『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

ベスト・ムービー

2021-03-07 07:00:00 | 映画
京都から帰福したばかりの
30年前頃は、
『フォーラム』の会員になり、
自由業なのをいい事に
平日の昼間っから
映画館推奨のB級映画なぞも
悉く鑑賞していた。

その後に、
『マイカル』が出来ても
フォーラム会員でいたが、
規約が変わったのを機にやめてしまい、
あまり劇場に足が向かなくなった。

ブルーレイ・レコーダーを
2台購入してからは
BSや民放の放映作品を
録画してストックして観る
"おうちシネマ"が
もっぱらとなった。

寝室の足元に
大画面を設置し、
両サイドには
ステレオのスピーカーがあるので、
あとは遮光カーテンを引けば、
昼間っからでも、
大画面・大音声を
カウチ・スタイルで楽しめるので
これで年に100本以上は観てきた。

録画作品の合間には、
近所の『ゲオ』や
『創夢館』(閉店した)で
借りてきては観てたが、
しまいに観尽くして
借りる作品がなくなり、
仕方なくヤクザ映画まで観た(笑)。

HPには、
ベスト・ムービー
『生涯の10本』
が挙げてある。

1.『眼下の敵』
2.『刑事コロンボ 別れのワイン』
3.『バベットの晩餐会』
4.『男はつらいよ 寅次郎紅の花』
5.『ブラザー・サン・シスター・ムーン』
6.『ロミオ&ジュリエット』
7.『小さな恋のメロディー』
8.『Shall We ダンス?』
9.『めぐり逢う朝』
10. 『リング』




その第4位に
ランクインしているのが、
昨晩も放映された
『男はつらいよ 寅次郎紅の花』
である。

もう、すでに、
何度も観ているが、
また、録画で4K版を鑑賞し
名作を味わった。

『寅さんシリーズ』は
全作品を何度も見たが、
これ1本といったら、
やはりスピンオフ的作品を
カウントせずば、
事実上の最終回の本作を
挙げることになろう。

本作後に、
渥美 清の突然の死で、
シリーズは終焉を迎えたからである。

奇しくも、この作品は
シリーズ全体の
「ひとつの結末」といって
差支えがなかろう。

光男と泉エピソード・シリーズの
紆余曲折後の大団円。

リリーと寅との
淡い「つかず離れず」の関係。

そして、
阪神大震災とその後の復興・・・。

人間の永遠のテーマである
「男女の関係」
「世代交代」
「定住と流浪」
「死と再生」などが
本作の底流に描かれている。

ここにおいて、
ヤクザな若造だった寅は、
見事に垢抜けて、
宮沢賢治の理想とした
「デクノボウ」や
良寛の自称した「大愚」、
一休が生きた「風狂」、
といった、聖人の生き方を
体現するに至っている。

これ以前の作中でも、
ご前様が
「寅のような人間のほうが、
わしらよりも、お釈迦様に
愛されるのではないか、
と思うとるんです・・・」
と言うシーンがある。

昨晩の放映前には、
松竹社員を前に対談した
山田監督が、
俵 万智の寅を歌った短歌に
対してコメントして
笑いを誘った。

 自己責任、非正規雇用、生産性
  寅さんだったら
   何て言うかな

「寅には生産性なんて
まったくないし、
一生、非正規雇用だし(笑)、
責任なんてまったく取らないし・・・」

それでも、
そんな「はみ出し者」にも
寛容な時代があったという。

たしかに、
現代は「非寛容性」というのが、
人類全体の大きな心的問題として
浮上してきた。

相手を認めない、許せない。

ヘイトスピーチや
ヘイトクライムの横行が
目に余るものがある。

そして、
「表現の不自由性」というので
息が詰まりそうな社会になってきた・・・
と、山田監督は溜息をもらした。

傑作と思われる
『紅の花』の放映前のテロップには、
「作品内容を尊重して
そのまま放映いたします」
と流されたが、
再度、視聴して、何処が
それに抵触するんだろうか、
と考えたら、どうも、
障碍のある俳優・神戸 浩が
劇中、健常者のミツオに対して
幾度も「バカ!」と
軽く侮る場面以外に
見当たらなかった。

もう、この時代は、
「ばか」も「あほ」も
立派な差別語になって
言ってはイケナイのか・・・。

***

『寅さんシリーズ』全50編を
俯瞰して見ると、
車 寅次郎という私生児で
無学の粗野な人間性が、
苦難を伴う失敗体験と、
家族の見守りと愛情によって、
その人間性が陶冶され
洗練されてゆく「自己実現の過程」
であることに気付く。

『男はつらいよ』とは、
スピリチュアル視点から見ると、
民俗学者・折口信夫の唱えた
たましいレベルでの
「貴種流離譚」とも言える。

それは、本来は、
若い神や英雄が
他郷をさまよい、
さまざまな試練を克服し、
その結果、神や尊い存在となる・・・
という物語の一元型である。

愚直な寅が、晩年(渥美 清の・・・)、
若い甥っ子のミツオらを善導する様は、
宗教の導師・尊師のようにも見え、
そこに高貴ささえ感ずるのである。

典型的なトリックスター性を持つ寅は、
ある意味、心理師・カウンセラーに通ずる
変容を仲介する「触媒」的存在でもある。

なので、
逆に我われは、
寅の姿勢に、その事の重要性を
再認識させられるのである。

山田監督の回顧談にも、
「渥美さんは、
長らく、演じていて、
自分は寅を愚か者と軽く見て、
自分とは違ったものとして
演じていたが、
ひょっとすると、
そうではないのではないか・・・と、
気付き、もっと人間として
ちゃんと生きなくてはならない、
と思い直して、私生活でも
すべての虚飾を排して
寅に没入していった・・・」
と語っていた。

渥美がそうシフトアップした
全50作のある時点で、
チンピラ、フーテン、的屋、
"単なる愚か者"から脱却して
人間・車 寅次郎として
全人的に生きる姿に変化しただろうし、
その姿は、一休・良寛に通ずる
破天荒でトリックスター性を持った
「聖僧」のように映ったのであろう。



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