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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

さらぬ別れの朝(あした)

2017-03-16 07:58:00 | 風景
7年勤務したK高を
昨日辞した。

福高の同級生だった
校長のS君に挨拶・歓談後、
謝辞と見送りを頂いた。



勤務校を去るたびごとに
自分が見慣れた風景を
切り取ってアルバムに納めてきた。

風邪で寝込んだ時なぞ、
そんな自分の足跡を
ベッドで音楽を聴きながら
懐かしく愛おしむことがある。

その時代、その歳に
どんな風景を眺めて
生きていたのかを
パノラマ・ヴューイングするのは
なかなかに面白い。

歳と共に記憶も
あやふやになりかねないので、
ブログ記事を毎年
画像と共に製本化して
自分史として楽しんでいる。



家に置ききれない
既読の本類は、
ちょこちょこ職場に搬入し
離任するときは寄贈する形で
置いていくことにしている。

K校の本棚にも
7年でずいぶんと
書籍がたまったものである。

家でも職場でも
書香がないと
落ち着かないので、
どの職場にも本の壁を
作っている。

この三年間、
毎週、楽しく
ケース・カンファレンスを
させて頂いたが、
素晴らしい教育相談スタッフだった
コーディネーターのK先生と
養護のH先生に、
お気に入りだった
自作の静物画を
餞別に差し上げた。

お二方とも
離任を聞いて驚かれ
残念がられていたが、
後進に道を譲らねばならない
還暦世代であると言いながら
何処か寂しく思う自分にも
言い聞かせていた気がした。

H先生は
卒業式の日に、
三年間カウンセリングをして
この春、無事、短大生となる
Nちゃんに「一言メッセージ」を
書かせて下さったようである。



こういう言葉が
カウンセラーにとっては、
何よりの報酬である。

場面かん黙で
三年間、一言も話さなかった子が
最期に一言声を発した時なぞも、
「ああ。これが、
カウンセリングの報酬なんだなぁ…」
と涙が出そうになったこともある。

今日も、20年勤務した
K工高の最期の勤務日である。

高校時代に古文で習った
「さらぬ別れ」
(避けられぬ別れ)
という古風な雅語が
ふと思い浮かんだ朝である。






春雪

2017-03-15 09:26:00 | 風景
朝、目が覚めたら
薄っすらと雪景色だった。

朝刊を取りに
玄関を開けてみると、
重々しいドッシリと
湿った雪質であった。

昨日は、
雨降りで、
ひと雨ごとの温かさか…と、
ひとりごちていたが、
冬の名残り雪もまた
風情がある。



今日は
7年間勤務した
K高の最期である。

いい部屋、いいスタッフに
恵まれた好環境だったので、
離任が惜しくもあり
寂しくもある。

でも
惰弱な自分ゆえ、
こうして別離をいくつも
体験することによって、
この世との別れ、
今生の自分との別れの
シミュレーションと
耐性をつけているのやもしれぬ…と、
ふと感じた。

(-"-;)

ユング心理学では
「セルフ・アレンジメント」
と言って、
これをアレンジしているのは、
意識の中心の自我(エゴ)よりも
さらに深層にある
意識と無意識の中心の
自己(セルフ)が為している
と見做す。

