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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

練習成果

2017-03-21 08:33:00 | ギター
珍しく連休の二日間、
まるまるオフだったので
ギターの練習ができた。

夕飯後、
寝室のベッドに
ギターを持ち込み
壁に背を付けて座り、
室内を暗くしたまま
音にだけ集中する
練習だった。

元々、指板の運指を
ほとんど見ない方だが、
真っ暗な中だと
より集中して音楽そのものに
意識がいく事に気づいた。

リサイタルの1ステの
フラメンコ・プロを
通しでやったが、
8曲弾いたら
途中で着け爪が剥がれて
ギターのサウンドホールの
中に落ちてしまった。

下着の上下が汗で濡れ
左指も痛み出したので、
それだけ激しい運動なのだろう。



ここ数週間、
出退勤時の車中の
信号待ち時間に、
ウクレレを用いて
スケール(音階)練習を
執拗にやっていたので、
どの曲もスケール部分が
スムースに弾けて驚くほど
練習の成果が上がっていた。

ギターの難しさは
左指で押さえ、
尚且つ、それを右指で鳴らす、
というダブル・アクションが
シンクロしないといけない処にある。

ピアノはワン・アクションで音が出るし、
ヴァイオリンは弓の上下で音が出る。

パコの超絶技巧曲の
『ファンダンゴ』の32連譜も
3回に1回はイメージ通り
弾けるようになったが、
果たして、本番で体操選手や
スケート選手のように
うまく3回転半後に着地を
ピタリと決められるかは、
その日のコンディションと
運次第だ。






今年も
新幹線ダイヤが改正になり
新聞の折込に入ってきた。

昨年は、
これをボードに貼っておけば、
必要になる仕事がくるだろう…
という「用意すれば舞い込む」の
経験則で待っていたら、
講演とコンサート依頼があった。

今年も
ボードに貼って
何か依頼が舞い込むのを
投網を打つ漁師のような
心持ちで期待している。






ATMで生活費を下ろしたら
半分が新券だったので、
とりあえずクンクンと
その香りを嗅いでみた(笑)。

新券独特の
紙とインクの
芳しい香りがする。

新刊書といい
新券といい、
刷りたての紙とインクの
芳香に惹き付けられるのは、
何か幼少期の「刷り込み」が
あるのかもしれない。





幸せのひと時

2017-03-20 10:21:00 | 
連休である。

まるまる休みだった昨日は、
まだ日の明るい夕方の5時頃に
ザブリと湯浴みして
タオルを頭に巻き
キンキンに冷えたシャンパンを
フルートグラスでコキュッとやった。

ベッドの電気毛布をオンにして
コタツのように下半身を埋ずめ
半起きの姿勢で
枕元のCDコンポで
今お気に入りの『モンポウ』をかける。



アマゾンから届いたばかりの
冊子用の茶封筒をベリリと破り
新刊の『ショージ君』本を
取り出しては、真ん中あたりの頁を
エイッとばかり開いて
刷りたてのインクの香りを
クンクンと嗅ぐ(笑)。

これが
新刊が届いたときの
儀式みたいになっている。

東海林さだお氏の本は
20代の頃から全部蒐集していて
裕に100冊以上が蔵書にある。

「でん六」の「大豆昆布」をアテに
冷え切ったシャンパンの泡が
ほてった喉を
チリチリと滑り降りていく。

足元は温くぬくとして、
耳元にはモンポウのピアノ曲、
手には大好きなショージ本。

これを幸せと言わずに、
何をか言わん…と、
久しぶりに陶然となった。





N響の定演で
『アランフェス』をやったので
録画してみた。

フラメンコ・ギタリストの
カニサレスが、
フラメンキッシュな演奏をして
場内を沸かせた。

かつて、
ソロに編曲して
全楽章を10分で弾くという
発表会課題に挑んだことがあるが、
この時に感じていた
フラメンコに通底するものを
さすがにカニサレスは
見事に表現していた。

