とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

2024志賀高原スキーツアー:1日目渋温泉散策

2024-02-20 18:19:53 | 観光
1月の白馬は、雨で全然滑られなかったので、今回の志賀高原が今年の初滑りとなる。1日目は移動のみで、湯田中駅で友人と合流し、渋温泉に寄って行く。まずは、渋温泉有料駐車場に車を止める。入り口には面白いキャラクター像があり、何だろうと調べてみると、渋温泉のイメージキャラクターの「しぶざるくん」だとわかった。兜を被っているとこを見ると武田信玄公もイメージしているようだ。


駐車場を出て、温泉街の中に入っていくと、すぐに目に飛び込んでくる大きな建物は、金具屋という旅館だ。もともとは松代藩出入の鍛冶屋だったが、災害の復旧中に偶然この場所で温泉が湧き出たことから、宝暦8年(1758年)に宿屋となった。前身が鍛冶屋であったため、当時の松代藩主より「金具屋」と名付けられたという。


金具屋は、豪華でどこかノスタルジックな雰囲気が漂う建物だ。そのため、「千と千尋の神隠し」に登場する油屋のモデルになった場所だと噂されている。たしかに、アニメで見た油屋のイメージにピッタリあう。


渋温泉には、地元の人が毎日利用する外湯(共同浴場)が九つある。昔から大切に守られてきた外湯を渋温泉に宿泊するお客にも解放し、渋の湯の恵みを楽しむ「九湯めぐり(厄除巡浴外湯めぐり)」が有名だ。金具屋前には、九湯めぐりの最後の渋大湯がある。九つの湯をすべて回ると、九(苦)労を流し、厄除け、安産育児、不老長寿のご利益があるといわれている。


渋大湯前の長い急階段を上っていく。


こちらは渋温泉九湯巡りの最後にお参りする渋高薬師だ。西暦724~729年(神亀年間)に名僧行基が源泉を発見し、薬師如来を刻んで祀ったのが現在の薬師庵である。


渋高薬師からさらに山道を登っていくと出てくるのが渋湯神社だ。険しい山の斜面に多くの神社仏閣があるのも驚きだ。渋湯神社からは渋温泉街がよく見える。


渋高薬師まで戻ると、御利益散歩道という散歩道がある。この道をずっと歩けば御利益がありそうだ。案内板を見て毘沙門天にも寄ってみる。


その次に寄ったのは、成田不動尊。創建は大正時代末期、豊野町出身の滝沢氏が建立したのが始まりとされる。滝沢氏は不動明王の御利益により奇跡的に命が救われたとされ、その感謝の意により私財を投じて堂宇を建立したという。




成田不動尊も長い石段を上り下りしなければならない。


最後に寄ったのは、渋温泉の一角にある曹洞宗貞祥寺の末寺で、武田信玄より寄進を受けたことで知られる横湯山温泉寺だ。


温泉寺は、川中島合戦の折、兵士の傷を癒したとされることから、信玄が寺領七十貫文を寄進し、温泉地の発展を奨励した。寺紋には武田菱が描かれている。


温泉寺本堂の入口には3匹ずつのお猿さんが左右に置かれている。一方は有名な見ザル・言わザル・聞かザル。そして、もう一方はその反対。見て・言って・聞いて、というポーズをしていて面白い。




温泉寺の裏には、二十数基の丸い石が置かれていて、こんな話が伝わっている。 
志賀高原の大沼池主の黒竜は荒くれ者で、竜王の怒りに触れてしまいました。罰を受け、そして悪行を反省した黒竜は仏門に入ることにしたのです。そこで、温泉寺の門を叩き身分を名乗り、経緯を述べて、節香和尚の弟子になりました。改心した黒竜は修行に励み、ついには受戒を受けるまでになりました。そして、和尚の恩に応えるべく清浄な石を磨いて寿塔を贈ることを約束し、大沼池に帰って往きました。その後、黒竜の約束通り住職が変わる度に、その時々の住職の頭に似た石が、横湯川の橋場に流れ着くという。




温泉寺から温泉街に降りる道には、ビニールハウスの通路が設けられていた。雪の時期では、雪で足元が濡れず、滑らないようにとのお寺の心づかいが感じられた。


温泉街に戻り、駐車場に戻る途中に歌恋会館という卓球場があった。利用料は、なんと無料だ。久しぶりに卓球を楽しむ事ができて面白かった。


渋温泉街を十分散策して、この日の宿泊先となる志賀高原の宿に向かう。

「2024志賀高原スキーツアー:2日目志賀高原中央エリアでスキー」に続く。

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