2月7日から
『リュート・マラソン』と銘打って
毎日、Facebookに
ギター曲を投稿している。
ブログ同様に
偏執者らしく
しつこく続いている(笑)。
自分でも、
もうそろそろ
飽きるかと思っていたが、
事が自分の中核に近い
「ギター音楽の追求」なので、
かえってのめり込んでいる風である。

スマホとOBS(動画ソフト)と
スクール・リバーブ(残響アプリ)の
三点セットでの素人作りだが、
それでも、自己満足できる
ていどには撮れている。
ただし、演奏ミスだけは
どうにもならないが…。
あんまり、
しつこく、撮り直しなぞすると、
嫌気がさしてくるので、
ミスも許容範囲と割り切っている。
「ミス」については、
公開演奏するに当たって、
ずいぶん悩んできたが、
最近、ようやく
開き直れるようになった。
それには、
フジコ・ヘミングの言葉が
勇気を与えてくれた。
「間違えたっていいじゃない。
機械じゃないんだから」
「私はミスタッチが多い。
直そうとは思わない。
批判する方が愚かしい」
「ぶっ壊れそうな鐘があったって
いいじゃない…」
(『ラ・カンパネラ』について)
「超絶技巧に中身
(人間的、愛、頭)がなければ、
うつろな響きしか出ません。
そんなものは機械でやった方が
良いでしょう。
演奏家の人格と頭脳は、
必ず演奏に表れます」
「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」

「初心者はピアノを弾くための
指の練習なんかしないほうがいい。
曲の中には、とんでもなく
難しい部分があるでしょ。
私はその曲の中で、
指の練習をすることにしているの。
人生は、指の練習をしているには
短すぎるし、第一、意味がないもの」

「ピアニストは
綺麗な手をしている人が多い。
手をとても大事にしているから。
私の手はちっとも綺麗じゃないけれど、
表情に満ちている」

通読している『ゴルゴ13』の
新刊を買って、
レンタルでも新刊を3冊ほど
借りてきた。
高温多湿環境と
エアコンによる
低音少湿環境を
頻繁に出入りしているせいか、
自律神経が、いささか失調気味である。
それが、カラダの怠さや
背中の痛み、胃腸の不快感などに
現れ来つつある。
つくづくHSPの
過敏な面が
恨めしくもある。
でも、生きてる限り、
仕方ないと思って、
それなりに対処している。
スピリチュアルな解釈では、
これらを含めて
「すべて」を体験するために、
受肉して、この世にやってきた
「魂」だもんね(笑)。
純粋な精神性や意識性、
魂だけの存在では、
無感覚・安楽に過ぎて、
やっぱり、この感覚に満ちた
肉体世界・物質世界が
懐かしくなるのかもしれない。