むしろ、
その鋭利なキレのいい演奏に
N響が応えきれず
モッサリした感じが
いささか不満ではあった。

触れれば
指先がピッと切れそうな
先鋭なオケの演奏というのは
やはり外国の超一流処じゃないと
期待出来ないのかもしれない。





1000枚近くある
これまで録音してきた
CDのデータベースから
新たなアルバムを作ろうと
春休みの最初の仕事になりそうだ。

ミスタッチがあって
「傷物」が多いものの
オールライヴの
『マイ・フェイバリット・ライヴ』
というタイトルにした。

一流プロのカニサレスにさえ
明らかに一箇所ミスタッチがあったから
三流アマの自分なら
3ヶ所まではOKだな…と、
勝手な理屈でいる。



春間近/霊障譚

2017-03-19 08:20:00 | 家族
朝夕は
まだストーヴを
点けるようだが、
日いちにちと
春が近づいてるような
感じがする。

梅の花もあちこちで
ほころびはじめ、
日中の陽射しが
暖かく感じるようになった。



老母の部屋を整理していたら
古い写真が何枚も出てきた。

フミとナツのお花見の時の
肩車の写真は
どちらもいい表情をしており、
兄弟愛が感じられる。






体調不良の証しなのか
左目の下目蓋が
不随意運動で
ピクピクと痙攣するのが
2週間ほど続いている。

主治医は、
疲れでそうなる、
と言っていたので、
事実、倦怠感がとれないので
そうなのだろうと思ってはいる。

精神症状に、
セネストパシー(体感異常/cenesthopathy)
というのがあって、
体の中に虫が蠢く感じがする、
と訴えたりする。

時折、高校生のクライエントにも
皮膚の表面がムズムズして
まるでアリが歩いているような
「蟻走感」を感じるという
生徒もいる。

大体は何らかのストレスや
心身疲労による神経感覚の
異常によるものだが、
更年期の内分泌異常でも起こる。

この左下目蓋のピクピクも
自分の意志に反して
勝手に動くので、
何か生き物が入っていて
自律して動いてるようで
あんまり心地よくない。

左目、左首痛、左背のおデキモ…と、
左上半身に不具合が集中していて、
右は長年テニスで鍛えてきたから
ちっとも不具合が生じず、
全部、弱い左に偏るのかもしれない。

親しかったT中の
養護のC先生は、
医学的に原因不明の腹痛が
霊能者に「虫」が憑いている、
と言われ、除去してもらったら
完治したという。

「うそ~。信じられない」
と言ったら、
その場で「虫」を戻されて、
また、痛くなって、
信じざるを得なかったという。

普通のおじさんらしいが、
神様に「何処どこへ行け」と命ぜられると
いろんな処に行かなきゃならないんだ、
と言っているそうだ。

C先生の娘さんも
高速で車が横転する事故や
山歩きで大怪我するなどが
続いたので、見てもらったら、
前世でのダンナの弟の霊が
遺恨を抱いていて
探し回っていたとかで
「やっと見つけた」
と取り憑いて不幸な目に
合わせていたという。

直接、命は取らないで
不幸な目にだけ合わせるのだそうで、
1回5万円の除霊で
一生涯霊障から守ってくれるのだそうだ。

むかし読んだ
スウェーデンボルグの書には、
左側には悪霊が取り憑き、
右側には天使が取り憑く、
とあったので、
やたら左半身ばかり不調なので、
もしや…と、疑念を抱いた(笑)。

C先生には、
よくよくの時は
おじさん紹介してね、
と一応、コネを頼んでおいた。

その霊障譚を聞いて以来、
朝晩のご神前での御祈念で
「御神酒(おみきさん)」を
目蓋、首、背にチョンチョンと
頂いている。





税務署から
還付金手続き開始の
ハカキが届いた。

3.5万ではあるが、
半時の確定申告手続きで
戻ってくるのだから
毎年、春の
小遣い稼ぎのようなものである。

(人'∀'*)ヤタ~

クリエイティヴ・リタイアメント

2017-03-18 06:25:00 | 仕事
きのうは
T中最期の勤務日だった。

3年間お世話になり
よくして頂いた
コーディネーター役の
養護のC先生も定年となり、
互いに別れを惜しみ合い、
きのうは玄関までお見送り
頂いた。

カミさんと同世代で、
短期療法研究会でも
何年かご一緒した先生だったので
一緒にお昼に出かけた時も
幾度かあった。

それゆえ仕事の息も合って
SCとしてすこぶる
やりやすかった。

4月からは
新しく着任する先生と
うまくやっていければ
いいのだが。



一昨日、
K工を去るとき、
校門に刻まれた「創造」の
二文字をまじまじと
目に焼き付けた。

そう。

これからは
「創造的引退(creative retirement)」
を迎えなきゃいけない時期に入ったんだ、
と、こころに言い聞かせた。

そして、
生徒用に印刷してあった
碧水先生の歌集を
久しぶりに熟読玩味した。

 なげくこころ与へられをり
  とらはれてはならぬこころも
   与へられをり


 春風に似たるこころを持ちたしと
  吹く春風に
   吹かれつつ思ふ

 


