『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

屋外練習場

2011-09-27 06:39:00 | ギター


この夏は、県庁裏の
「もみじ山公園」の東屋で
よくギターの練習をした。

セミの鳴き声が至る所から
シャワーのように降り注ぎ、
うるさいくらいだったが、
それもいつしか静かになってきた。

いつも車に練習用ギターが
裸で入れてあるので、
ちょっと街に出て、
隙間時間があると、
ここに寄っては小一時間
タリラと弾いていく。

最近、継続して練習しているので
自分でも少し技量が上がった実感がある。

来月からまた、
月例の発表会が毎月始まるので
そろそろ新たなシーズンの到来である。


**********


『道落もの』


 学問

 
 
 生物学部 
 大学の生物学科に入ったのは77年である。
 教育学部の特別理科という高校教員養成のコースだったが、内容は理学部と変わりないくらいにレベルが高かった。
 教授陣は、小田先生、松崎先生、樫村先生、蜂谷先生と、みな生物学博士がずらりとそろっており、教科書にも名前が載っている第一級の研究者たちであった。
 みなさん、故人となられて、当時、助手だった木村先生が、後には教授になられ、そしてすでに退官している。
 
 大学の2年間は、まだ浜田町の旧校舎だった。明治以来のボロボロの木造校舎の中に、理科棟だけが古いながらもコンクリートの建物だったので、なんだかその前を実験着の白衣を着てウロウロするのが妙に誇らしかった。
 1年の初めての前期試験で、生物学概論Ⅰという専門科目で全く試験勉強しないでのぞんだら、赤点を取ってしまい、生物学研究会の同輩や諸先輩方々から、生物学科で不合格になったのなんて、未だかつて一人もいなかった、と揶揄され、まったくもってバツが悪かった。
 これは松崎先生の講義だったが、先生のは発生学Ⅰでも赤点を2回も取ってしまって、しまいにはレポートにしてもらって、お情けで合格させてもらったのだから、情けないことこの上ない。
 だから、後年、指導教官の小田先生の退官記念パーティーで松崎先生にお会いしたときには、
「先生には足を向け寝れません」
 と、米搗きバッタみたいに、へりくだること仕切りだった。


 さほどに専門科目劣等生だったのである。
 テニスとギターとバイトばかりやっていて、ほとんど勉強していなかったのが、学部時代だった。だから、必修の無機物理化学Ⅰの単位を取るのに4年もかかってしまったし、成績証明書を今見ても、学部時代の成績は惨憺たるものだった。
 その最たるものが、小田先生の植物電気生理学実験の卒論研究が「良」だったことだ。卒論で「優」がもらえないのは、よっぽどのことらしい。一つ先輩だったカミさんにも、「そんなの、ありえない」と笑われた。
 まだ、勉強の本当の面白さが分かっていなかったのだろう。
 後年、三十代になって大学院に入り心理学に転向してからは、全科目「優」を取って、修論が学会誌に掲載されたので、学部時代とはえらい違いである。やはり、学問の意味や面白さは20代では分からなかったのかもしれない。









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