それを真の意味での
「自己実現」と言う。

世間で言う「やりたい事をやる」とか
「なりたいものになる」という
甘いものではなく、
真の自己実現には
辛さを伴うのである。




年度末疲れと
花粉症の全身症状とで、
全身の倦怠感やら
首の痛み、背中のオデキ、
目蓋の痙攣…と、
なんだか不調感いっぱいだが、
あと数日で春休みとなる。

それまでの
もうひと頑張りだ。

しばらくは
からだとこころを休ませて
新年度体制とリサイタル準備に
かからねばならない。

オフだった昨日は
珍しく調子のいい時間帯があって、
CDのコピーやら製本やら
勉強にも読書にも
気が充実して過ごせた。

京都在住の頃、
春の不調の時に
主治医の修源先生にこぼしたら、
「ガンや難病でないだけ、
有り難いと思わなきゃ…」
と励まされたことがある。

不定愁訴に悩まされる日々に
それをふと思い返すことがある。

今ならば、
3.11で生き残ったことを
有り難いと思わねば、
と思うことにしている。

ただ、
空元気を出すと
後でまた揺り戻しが
返ってくる歳になったので、
やっぱり寝て過ごすのが
いちばんいいのかもしれない。

運動をしたいという気が
とんと失せてしまった
この頃である。





車の助手席に
ウクレレを乗せておいて、
赤信号で停まるたびに、
サッと手にして
32連の急速スケール(音階)の
フィンガリング・トレーニングを
している。

左の四指と
右の三指を
ピタリとシンクロさせて
32ケの音をもれなく
つぶさずに急速に弾ききる
というのはかなりの
高度な技術なので
自転車乗りと同様に
無意識で出来るまで
体と脳に叩き込んで
インプットしなければならない。

これを日常の
出勤・退勤の隙間時間に
当てている。






ねじまき鳥

2017-03-14 04:38:00 | 製本
在野の心理屋なので、
課題研究として
年に二冊以上のブックレットを
作るというのを
自分に課してきた。

ここ十数年、
それを実行してきて
手元に40冊あまりの
著書とも呼べないような
駄本が山とある。

講演会では
よく売れてくれて
いい小遣い稼ぎになってくれてはいるが、
ネット販売ではちぃともである。



今年初の一冊目は、
36日間、分析と連載を続けてきた
村上春樹の傑作
『ねじまき鳥クロニクル』の
深層心理学的分析である。

冬休みに
1000頁もある全三巻を読破し
それから、資料を集めて
専門書を片手に
分析・執筆の毎日であった。

高校生がよく
授業の一環でやっている
課題研究の“大人版”である。

書籍版はちぃとも売れないが、
ネットでは既に2.400人が
読んでくださったので
ありがたい。

これまでで最高既読者は
『子不孝』という書の
94.000人である。

何処ぞの中小出版社が
目を付けてくれないかと
淡い期待を抱いたりもしている。







老母の部屋を片付けていたら
ダンゴ三兄弟の幼い日の
写真が何枚も出てきた。

今は認知が怪しく
ホーム暮らしをしているが、
達者な頃は、こうして孫たちと
リゾートに行けたりしていたのだから
シアワセな婆様だったと思う。






亡き父の
一年祭の後に催した
茶会記も出てきて
懐かしく思った。

縁(ゆかり)のある方々五名を
お招きして、懐石や濃茶を
振舞った茶会であった。



寝て曜日

2017-03-13 06:58:00 | TV・ドラマ
花粉症のせいか
体中がだるく痛みもあり
仕方なく薬を呑んで
一日、寝養生していた。

幸い、三学期も
もう残すところ数日で、
来週から春休みである。

最近、日曜日は
ベッドのなかで
だらだらとテレビを視て
過ごしている。

『サンデーモーニング』
『将棋講座』
『将棋NHK杯』
『和風総本家』
『笑点』
『刑事フォイル』
…と、日曜日は
テレビ漬けである。



NHK杯は準決勝で
佐藤康光と佐藤天彦の
好対戦であった。

「会長」対「名人」は
新会長が辛勝した。

解説の「忍者」屋敷九段も
なかなか面白かった。





毎回、視ていた
『刑事フォイル』が
昨晩で終了となった。

マイケル・キッチンの
渋い存在感と
ハニーサックル・ウィークスの
“ブサカワ”が目を引いた
秀逸ドラマであった。






白菜の芯を捨てずに
水耕栽培していたら
見事に花を咲かせてくれ
嬉しく思った。

何処となく
菜の花に似ている。




支援物資

2017-03-12 09:10:00 | 大震災/コロナ禍
6年目の
3.11の昨日。

毎年、支援物資を
送ってくれている、
元同僚でギターの弟子でもあった
赤穂在住のガッちゃんから
「還暦祝い」も兼ねて
「赤いもの」も添えられていた。



6年前には、
わざわざ赤穂から
元自衛官のご主人が、
ギュウギュウ詰めの
30㎏もあるリュックに
山のような食料を背負って
交通便の悪い中を
フクシマまで
やってきて下すった。