 世話になるすべてに礼を言ふこころ
  ゆらぐこころに
   やすらぎもたらす

 
 出来ぬことつらがるよりも
  出来ること礼をいひつつ
   なさしめ給へ


 みつとめの奉仕淡々と
  出来るだけ淡々と
   われにつづけ得しめ給へ





多くの蔵書を
K工にも寄贈してきたが、
『神の計画(はからい)』だけは
引き上げて再読してみた。

新年度の仕事が半減したのには、
何か計り知れない
「神(かん)み計らい」が
あるのやもしれぬ…と、
信じ、先を楽しみにするのが
信仰者の姿勢であろうと自戒した。

そして、
「死んでもままよ」
という思いと
教員時代にも思っていたように
「生徒ファーストの
真のカウンセラーを
神は生かさずにはおれまい」
と、内なる神が
内言に宣うことを信じている。

とにかく
与えられたもので、
今ここを、精一杯、
懸命に、真摯に、
やるだけのことである。

「深生き」と「自己実現」の
即身仏的実践の時期に
入ろうとしているのかもしれない。


***


近頃、若い世代に
なにか精神性(mentality)のようなものを
伝え残して逝きたいという
願望がふつふつと湧いている。

師匠の心構えができると
弟子が現われる、というが、
最近、よく出来た医大の学生さんが
ギターの生徒として入門してきたり、
勉強熱心な先生が
「弟子だと思ってます」
と言ってくれたりしている。

「自己実現」の最終形は
Psychopomps(魂の導者)と、
若い頃から漠然と
脳裏に浮かんではいた。

俗言でいう処の
メンター(mentor)に
近いものかもしれない。




定年退職・・・

2017-03-17 05:31:00 | 仕事
勤続20年のK工高を
昨日で辞した。

県内で、
同一校で20年勤続は
他に例がない。

平成8年から
文科省の研究事業カウンセラー
の二期生として
SCのキャリアが始まった学校である。

その後、
県の予算、PTA予算、
そして3.11後は国の予算で
20年間勤めた。

校舎がE棟まである
県内最大規模の高校だった。

着任時、3年生だった子は
今は、18才+20年で
38才の立派なオバハンである。

もっとも、
大学出たての新卒の頃、
「緑ヶ丘」の看護専攻科で教えた子は
19才+37年で、
今、なんと56才だ。

大阪の金光第一高の一期生が
17才+35年で、
52才である。





福高の同級生が
校長で来た時には、
頼み込んでエアコンを
設置してもらった。

相談スタッフも
養護スタッフも代々優秀で、
SC黎明期には
「K工モデル」として
各校に散ったスタッフが
その様式を伝えて
真似る学校が多かった。

スクール・カウンセリングという
教育界はじめての試行実験で、
0の状態から屋台骨を
築き上げてきたことは
自分としても誇りではある。

その間、
何百という生徒や父兄、
教職員と関わってきた。

まだ、完全に
カウンセラー業が
終わったわけではないが、
何となく一区切りついたような
気分でもある。

ハードもソフトも
すべて試行錯誤で
一から作ってきたので、
それは創造的作業としても
楽しくもあった。

教員時代に
11年間担任を受け持ったことも
SCとして大いに役に立ってくれた。

また、教務の仕事や
部活の顧問、委員会仕事、
PTA業務…と、スクール・ルーティンや
スクール・ポリティクスを
一通りやってきて理解していることも
先生方には信頼される基となった。

学部や教員時代に得た
生物学の広範な知識も
精神病理学や薬理の生化学、
脳神経生理学に通じていて、
生徒の病理理解に
大いに役立ちもし、
父兄・教員に心理教育するのにも
説得力となってくれた。

してみりゃ、
経験、勉強したことに
ひとつも無駄がなかった
ということである。





こういう予約表から
業務報告書式まで
一から作りあげたもので、
その20年目最期の頁に
養護教諭から
労いのメッセージがあり、
なんだか嬉しくもあり、
(あぁ…。おわったんだぁ…)
という感傷的な気分も湧いた。

