とっちーの「終わりなき旅」

出歩くことが好きで、趣味のマラソン、登山、スキーなどの話を中心にきままな呟きを載せられたらいいな。

映画『真夏の方程式』

2013-07-25 23:56:31 | 映画
映画『真夏の方程式』予告編


解説: 東野圭吾の小説が原作のテレビドラマ「ガリレオ」シリーズの劇場版第2弾。とある海辺の町を訪れた物理学者・湯川学が、そこで起きた殺人事件の悲しい真相に直面する姿を、一人の少年との出会いを絡めて描く。テレビ版と前作に続いて福山雅治が主演を努め、子どもが苦手なのにもかかわらず、少年のために事件に挑む湯川を体現する。『妖怪人間ベム』シリーズの杏、ベテラン風吹ジュンら実力派が共演。科学技術と自然の共存という、劇中に盛り込まれたテーマにも着目を。(シネマトゥデイより)

あらすじ: きれいな海に面した玻璃ヶ浦で計画されている、海底鉱物資源の開発。その説明会に招待された物理学者・湯川学(福山雅治)は、緑岩荘という旅館を滞在先に選ぶ。そして、そこで夏休みを過ごす旅館を営む川畑夫婦(前田吟、風吹ジュン)のおい、恭平と知り合う。次の朝、堤防下の岩場で緑岩荘に宿泊していたもう一人の客・塚原の変死体が発見される。図らずも事件に直面した湯川は、旅館廃業を考えていたという川畑夫婦や、夫婦の娘で環境保護活動に奔走する成実(杏)らと塚原の思わぬ因縁を知る。(シネマトゥデイより)


東野圭吾原作とあらば、やっぱり見ておきたい。なかなか土日にいけないので、平日の夜、夕食を早々終えて近くの映画館まで出かけた。今年3月に公開された「プラチナデータ」に続く東野圭吾原作の映画化である。さすが売れっ子作家だけあって映画化される作品も次々と話題作である。

さて、今回の「真夏の方程式」は、福山雅治主演のフジテレビのテレビドラマ『ガリレオ』の劇場版第2作という位置づけだ。ガリレオシリーズの映画化第1作『容疑者Xの献身』以来5年振りの作品である。原作を事前に読んでいたから、やはり原作との違いがあるとどうしても気になってしまうところだが、主人公・湯川の相棒である刑事が柴咲コウ演じる内海薫から、吉高由里子演じる岸谷美砂へと変更された事以外は、ほぼ原作通りだったといいっていい。個人的には、柴咲コウの続投のほうが良かったのだが、いろんな内輪話によると柴咲コウが続投できなかった深い理由があったらしい。

さて、この作品は単なる推理ドラマで終わっていないところがいい。このガリレオシリーズでは、奇怪な事件を科学的な推理で解決していく内容が多いのだが、今回は湯川が苦手としていた少年との交流が物語の軸になっていることや、湯川自身が最初に事件に遭遇して、積極的に真相究明に乗り出しているのが他の作品と一線を画す。たまたま出会った少年との交流と、その周辺で起こった殺人事件を通して、湯川が気づいてしまった真相が、この作品の核心部分である。

キャッチコピーは「これは事故か、殺人か。湯川が気づいてしまった真相とは。」となっているのだが、早い時点で湯川は事件の真相がわかってしまったらしい。そして、その真相が公になってしまうことで「ある人物の人生が捻じ曲げられる」ことを防ぐために、警察よりも先に積極的に事件の真相に迫っていく。この結末には、賛否両論があるようだが、親を思う気持ち、子を思う気持ちを真相まで解き明かし、単なる正義感だけで終わらず、それもありだなと共感を与えるところが東野作品のいいところだ。

中でも、湯川の人間味がさりげなく表現されているのが、少年とのふれあいと彼への接し方だ。200mさきの海底の様子を見てみたいという少年のために、ペットボトルロケットとパソコンを使って、何度も実験を繰り返すシーンは、まるで父親が息子のために夏休みの自由研究を手伝っているかのようだ。ペットボトルロケットを飛ばすことで、どうやって海底が見えるのか不思議だったが、中に携帯が入っていてテレビ電話機能を使ってリアルタイムで海底の映像が送られてくるのにはビックリだ。少年が、携帯の映像を見ながら感激しているシーンが印象深い。こんな科学的な発想は、理科系出身の作家である東野圭吾の得意とするところである。

映像的には、真夏というタイトル通り、海岸や魚たちが泳ぐ海のシーンは美しい。静岡県の西伊豆等でロケしたらしいが、西伊豆にこんなにも美しい海岸があったのかと改めてロケ地を見に行きたくなったほどだ。また、「科学技術と環境保護」というテーマを織り交ぜ、科学者の湯川が環境保護活動家との対立を通し、どのような考え方を持っているのかを描いているが、さすが科学者らしい考え方だと感心した。環境保護だと声高にに叫び何でもかんでも反対ではなく、相手の主張にも理解を示し感情だけで行動すべきではないという。環境保護団体のかたくなな反対運動が、映画のワンシーンで一考を要することもあるなと、合理的で公平な見方を原作者から教えられた気がした。