
しばらく空き地で
見通しのよかった
旧・高橋さんちの跡地に
どなたかが越してくるようで、
毎日、トンテン、カンテンと
鎚の音が響いている。
その音があまりにも大きくて、
オフ日の朝にゆっくり寝ていたら、
その音を夢が取り入れて
魔物が壁を叩く音になって
壁を剥がしたら魔物の姿が見えて
ビビッたという
トホホな夢だった。

梅雨の雨に濡れて
新築の木材の香りが
プンプンと漂ってきて、
これはこれで楽器作りで
木が好きな人間には
悪くはないのだが・・・。
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魂理学随談
自殺衝動
奈保子 先生は、現在、5校のスクール・カウンセラーをなされていますが、昨今、子どもたちにも、深刻な心の問題で自殺未遂や既遂をするような子がいますね。
先生 はい。私も何人か抱えています。
奈保子 具体的には、どのように言葉かけをしていらっしゃるんでしょうか。
先生 そうですね…。「苦しくて、死にたい」と訴える深刻な抑うつ状態の子に対しては、まず、その苦しさを存分に聞いた後に、「今のこの苦しみは、後できっと生きてくると思うよ。だから、今はガンバラなくていいから、ゆっくり休もう。時間が必ず癒してくれるから。元通り元気になったら、また楽しく遊べるからね…」というようなことを話すことがあります。
奈保子 なるほど。頑張らなくていいことや、今の苦しみに意味があること、必ずよくなることを保証してあげるんですね。
先生 大人が十人いたら、九人までは、「しっかりしなさい」「もっと頑張って」と言ってしまうんですね。私自身の「うつ病」体験でもそうでしたが、「しっかりしろ」とか「もっと頑張れ」と言われると哀しくなって、ほんとに死にたくなっちゃうんですよ。
奈保子 以前に、「難儀を凌ぐ態度」として、「思い分け」「時節を待つ」「先を楽しむ」という三つを教えていただきましたが、これに「力を落とさずに休息する」というのもあるんですね。
先生 そうですね。それを加えてもいいですね。
奈保子 先ほどの「大いなるものに任せる」は、公立学校では「神様にお任せ」ということは話せないわけですから、やはり「成り行きに任せよう」とか「自然治癒力に任せよう」と言うことになるんですか。
先生 やっぱり、そうなるね。
奈保子 「うつ病」体験も人それぞれだとは思うのですが、病勢が増してくると、「死」というものをひしひしと感じるようになるのでしょうか。
先生 そうですね。私自身のことで言いますと、さほどに病勢が強くなくとも、「死にたい」と思うことはままありますよ。いわゆる「希死念慮」はしょっちゅう起こりますもの。
奈保子 それは、怖いことですねぇ。
先生 うん。怖いです。いつ、それが健常な自我を凌駕し、自分を持って行かれるか判らないから。
奈保子 もう、どうしようもない、とある意味、開き直ることはできないんですか。
先生 開き直れるのは、まだ、健常な自我が残っているときです。病的自我に呑み込まれたら、きっとオシマイですよ。
でも、その直前なら、これ以上はどうしようもない、自分としては打つべき手はすべて打った、と思えば、案外、開き直れるかもしれない。これ以上はもう、神様か自分の生命力に身を任せるしかないと思うんじゃないでしょうか。
奈保子 先ほどの話で言えば、「自己放下(ほうげ)」の心境に至るときですね。
先生 そう。精神的に追い込まれても、一縷の冷静さ、日頃の思い替えトレーニングの成果が出れば、あるいは、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり、ということになれるかもね。
奈保子 やはり、先ほどの話のように、深刻になり切ると、どうしようもなくなって、場合によっては、自殺に至ってしまうこともあるんでしょうね。
先生 そうです。だから、普段から、何事にも深刻にならないように心のトレーニングをしていなくちゃならない。そういう意味では、3.11の試練は、生き残ったということもあり、放射能汚染の中で生きていく覚悟を持ったということも、いいメンタル・トレーニングになっているのかもしれませんね。
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