いろんな「耳学問」を求めて
YouTubeをサーフィンしているが、
今朝、引っかかったのは、
東大の数理研で発表された、
「ホログラフィック説」である。
これは、
あの天才ホーキングが、
ブラックホールの表面には
情報が書き込まれている
という事を証明したことにより、
それをさらに数式で発展させて、
我われの世界は二次元情報が
「量子もつれ」によって
投影されたホログラムである、
という説である。
超天才のアインシュタインが
気付いていながら
認め難かった「量子もつれ」が
今日では実験で証明されており、
それが、じつは宇宙と存在の謎を解く
核心的なパスルのピースである事が
解ってきたのである。
宇宙は「量子真空」という
エネルギーに満ちた「特異」な状態から
ビッグバン→インフレ―レーションを経て
今日の時空や物質界が誕生した。
「E=mc²」
(エネルギー=物質×光速の二乗」
という公式から、
エネルギーは物質に転換するものであり、
逆も然りである。
生物を含む物質は全て
原子やそれを構成する素粒子から
出来ており、それらは、
量子的な特異的な振る舞いをする。
特徴的なのは
「粒子」と「波」の両性質がある、
ということである。
そして、波動関数や
波動方程式から導かれたのは、
あらゆる「物」は、
波のようなエネルギー状態で
存在しているが、
観測された瞬間に
粒子に姿を変える、
ということである。
我われが目をつむっている間は、
世界は存在せず、
ただ波動エネルギー状態にあるが、
目を開けた瞬間に
世界として現前化するのである。
これを、
ゲーム画面で説明した動画があった。
つまり、ある動的なゲームの
瞬間の画面は、都度都度に
「0」「1」のデータが
画素(粒子)に変換されるのであって、
最初っから、すべての画面が
あるのではない、というのである。
別な喩えで言えば、
列車の最後尾に立って、
後方の景色を見ていると、
次から次へと風景が変わるが、
これは、前もって
景色が出来ているのではなく、
「観る」というアクティヴな行為により
初めて、景色がそこに立ち上がってくる、
ということでもある。
この思考実験は、
「決定論」でも、よく使われるが、
その場合は、未来までの全ては
すでに決定しており、
「列車が進む」という
「時間」の流れによって、
決まっている景色が観れるに過ぎない、
という説明である。
また、これは、
初期条件が未来を全て決定する、
ということで、
ビリヤードの最初のブレーク
(セットした玉をはじくこと)が、
何秒後かの状態(未来の結果)を決定する、
という説明もよく使われる。
ここにパラレル宇宙説を持ち込むと
「初期値」(ビッグバンの仕方)が違えば、
ありとあらゆる無限の結果(宇宙)が
創生される、ということになる。
さらに、そこに、量子力学の
「重ね合わせ」の理論を
誤用かこじつけると、
それらの宇宙はすべて
重ね合わさられて存在している、
と考えることもできる。
スピリチュアル本には
そのような宇宙観を説くものも
少なくない。
深層心理学的や臨床心理学的に
それらにコメントするならば、
そのような「ファンタジー」や「物語」が
自我(意識)に「安寧」や「安心立命」感を
供与するのであれば、
それはそれで結構…
というスタンスである。
それを宗教では…
【信ずる者は救われる】
【イワシの頭も信心から】
・・・と、言ったのかもしれない(笑)。
『リュート・マラソン』と銘打って
毎日、Facebookに
ギター曲を投稿している。
ブログ同様に
偏執者らしく
しつこく続いている(笑)。
自分でも、
もうそろそろ
飽きるかと思っていたが、
事が自分の中核に近い
「ギター音楽の追求」なので、
かえってのめり込んでいる風である。

スマホとOBS(動画ソフト)と
スクール・リバーブ(残響アプリ)の
三点セットでの素人作りだが、
それでも、自己満足できる
ていどには撮れている。
ただし、演奏ミスだけは
どうにもならないが…。
あんまり、
しつこく、撮り直しなぞすると、
嫌気がさしてくるので、
ミスも許容範囲と割り切っている。
「ミス」については、
公開演奏するに当たって、
ずいぶん悩んできたが、
最近、ようやく
開き直れるようになった。
それには、
フジコ・ヘミングの言葉が
勇気を与えてくれた。
「間違えたっていいじゃない。
機械じゃないんだから」
「私はミスタッチが多い。
直そうとは思わない。
批判する方が愚かしい」
「ぶっ壊れそうな鐘があったって
いいじゃない…」
(『ラ・カンパネラ』について)
「超絶技巧に中身
(人間的、愛、頭)がなければ、
うつろな響きしか出ません。
そんなものは機械でやった方が
良いでしょう。
演奏家の人格と頭脳は、
必ず演奏に表れます」
「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」

「初心者はピアノを弾くための
指の練習なんかしないほうがいい。
曲の中には、とんでもなく
難しい部分があるでしょ。
私はその曲の中で、
指の練習をすることにしているの。
人生は、指の練習をしているには
短すぎるし、第一、意味がないもの」

