『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

半隠居

2017-05-18 08:07:00 | 風景
GWを過ぎても
平日に三日も休みがあると
なんだか調子が狂ってしまうが、
芹沢光治良の
『神との対話』シリーズを
連読しているせいか、
すべてに意味があり、
神の計らいなのだと
思うことにした。

事実、左首の痛みも
まだ完治には至っておらず、
全身の痒みもあり、
右耳に「サーッ」という
ホワイト・ノイズが
数週間も続いている。

単なる風邪気味の体調なのか、
アレルギーが続いているのか、
60歳の節目の心身の変調なのか、
むかしで言う結核患者の
安静療法のつもりで、
平日のオフ日を自宅で
静養して過ごしている。

朝夕、ご神前で、
家族一同、大難を小難に、
小難を無難に奉り替え下さい、
とご祈念している。

きっと、いっぺんにデトックスすると
痛みと苦しみで
心身が参っちゃうので、
痛みは痒みに、眩暈は耳鳴りに、
親神様が奉り替えて下さっているものと
ありがたく受けとめさせて頂いている。

42歳の厄年には
しっかりと「うつ病」を患い、
爾来、18年間、従病(しょうびょう)し
今も予防に服薬を続けている。

還暦もまた、
自分にとっては、
大きな「死と再生」の
節目なのかもしれない。



再来週のリサイタルでは、
黒のウェスト・コートと
還暦コスチュームの
赤シャツを着るつもりだが、
それは、めでたさの色というよりも、
むしろ、少女が大人になる初潮のような
血の色の象徴のようにも思えてきた。

まさに、
生まれ変わりの
「歳柄」なのだ。

深層心理学の象徴解釈でも、
心の発展の過程は
原初の黒(ニグレド/全てを包含)から始まり、
変化の赤(ルベド/血と火の象徴)、
浄化・再生の白(アルベド)、
そして、究極の金(普遍の完成状態)へ至る
と考えられている。





先日の金剛山ハイキングで、
僥倖にも筍を掘り当てたのに
射幸心を刺激され、
フキノトウ・フィーバーに替わって
タケノコ・フィーバーの
マイ・ブームがきた(笑)。

オフ日になると、
竹の自生地を
あてどもなく彷徨い、
路傍に停車しては
藪漕ぎしてタケノコを
探し回っている(笑)。

その様は、まるで
飢えたパンダか、
遭難も恐れぬ
山菜狂老爺の如しである。

地上のお宝探しは、
犬も歩けばナントヤラで、
ちゃーんとお目当てを
ゲットできるから、
益々、病膏肓に入るようになりそうだ。

今日も、朝から、
「あ~ッ。タケノコ採りてぇ~ッ!!」
と山菜狂老爺の血が騒ぐ(笑)。

ε=ε=ヾ(*。>◇<)ノ






リサイタルでやる
ピアノ・ソロの
『風の谷のナウシカ』の
アナリーゼをしながら、
録音をくり返し、
どうにか納得できるレベルまできた。

作曲者(久石 譲)の
ライナーノートを読み、
曲中に記されている
フランス語表記を忠実に表現すべく
脳内のイメージを喚起させながら
指先に指令を伝えている。

こうなると、
ギターもピアノも一緒で、
要は表現したい音楽を
たまたまピアノという媒体で
音を作っているというだけである。

『ナウシカ』だけは
ギターに編曲しても
オリジナルのピアノには
とても及ばないので、
ピアノでやるのがベスト
というわけである。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« リトライ | トップ | 病膏肓に入る »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

風景」カテゴリの最新記事