「次回」というタグが
下に埋め込まれていないのも
それを象徴していた。

「最期なのに満杯で
 すみません…」
と仰られたので、
「有終の美ですなぁ…」
と、年寄り臭い
返事をしてしまった。

空き時間には、
先生方が代わる代わる
生徒を連れてきたりして、
「本当にお世話になりました。
 ほら。ちゃんと、お礼しなさい」
と来られたので、
なんだか生徒が気の毒だった。

「今日で最期だよ」
と伝えたら、JKが
「え~!? 先生、やめんのぉ~。
 やめないようにしてよ~」
と懇願するので、
「もう、60才になるから、
 オワリって決まってるんだ」
と自称「定年説」を説いたら
「そっかぁ~」
と、残念がって、折り紙で
「じゃ、ウルトラマン、折ってあげるね」
と、せっせと折り始めた。

こういうJKの姿を
35年間も見てきたが、
それが愛らしくて
可愛いものだから、
ここまで続けて来られたのかもしれない。

出来上がったウルトラマンが
不気味だったので、つい
「なんだか埴輪みたいで目がキモイなぁ…」
と、カウンセラーとしては
あるまじき感想を漏らしてしまい、
JKが
「キモイって言われたから、
 じゃ、指輪にする…」
と、不貞腐れもせずに
また、せっせと折ってくれた。

今度は指にピタリと
治まったので、
「これは、いいね…。スゴイ!」
と正直にそう褒めれた。

ついでに
ハート折りも添えてくれた。

最期のカウンセリングには
こうしたクライエントからの
こころのこもった贈り物を
受け取ることが多い。

これはお金に換えられない
「まごころ」なのである。





定例のケース・カンファレンスでは、
教育相談主担の先生が
ラ・ベルジュの高級タルトを
ご用意下さっていて、
紅茶セットと共に
優雅な最期のひと時を
過ごした。

退勤時に、
校長室に呼ばれたので、
簡単な挨拶をして辞去しようと
思ったが、教頭はじめ
大勢の先生方が待っておられて、
校長から
「創立40年の半分に当る
20年間のあいだ、ほんとうに
ご苦労様でした。
ありがとうございました」
と挨拶があり、
先生方一同から深々と頭を下げられた。

咄嗟になんか答礼の挨拶をしなくては、
と思ったが、言葉が出ず、
「とうとう、定年になってしまいました。
 先生方には、本当にお世話になりました。
 ありがとうございました」
としか言えなかった。

そしたら、
養護の先生が
フラワー・バスケットを
授与して下さり
拍手となった。

忙しい中、
集って下さった先生方に
申し訳なく思って
「それでは、これで失礼します」
と、そそくさと
退室しようとしたら、
校長が音頭をとって
「玄関までお見送り致します」
となって、
「いや。けっこうです。
 先生方、お忙しいのに…」
と固辞したものの、
みなさん、ぞろぞろと
病院の総回診みたいに
ついて来られ、
なんだか恐縮して
お尻がムズムズしないでもなかった。

下足に履き替えてから、
振り返ったら、
数人の先生が個人的に
「お世話になりました」
「ありがとうございました」
と駆け寄って来て下さり、
つい照れ臭くなって
「なんだか卒業するみたいですわ」
とボケてしまった。

最後の最後に
「それでは、お世話になりました」
と礼をしたら、
一斉に拍手が起こり、
まるで、リサイタルで
全曲を弾き終えて
聴衆から労いの拍手を
頂いたような感じがした。

玄関を出るまで、
鳴り止まない拍手と
先生方や生徒の目線を
背中に受けて、
車に乗るまでムズムズした。

そんなセレモニーなぞ
予想だにしていなかったので、
数々のリサタルやコンサート、講演会で
幾度も似たような経験をしていたから
舞い上がらずに澄んだのかもしれない。

それでも、
しばらく車を走らせて、
ふと放心したような
無心の状態になったら、
なぜだか涙が溢れてきて、
手で拭いながら
ハンドルを握っていた。

(ノ I `。) ウゥ…

先生方の感謝の気持ち、
「まごころ」が
シャイゆえの照れが治まって、
人目がなくなってから、
ズドンと胸を直撃したのだろう。

そんなふうに泣けるのは、
まことにもって有り難く、
幸せで稀有なことかもしれない。

帰宅後、
ご神前で、
すぐにお礼のご祈念を
させて頂いた。

「本日をもちまして、
二十年間のK工勤務を
終わらせて頂きました。

無事勤めさせて頂き、
まことに、ありがとうございました。

どうぞ、K工の発展と
生徒たち先生方が
お繰り合わせ、
おかげを頂けますように
お願い致します」

(-人-)