7年勤務したK高を
昨日辞した。
福高の同級生だった
校長のS君に挨拶・歓談後、
謝辞と見送りを頂いた。

勤務校を去るたびごとに
自分が見慣れた風景を
切り取ってアルバムに納めてきた。
風邪で寝込んだ時なぞ、
そんな自分の足跡を
ベッドで音楽を聴きながら
懐かしく愛おしむことがある。
その時代、その歳に
どんな風景を眺めて
生きていたのかを
パノラマ・ヴューイングするのは
なかなかに面白い。
歳と共に記憶も
あやふやになりかねないので、
ブログ記事を毎年
画像と共に製本化して
自分史として楽しんでいる。

家に置ききれない
既読の本類は、
ちょこちょこ職場に搬入し
離任するときは寄贈する形で
置いていくことにしている。
K校の本棚にも
7年でずいぶんと
書籍がたまったものである。
家でも職場でも
書香がないと
落ち着かないので、
どの職場にも本の壁を
作っている。
この三年間、
毎週、楽しく
ケース・カンファレンスを
させて頂いたが、
素晴らしい教育相談スタッフだった
コーディネーターのK先生と
養護のH先生に、
お気に入りだった
自作の静物画を
餞別に差し上げた。
お二方とも
離任を聞いて驚かれ
残念がられていたが、
後進に道を譲らねばならない
還暦世代であると言いながら
何処か寂しく思う自分にも
言い聞かせていた気がした。
H先生は
卒業式の日に、
三年間カウンセリングをして
この春、無事、短大生となる
Nちゃんに「一言メッセージ」を
書かせて下さったようである。

こういう言葉が
カウンセラーにとっては、
何よりの報酬である。
場面かん黙で
三年間、一言も話さなかった子が
最期に一言声を発した時なぞも、
「ああ。これが、
カウンセリングの報酬なんだなぁ…」
と涙が出そうになったこともある。
今日も、20年勤務した
K工高の最期の勤務日である。
高校時代に古文で習った
「さらぬ別れ」
(避けられぬ別れ)
という古風な雅語が
ふと思い浮かんだ朝である。
昨日辞した。
福高の同級生だった
校長のS君に挨拶・歓談後、
謝辞と見送りを頂いた。

勤務校を去るたびごとに
自分が見慣れた風景を
切り取ってアルバムに納めてきた。
風邪で寝込んだ時なぞ、
そんな自分の足跡を
ベッドで音楽を聴きながら
懐かしく愛おしむことがある。
その時代、その歳に
どんな風景を眺めて
生きていたのかを
パノラマ・ヴューイングするのは
なかなかに面白い。
歳と共に記憶も
あやふやになりかねないので、
ブログ記事を毎年
画像と共に製本化して
自分史として楽しんでいる。

家に置ききれない
既読の本類は、
ちょこちょこ職場に搬入し
離任するときは寄贈する形で
置いていくことにしている。
K校の本棚にも
7年でずいぶんと
書籍がたまったものである。
家でも職場でも
書香がないと
落ち着かないので、
どの職場にも本の壁を
作っている。
この三年間、
毎週、楽しく
ケース・カンファレンスを
させて頂いたが、
素晴らしい教育相談スタッフだった
コーディネーターのK先生と
養護のH先生に、
お気に入りだった
自作の静物画を
餞別に差し上げた。
お二方とも
離任を聞いて驚かれ
残念がられていたが、
後進に道を譲らねばならない
還暦世代であると言いながら
何処か寂しく思う自分にも
言い聞かせていた気がした。
H先生は
卒業式の日に、
三年間カウンセリングをして
この春、無事、短大生となる
Nちゃんに「一言メッセージ」を
書かせて下さったようである。

こういう言葉が
カウンセラーにとっては、
何よりの報酬である。
場面かん黙で
三年間、一言も話さなかった子が
最期に一言声を発した時なぞも、
「ああ。これが、
カウンセリングの報酬なんだなぁ…」
と涙が出そうになったこともある。
今日も、20年勤務した
K工高の最期の勤務日である。
高校時代に古文で習った
「さらぬ別れ」
(避けられぬ別れ)
という古風な雅語が
ふと思い浮かんだ朝である。