『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

アーシング

2020-05-17 08:24:00 | ガーデニング
十袋ほど丹精した
サクランボが色づき、
小粒ながらルビーのような
輝きと甘さで楽しませてくれた。




以前には、
脚立に上がって
高枝部分まで袋掛けしたが、
腕をあげっぱなしでする作業なので、
さすがに、億劫で、
手近な処だけで済ませた。

それでも、
庭の樹木に
ルビー色の実がなるのは
心が豊かな気分になる。

これからは、
裏庭のユスラウメが
真っ赤に実り、
サクランボそっくりの味になる。




先日、間違って
ケースだけ落札したり
すったもんだした
テスター本体が届き、
トイレとPCデスクの
自作アルミ・アーシングマットの
効果を測定してみた。

そしたら、
見事に、3Vほど
帯電していたカラダが
マットに乗ったら
瞬時に0.005Vまで
放電された。

ただし、
マットから離れたら
元に戻るので、
これってどーいうこと?
と疑問が生じた。

衣服を身に纏ってるかぎり、
静電気は常にアーシングしてないと
除去できない、ということになる。

アーシングの
もひとつの目的が
マイナス電子を
大地から体内に取り入れ
プラスに帯電している体内で
電気的中和をさせると
健康効果があるという。

アメリカのドクターたちが
YouTubeで言ってるが、
そのためには30分以上
アーシングするといいという。

まだ、
その方法には
効果が実感できないでいる。

昔から、
体長のワルイ時には、
河原を裸足で歩け、
というのを聞いたことがある。

それは、
【自然から離れると病が近づいてくる】
ということだと
理解していたが、
欧米ではアーシング効果が
「日光浴」などと共に
経験則として知られていたようだ。

今でこそ、
オゾン層の破壊で
紫外線による皮膚がんが
懸念されるようになったが、
外人がよくバカンスと称して
ビーチでごろ寝してるのは
「日光浴+アーシング」
だったのかもれしない。




今日はアキの
27才の誕生日なので、
メッセージを送った。

12月のフミの
結婚式来、正月にも
帰省しなかったので
会っていない。

コロナ禍になってみて、
その結婚式も
12月だったからこそ
みんなが集まれて
楽しく盛り上がれたんだなぁ…と、
今更ながら“お繰り合わせ”を
頂いたことを有り難く思わせて頂いた。

先日の赤ちゃん誕生で、
アキも叔父さんになった。



子どもたちが幼い頃は、
家族の誕生日のたびごとに、
ケーキと御馳走とビンゴゲームで
家族イベントを楽しんだものである。

それらは、
遠く原始時代から
綿々と伝えられてきた
洞窟内で火を囲んで
家族が食事を共にして
絆を実感するという
ミーム(文化的遺伝子)
の為せることなのかもしれない。

来月の幼稚園での講演会でも、
コロナ禍のトピックを口火にして
「家族文化」と情操教育の大切さ、
について講じようと思っている。

情報化文明は、
AIやらSNSやらが
世界を席捲しているが、
その傍らで、
正月に“おせち”を作らない、
餅を食べない、雑煮を知らない、
ということに象徴されるような
「日本文化」が廃れつつある。

五月の節句にも
鯉幟をあげるような家も
とんと見られなくなり、
柏餅、粽を食べるという
習慣を知らない子たちも
ふつうになってきた。

コロナ禍によって
グローバリズムの欠点・弱点にも
気付かされた現代人だが、
その反動で、殊更に、
ナショナリズムに走ることなく
ポスト・コロナ時代を
豊かななものにしていくには
どうあらねばならないのかを、
個人個人が真剣に考えるのに
いい時節であると思う。

「文明」と「文化」は
車の両輪でもある。

サイエンスやテクノロジーの進歩は
有り難く享受しながらも、
文化的なもの情操的なものとの
関係性も保持しながら
真に豊かな人間生活・社会を
醸成していきたいものである。

人としての
真の幸福は、
連帯や絆を抜きに
成立するものではない。

コロナ禍に伴う
世界的な負の側面には、
自国のエゴという問題点がある。

宗教、民族、主義、思想に
関係なくウイルスは
平等に人に感染し死なせもする。

地球規模の
気候変動も同じである。

ポスト・コロナ時代の
パラダイムシフトが
コペルニクス的展開を
希求されるのであれば、
「優勝劣敗」「弱肉強食」
という生物学的正当性に依拠した
自由競争社会の常識が
覆されるべきであろう。

人類が永らく唱えてきた
「公平・平等」という理念が
実現化される為の
あらゆる資源・エネルギーが
注がれるトレンドが来ることを
願っている。

人類はウイルスでも繋がっているが、
インターネットでも繋がっている。

世界には、
野卑な政治屋や
野蛮な戦争屋だけでなく
高徳な人格者や崇高な科学者、
真っ当な導師が
必ずや存在するはずである。

それらの人たちを
大衆、人民、国民、個人が
見出して、担ぎ出して、
支持して、資金拠出をして、
エゴイストの現リーダーを
追いやることである。

第三次世界大戦にも
匹敵するほどの
多くの犠牲を出した
コロナの「戦後社会」こそは、
真っ当な人類社会を創出できる
最後のチャンスかもしれない。







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