カラダが
デトックスの最中なのか、
皮膚のあちこちに
小さな出来物ができては
化膿している。
排毒作業に
エネルギーを使っているので、
精神運動エネルギーが
分配されず
現在の「抑うつ症状」が
あるかもしれない。
「鬱」とは
「鬱血/鬱滞」と
「止まる」ことを意味する。
金光教では
体毒・心毒の“お取りさばき”
と言うが、デトックスされる時は
それなりの痛みと苦しみを伴うという。
教典には、
「いっぺんにお取りさばきすると
命に係わるので、少しずつ、
お取りさばきして頂いている」
というみ教えがある。
また、
「日頃は、大便・小便にて
体毒・心毒のお取りさばきを
頂いているのである」
というので、
それも道理である。
デトックスの過程では
難負けしないように、
「難はみかげ」
「死んでもままよ」
という
大悟の境地に
心が開いていないと
やり過ごすことができない。
「I am」=「神」ならば、
何故に難儀を負うのか…。
それは、
受肉した故なのだろう。
純粋存在の「I am」には
苦痛は存在しない筈である。
【実在するものは脅かされない】
ので、
唯一無二の実在である「I am」は
本来、苦痛に脅かされるものではない。
脅かされているのは、
それが投影された
ホログラムの「自我」なのであり、
それが「実在するもの」と
錯覚しているからなのである。
でも、
この痛み、苦しみは
実在しているかのように
たしかに感知されている。
何のために?
For what ?
「喜び」と「哀しみ」
「痛み」と「無痛」
すべては相対的な極性の
スペクトラム(連続体)である。
0レベルがあって、
+にも-にも触れるのが
「変化」の世界であり、
それが「宇宙」「神」が
そう在るように創られているのだろう。
完全無欠・完璧においては、
何も始まらず、何も終わらない、
よって、それは無に等しく、
本来の「空」なのかもしれない。
とすれば、
「痛み」も「苦しみ」も
実在の証しであり、
宇宙の変化の一極性で、
人為的な価値評価とは
無縁のものなのだろう。
「生」と「死」が、
「N/S」「+/-」などの
極性の違いと同じように、
単なる状態相の違いに
過ぎないのだろう。
そもそも、
「痛み」とは、
活動電位(action potential)による
脳内の興奮である。
生物学科の卒論が
「植物電気生理学」であった。
細胞はすべて膜を介して
内外の間に
静止電位(resting potential)があり、
リンゴの実でも針を刺すと
活動電位(すなわち痛み)が発生する。

山深い僻地校の
Y中の体育館の裏に、
ヨモギの群生を見つけたので、
昼休みに袋いっぱい採集してきた。
子どもの頃から
隈畔(わいはん/阿武隈河原)で
遊んでいたので、
餅草(ヨモギ)は
その形と臭いで間違うことはないが、
念の為に、地元の用務員さんに
訊いてみたら、
「ここら辺にはトリカブトはないですよ」
とのことだった。
元・生物の教員ではあるが、
念の為に、鑑別ポイントを
検索してみた。
葉の表面
よもぎ:柔らかそう
トリカブト:つるつるで光沢がある
葉の裏
よもぎ:白い産毛がふさふさ
トリカブト:白く見えても触るとつるつる
香り
よもぎ:ある
トリカブト:ない
『バスクリン』のツムラのHPで
「よもぎ湯」のレシピがあったので
それに従ってみた。
たしかに、バスクリンを
ほんのちょっとだけ入れたような
やや薄緑色のお湯になったが、
臭いはほんのりと香るていどで、
あんがいにいいものだった(笑)。
漢方では生薬として
「艾葉(がいよう)」と呼ばれ、
それは「病を止める」という
意味だそうな。
抗菌、消炎、止血、鎮痛などの
作用があるという。
「蓬湯」は、
主に血行促進による鎮痛作用があり、
凝りや神経痛に効果的らしい。
「やまや」には
蓬も含まれる薬草系リキュール
「アブサン」があったので、
買ってみようかと思う。
しばらくは、
プチ・マイブームのアイテムとして
“ヨモギ・ライフ”してみっか…と、
坐骨神経痛の爺様は考えている。
あ、そ、そ…
草餅と草団子も
探してこなっきゃ…(笑)。
「坐骨神経痛 VS ヨモギ」
の鎮痛効果の
生体実験だぁーい(笑)。
あ、そーだ。
根っこごと抜いてきて、
裏庭で育てたろうかしらん(笑)。

きのうは
久しぶりの給食だった。
袋麺だったので、
スープだけ
給湯室でレンチンしたら
いつもより熱々で食せ、
まあまあのあんばいだった。
いっそ、
袋麺もチンすりゃよかった、
と後で思った。
⁂
またしても、
JCがコロナ因の
プチデプ(鬱)になり、
睡眠障害と希死念慮があるので
いつもお世話になっている
ドクターに紹介状をしたためた。
初期の状態では、
SSRI(抗うち剤)でなく、
『抑肝散』という漢方の処方で
改善した生徒もいるので、
今回も処方されるかもである。

ようやく“マゴっち”が
命名されて“リッくん”になった。
「陸」というのは、
40年来、学校社会にいるが、
あまり見聞きしたことがない。
息子たちは
「文治」「鑑順」「夏穂」
とそれぞれ二字名だったが、
久しぶりの一字名で、
「修」「博」(兄)「明」(父)
の世代に先祖返りしたような
気がしないでもなかった。
「佐々木 陸」
フミの永年の親友が
「リー君」なので、
「R」の響きに
馴染みがあったのかなぁ…と、
思ってしまった。
なので、
“マゴっち”は
「リッくん」になるんかなぁ…。
きのうは
「リッくん…
元気にすくすく成長しますように」
と初めて
神前ご祈念させて頂いたら、
胸がジーンとした(笑)。
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