン」を出たのは、17時くらいになっていた。この日の宿は、様似の「アポイ山荘」で、まだ150キロも先だ。その後も長いドライブが続き、20時過ぎに「アポイ山荘」に到着する。宿の人には迷惑をかけてしまい、お風呂にも入らず、到着早々夕食となった。


山荘という名前だったので、小さい宿だと思っていたが、ホテル並みの設備で大浴場完備、夕食も「おしながき」付きと贅沢な宿でくつろぐことが出来た。


3日目、4日目は観光ドライブが続いたが、5日目はランの予定だ。様似から襟裳岬まで絶景を楽しみながら走ることになる。

2015北海道ジャーニー・マラニック続編:5日目襟裳岬編に続く。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ポロトコタン (見切り発車)
2015-05-09 22:23:16
函館五稜郭から 昭和新山へ移動 さらに「ポロトコタン」見学ですか。
その後は襟裳岬!
盛りだくさんの北海道全土征服企画ですね・・
とっちーさんだけでなくて なんて皆様タフなのでしょう・・・

「ピリカピリカ」
の歌 知っていますよ
なんだか 懐かしい。
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見切り発車さんへ (とっちー)
2015-05-09 23:16:22
北海道全土は、さすがに無理です。
昨年、最北端と最東端は行ったので、2年がかりですね。
それでも、まだまだ行ってない場所がたくさんありますよ。
北海道は広いし、もっと行きたいところばかりです。
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