『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

三人称の死

2021-08-29 05:20:00 | ノンジャンル
きのう今日と
完全オフなので
「何をしてもいい」が
「何をしなくてもいい」
日でもあった。

30℃を越す晴天だったので、
海に行こうか
さんざん迷ったが、
「行きたい」
という意欲が
「休んでたい」
を凌駕できずに、
けっきょくはダラダラと
無為徒食の一日となった。

もっとも、
そんな日でも、
早朝からブログは書き、
小説も書き、臨書、
ピアノ練習、昼食夕食作り
というルーティンは
欠かさなかった。

その合間を
チンタラと横になったり
マッサージ機をやったり、
YouTubeを観たり
朝寝・昼寝をしたり…と、
真面目にステイ・ホームを守った(笑)。

きょうも
30℃超えの晴れ日になる。

さあて、
海山に行く気が
自分を行動化させるか…
楽してゴロゴロ・ライフになるのか…(笑)。




ステイ・ホームで
ルーティンばっかりでは、
さすがにブログネタもなく、
反則ワザの「新聞ネタ」しかない。

アメリカ・カナダの
「先住民同化政策」が
かくも非人道的だったことを
初めて知った。

映画『ソルジャー・ブルー』では
インディアン虐殺事件を
衝撃的に視て知っていたが、
子どもを親から引き離して
かくばかりの非道が
行われていては、
中国のウイグル弾圧を
「人権国家」として
どうこう言える立場でもなかろう。

ことに、
カトリック教会が
中心的に運営していたとは、
宗教戦争だけでなく、
「宗教」集団の狂気性が
疑われても仕方あるまい。

数年前に脱北した
金光教の教会でも、
教祖のみ教えに反して
信者に高額寄進を求めて困らせる
というトンデモナイ事があった。

陰でそんな非道をして、
教祖のみ教えを説かれても、
聞く耳を持たないし
貴重な時間を無駄にするので
在籍教会を棄てた。

夏休み中にも、
得手勝手で自己中の
知人の幾人かを
相手するのをやめた。

こちらの言う事に
聞く耳をもたない人に
つきあう道理はないのである。

困った時にのみ、
利用しようとする人は、
いっさい相手せず
勝手にドロドロやって下さいである。



新聞記事の
「神父が女生徒を妊娠させ、
嬰児を火葬して葬った」
という非道さは
衝撃的である。

これを「聖職者」というのか。
「性色者」というべきだろう。

またしても、
福大教授様カウンセラーの
異常性欲事件を彷彿させられた。

64歳のジジイ教授が
10代の女生徒に
性的いたずらをする。

枯れない野郎の
鬼畜の所業だ。

事件を起こした4月から
発覚する7月まで、
のうのうと何喰わぬ顔で
中高3校に赴き、
インテリ面、聖人面で
カウンセリングをしたり、
大学や院で女子大生を指導しながら
色欲の目を彼女たちのカラダに
注いでいたのだろう。

その"たましい"の穢れは
まさしく非道の神父の如きである。

人が普遍的に有する
「偽悪醜邪」について、
いまいちど自己点検をするのに
いい機会なのかもしれない。

それが、
このコロナ禍の神学的意味、
魂理学的意味なのかもしれない。



ワクチン接種後の死亡が
1002人となったが、
厚労省の公式見解は
「因果関係不明」という。

笑えない冗談である。

統計的には
1002人/5530万人=
およそ5万人に一人の
確率だから、
集団免疫獲得のためには
最小限の犠牲者と見做すのだろう。

金属微粒子が混入していた
アストラゼネカ製は
すでに50万人に接種されたが
「二人しか死んでないから」
とは言わないが(笑)
問題はない…と、
コーノタローが断言している。

1人/25万人の死亡者は、
この場合、無視してよい、
切り捨ててよい
「誤差」なのである。

これは、
交番所前にある
「今日の交通事故者○○人」
と同じ、数値化による
「三人称の死」という。

アフガンの空港での
自爆テロで「180人死亡」
というのと同じである。

人は「二人称の死」
すなわち「あなた」と呼べる
縁者・知人が亡くなって、
ようやく我が事に近い「死」と
認知するのである。

統計的数値の
非実存性については、
推理統計学の最初で教わる。

体重60㎏と70㎏の
二人の平均は65㎏だが、
そんな人は実在しない(笑)。

母集団の規模が大きくなると、
釣り鐘型のベルカーブという
「正規分布」が出来るが、
そうすると今度は
「標準値」やら
「偏差値」が登場し、
「ズレ」が問題化される。

ワクチン接種後、
1004名の方々が亡くなられたが、
その一人びとりには
お名前があり、
数十年という人生があり、
幾多の家族、友人知人が、
それぞれに在られたのである。

その実在・実存について、
統計的マジックにより
軽視・無視を決め込み、
想像力を働かせることを怠ると、
いずれ自分が
「斬り棄て御免」側となり
「一人称の死」と
向き合うことになるだろう。











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