「ピアニストは
綺麗な手をしている人が多い。
手をとても大事にしているから。
私の手はちっとも綺麗じゃないけれど、
表情に満ちている」

通読している『ゴルゴ13』の
新刊を買って、
レンタルでも新刊を3冊ほど
借りてきた。
高温多湿環境と
エアコンによる
低音少湿環境を
頻繁に出入りしているせいか、
自律神経が、いささか失調気味である。
それが、カラダの怠さや
背中の痛み、胃腸の不快感などに
現れ来つつある。
つくづくHSPの
過敏な面が
恨めしくもある。
でも、生きてる限り、
仕方ないと思って、
それなりに対処している。
スピリチュアルな解釈では、
これらを含めて
「すべて」を体験するために、
受肉して、この世にやってきた
「魂」だもんね(笑)。
純粋な精神性や意識性、
魂だけの存在では、
無感覚・安楽に過ぎて、
やっぱり、この感覚に満ちた
肉体世界・物質世界が
懐かしくなるのかもしれない。

いろんな「耳学問」を求めて
YouTubeをサーフィンしているが、
今朝、引っかかったのは、
東大の数理研で発表された、
「ホログラフィック説」である。
これは、
あの天才ホーキングが、
ブラックホールの表面には
情報が書き込まれている
という事を証明したことにより、
それをさらに数式で発展させて、
我われの世界は二次元情報が
「量子もつれ」によって
投影されたホログラムである、
という説である。
超天才のアインシュタインが
気付いていながら
認め難かった「量子もつれ」が
今日では実験で証明されており、
それが、じつは宇宙と存在の謎を解く
核心的なパスルのピースである事が
解ってきたのである。
宇宙は「量子真空」という
エネルギーに満ちた「特異」な状態から
ビッグバン→インフレ―レーションを経て
今日の時空や物質界が誕生した。
「E=mc²」
(エネルギー=物質×光速の二乗」
という公式から、
エネルギーは物質に転換するものであり、
逆も然りである。
生物を含む物質は全て
原子やそれを構成する素粒子から
出来ており、それらは、
量子的な特異的な振る舞いをする。
特徴的なのは
「粒子」と「波」の両性質がある、
ということである。
そして、波動関数や
波動方程式から導かれたのは、
あらゆる「物」は、
波のようなエネルギー状態で
存在しているが、
観測された瞬間に
粒子に姿を変える、
ということである。
我われが目をつむっている間は、
世界は存在せず、
ただ波動エネルギー状態にあるが、
目を開けた瞬間に
世界として現前化するのである。
これを、
ゲーム画面で説明した動画があった。
つまり、ある動的なゲームの
瞬間の画面は、都度都度に
「0」「1」のデータが
画素(粒子)に変換されるのであって、
最初っから、すべての画面が
あるのではない、というのである。
別な喩えで言えば、
列車の最後尾に立って、
後方の景色を見ていると、
次から次へと風景が変わるが、
これは、前もって
景色が出来ているのではなく、
「観る」というアクティヴな行為により
初めて、景色がそこに立ち上がってくる、
ということでもある。
この思考実験は、
「決定論」でも、よく使われるが、
その場合は、未来までの全ては
すでに決定しており、
「列車が進む」という
「時間」の流れによって、
決まっている景色が観れるに過ぎない、
という説明である。
また、これは、
初期条件が未来を全て決定する、
ということで、
ビリヤードの最初のブレーク
(セットした玉をはじくこと)が、
何秒後かの状態(未来の結果)を決定する、
という説明もよく使われる。
ここにパラレル宇宙説を持ち込むと
「初期値」(ビッグバンの仕方)が違えば、
ありとあらゆる無限の結果(宇宙)が
創生される、ということになる。
さらに、そこに、量子力学の
「重ね合わせ」の理論を
誤用かこじつけると、
それらの宇宙はすべて
重ね合わさられて存在している、
と考えることもできる。
スピリチュアル本には
そのような宇宙観を説くものも
少なくない。
深層心理学的や臨床心理学的に
それらにコメントするならば、
そのような「ファンタジー」や「物語」が
自我(意識)に「安寧」や「安心立命」感を
供与するのであれば、
それはそれで結構…
というスタンスである。
それを宗教では…
【信ずる者は救われる】
【イワシの頭も信心から】
・・・と、言ったのかもしれない(笑)。
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