原発の連続爆発の直後で、
県民の多くが
エクソダス(大脱出)をする中で、
遠路兵庫から決死隊のように
やって来てくれたのだ。

自分は18ヶ所あった避難所を巡って
ヴォランティアの
緊急カウンセリングをやっていたので、
あづま体育館から福島駅まで趣き、
それを受け取って、
互いに敬礼し合って、すぐさま
避難所にとって返した時の状況は
未だに鮮明に覚えている。

上空にはヘリが飛び交い、
街には国防色の
自衛隊の災害救援車両が
連なっていた。

まさしく
平穏な日常が破れ、
戒厳令下のような
切迫した時間が流れていた。

次々に爆発する
原発の脅威に慄きながら、
子どもたちを陸路で関西へと
疎開させ、自分とカミさんとは
教育職、心理職として
「死んでもままよ」の覚悟で
すべき事に臨んだ。

あれから6年・・・
あっという間
という気がする。

夜、特集番組で
2時46分に黙祷する
東北の人たちの姿を見て、
思わずウルッときた。

プチ・フラッシュバックしたのか、
今朝は、頭痛と体痛で目が覚めた。

花粉症の最盛期
というのもあるのだろうが…。
今日も薬のお世話になり
すべき事をしようと思っている。






新年度の4月から
3校減になって
水・木がオフってしまったので、
思わず朝刊の「求職チラシ」に
目がいった。

真っ先に、
時給800円のビル清掃でも
しようかしらん…と、
考えた。

何にも考えずに
黙々と掃除するって、
運動にも、精神修養にも
なりそうである。

近しい知人のH君は
都会のビル清掃を
16年やって司法試験に合格し
弁護士になったという
英雄伝説がある。

でも、半日4時間やって
3.200円では、
カウンセリングや
ギターレッスン1時間分くらいなので、
コスパがよくないなぁ…と、
感じた。

他に、これといった
やってみたいパート業種が
見つからないので、
また、古楽器製作業(リューティエ)に
精を出そうかとも思った。

ここ数年、
工房は物置状態で
工作機械類も稼動していない。

これまで製作した物は
すべて数万円で売れてくれたし、
注文もポツポツとあった。

楽器職人という
物造りならば
クリエイティヴなので
飽きはしないし、
マイペースで自分ちで出来るので
月に一本売れてくれるだけで
なんとかなるかもしれない。

年金は65歳からの受給だが、
それとて月額6.6万なので
それでどーにかなるものでもない。

悠々自適の老後なんて
有り得なさそうだが、
どのみち死ぬまで仕事は
していたいとは思う。





今週で
20年来の職場である
K工を去る。

部屋の片付けをしていて
着任時の挨拶が出てきたので、
それも自分史の一頁として
大切に保管することにした。

思えば、
「女子高の先生になりたい」
という夢も叶ったし、
「高校の生物教員になりたい」
という夢も叶った。

そして、後の
「大学院で心理学研究をしたい」
という願いと
「スクールカウンセラーになりたい」
という望みも叶った。

サイコ・アナリスト(精神分析家)
への憧れも実現したし、
短大の講師も五年やれた。

念願だった
自宅カウンセリング室と
ギター教室も今、
実現している。

講演やコンサートの仕事も入るし、
製作した古楽器は
全部売れてくれた。

臨んだ事はすべて
叶ったので、
思えば充実した人生ではあった。

これからは徐々に
クリエイティヴ・リタイアメント
(創造的・引退)にシフトし
本格的な半隠遁と
「お国替え」への心準備を
する時なのかもしれない。

やりたい事、
やれる事だけを為して、
世と人のお役に立つような
余生にしたい…と、思った
6年目の3.11の日であった。