年末寒波で
昨日の市内は
20cmの積雪だったという。
夜半から明け方まで
降り続いて、
今も降っているので
もう30cmくらいには
達しただろう。
50cm以上になれば
「大雪」という感じもするが、
今んところは、まだ、
「中雪」くらいだろう。
(檜枝岐村は110cm)
それでも、
さすがに、
これでは散歩に出るのも
億劫である。
きのうはまだ
降り始めだったので
サクサク雪を踏みつつ
歩いて用足しに出た。
近所の氏神様に寄り、
鳥居をくぐって出ると、
そこに自分だけの
足跡が残されていた。
雪の晩は
「雪明かり」が
楽しい冬景色のひとつである。
国道沿いの
店々の灯りを
雪面が反射し、
夜目が利くほどになるのは
非日常的で幻想的だなぁ・・・。
カミさんは、
今朝も午前中から
せっせと車の雪下ろしをして
近所のテニスクラブに
打ち納めに行った。
ほんにオヌシは
好きじゃのぉ・・・と、
感心する。
あたしゃ、
中・大・教員時代と
テニスをやり通してきたので
もうけっこう、コケッコー、
である(笑)。
ヽ( ̄д ̄;)ノ
きのうは、
ソータの棋王戦を
朝10時から5時の終局まで
ずっと観戦しどおしだった。
カミさんが
仕事納め出勤だったので、
居間にあるノートパソコンを
寝室に持ち込んでの
寝ながら観は楽だった。
いつもは、
書斎の机に座っての
デスクトップPC観戦なので
お尻が痛くなってしまう。
ふだんは、
“ながら観戦”なのだが、
今年最後の棋戦なので、
しっかり解説をも聞きながら
一手に30分かかるような場面も
じっくりと待ちながら観た。
すると、
やはり濃密に観た分だけ
棋戦にコミットできて、
ソータの緻密さ大胆さ、
じっくりと敵王を追い詰める
戦略性が手に取るように解り
いつもよりスリリングに楽しめた。
またしても
84手という最短手数で
相手を投了させた。
正午からの
40分の昼食休憩時間には
自分も台所におりて
インスタント・ラーメンを作ってもどったが、
ソータは15分ほどで
「カレーうどん&おにぎり」を平らげて
すぐに対局室にもどって
盤面を凝視していた。
勝負に対する
「全人的関与」が
まさに天才ならではの
凄まじいほどの集中力なのだろう。
高1の少年棋士に
“命を削って”という形容が
相応しいかどうか判らぬが、
自分もファイナル・リサイタルに向けて
この姿勢は見習わねば
と思わされた。
終盤に
ソータの駒台に
「桂馬」が三枚ならんだ。
去年の正月特番では
「三桂あって詰まぬことなし」
という諺を用いて
得意の創作詰め将棋を
出題していた。
「桂使いの名手」が
「三桂」を持ったのだから、
ソータ・ファンなら
その言葉を思い出して
勝ちを確信したことだろう。
事実、アッと驚くような
華麗な「焦点の桂打ち」と
解説者も読めなかった
銀打ちで相手を投了させた。
まさしく、
「三桂あって詰まぬことなし」
を証明してみせた。
この正月にも
特番でまた
詰め将棋を披露するようだ。
録画ストックしてあった
アル・パチーノの
『カリートの道』を観た。
二度目のはずだが、
いい按配にすっかり忘れていた。
アル・パチーノ作品は
デヴュー以来、
全作鑑賞している。
白眉はやはり
『ゴッドファーザー』の
マイケル役である。
あの渋さ、存在感、
迫力はどうだろう。
彼に匹敵する
日本の俳優がすぐには
思い浮かばないほどだ。
邦画の『横道世之介』は、
まあまあ面白かった。
途中から
サブキャラの回想と現在とが
入り混じり、
また「時間軸交錯もの」かぁ~と、
すこしイラッときたが、
還暦世代はこの形式が
苦手というかキライなのだ・・・(笑)
2.5時間の長尺だが、
リアルタイム進行していた
物語の途中で、
未来(現在?)枠になり、
世之介が鉄道事故で
死んだニュースが挟まれる。
この主人公は35歳で死ぬんだ、
ということを観る側に識らされ、
そこからの延々1時間ほどは、
回顧録的場面を辿るような
作品構成になっている。
倒叙法的ミステリーを観るようだが、
最後に世之介が亡くなって
三ヵ月後の母の言葉に
「この世であの子に出会えたことが
いちばんの幸せだった」
というセリフはよかった。
なるほどなぁ・・・。
そのセリフの重みを感じさせるための
倒叙法だったのかもしれない。
「天然」の世之介と
「世間ズレ」したお嬢様との
ふたりの恋愛関係は
微笑ましいものではあった。
昨日の市内は
20cmの積雪だったという。
夜半から明け方まで
降り続いて、
今も降っているので
もう30cmくらいには
達しただろう。
50cm以上になれば
「大雪」という感じもするが、
今んところは、まだ、
「中雪」くらいだろう。
(檜枝岐村は110cm)
それでも、
さすがに、
これでは散歩に出るのも
億劫である。
きのうはまだ
降り始めだったので
サクサク雪を踏みつつ
歩いて用足しに出た。
近所の氏神様に寄り、
鳥居をくぐって出ると、
そこに自分だけの
足跡が残されていた。
雪の晩は
「雪明かり」が
楽しい冬景色のひとつである。
国道沿いの
店々の灯りを
雪面が反射し、
夜目が利くほどになるのは
非日常的で幻想的だなぁ・・・。
カミさんは、
今朝も午前中から
せっせと車の雪下ろしをして
近所のテニスクラブに
打ち納めに行った。
ほんにオヌシは
好きじゃのぉ・・・と、
感心する。
あたしゃ、
中・大・教員時代と
テニスをやり通してきたので
もうけっこう、コケッコー、
である(笑)。
ヽ( ̄д ̄;)ノ
きのうは、
ソータの棋王戦を
朝10時から5時の終局まで
ずっと観戦しどおしだった。
カミさんが
仕事納め出勤だったので、
居間にあるノートパソコンを
寝室に持ち込んでの
寝ながら観は楽だった。
いつもは、
書斎の机に座っての
デスクトップPC観戦なので
お尻が痛くなってしまう。
ふだんは、
“ながら観戦”なのだが、
今年最後の棋戦なので、
しっかり解説をも聞きながら
一手に30分かかるような場面も
じっくりと待ちながら観た。
すると、
やはり濃密に観た分だけ
棋戦にコミットできて、
ソータの緻密さ大胆さ、
じっくりと敵王を追い詰める
戦略性が手に取るように解り
いつもよりスリリングに楽しめた。
またしても
84手という最短手数で
相手を投了させた。
正午からの
40分の昼食休憩時間には
自分も台所におりて
インスタント・ラーメンを作ってもどったが、
ソータは15分ほどで
「カレーうどん&おにぎり」を平らげて
すぐに対局室にもどって
盤面を凝視していた。
勝負に対する
「全人的関与」が
まさに天才ならではの
凄まじいほどの集中力なのだろう。
高1の少年棋士に
“命を削って”という形容が
相応しいかどうか判らぬが、
自分もファイナル・リサイタルに向けて
この姿勢は見習わねば
と思わされた。
終盤に
ソータの駒台に
「桂馬」が三枚ならんだ。
去年の正月特番では
「三桂あって詰まぬことなし」
という諺を用いて
得意の創作詰め将棋を
出題していた。
「桂使いの名手」が
「三桂」を持ったのだから、
ソータ・ファンなら
その言葉を思い出して
勝ちを確信したことだろう。
事実、アッと驚くような
華麗な「焦点の桂打ち」と
解説者も読めなかった
銀打ちで相手を投了させた。
まさしく、
「三桂あって詰まぬことなし」
を証明してみせた。
この正月にも
特番でまた
詰め将棋を披露するようだ。
録画ストックしてあった
アル・パチーノの
『カリートの道』を観た。
二度目のはずだが、
いい按配にすっかり忘れていた。
アル・パチーノ作品は
デヴュー以来、
全作鑑賞している。
白眉はやはり
『ゴッドファーザー』の
マイケル役である。
あの渋さ、存在感、
迫力はどうだろう。
彼に匹敵する
日本の俳優がすぐには
思い浮かばないほどだ。
邦画の『横道世之介』は、
まあまあ面白かった。
途中から
サブキャラの回想と現在とが
入り混じり、
また「時間軸交錯もの」かぁ~と、
すこしイラッときたが、
還暦世代はこの形式が
苦手というかキライなのだ・・・(笑)
2.5時間の長尺だが、
リアルタイム進行していた
物語の途中で、
未来(現在?)枠になり、
世之介が鉄道事故で
死んだニュースが挟まれる。
この主人公は35歳で死ぬんだ、
ということを観る側に識らされ、
そこからの延々1時間ほどは、
回顧録的場面を辿るような
作品構成になっている。
倒叙法的ミステリーを観るようだが、
最後に世之介が亡くなって
三ヵ月後の母の言葉に
「この世であの子に出会えたことが
いちばんの幸せだった」
というセリフはよかった。
なるほどなぁ・・・。
そのセリフの重みを感じさせるための
倒叙法だったのかもしれない。
「天然」の世之介と
「世間ズレ」したお嬢様との
ふたりの恋愛関係は
微笑ましいものではあった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます