『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

リアルファンタジー『名人を超える』6

2022-09-03 08:30:12 | 創作

*6*

 

 人間は常に変わり続けているわけですが、何かを知って生まれ変わり続けている、そういう経験を何度もした人間にとっては、死ぬということは特別な意味を持つものではない。

 現に、過去の自分は死んでいるのだから。 

                             養老 孟司  


 

「おねがいします」

「おねがいします」

 あたかもタイトル戦のように、羽織袴姿の正装で相対した師弟は、いくらか緊張した面持ちで互礼した。

「新人王」戦で見事優勝を果たしたカナリは、その栄誉と共に、「指名対局」の権利をも得た。

 当然のことながら、彼女が願い出たのは、師匠である永世八冠である。 

 師匠も、かつて新人王戦で優勝し、それまでに一度も勝てたことのなかった当時の最強「竜王」を相手に、非公式戦ながら辛勝した事がある。

 そして、その後、その相手とは、王位戦・叡王戦・・・と、もろもろのタイトル戦を一騎打ちで闘うことになるのである。 

 宿敵との何十番勝負という死闘を繰り返し、八大タイトル戦をすべて勝ち切り、棋界初の「八冠」を達成した。

 なお且つ、その後に、すべて5年連続の防衛を果たしたので、「永世八冠」という前人未踏の栄誉にも資することになった。 

 その偉大な先達にして、「不世出の大天才」に拾われ、唯一の弟子とさせて頂いた事の僥倖に、カナリは、それまでの不幸な生い立ちやら、不遇やら、すべての事が相殺されて、まだ尚、お釣りがくるほどだ・・・と、自らの幸運を神に感謝した。

 

 ソータは、いつもの「8四歩」を指すと、初めてカナリが荷物ひとつで我が家にやってきた日の事を思い出していた。

 まるで、世の中から捨てられた仔犬のようで、自分や妻のように世間の脚光を浴び続けた人間とは明らかに違う「陰」のようなものがあった。

 彼女は、両親を知らない『愛聖園』という施設の子であった。

 生まれてすぐ「赤ちゃんポスト」に捨てられたのである。

 その誕生を父親からも母親からも祝福されず、篤志家の院長が設けた病院に置き去りにされた「捨て子」なのである。

 遺棄されたり、虐待死を免れただけでも、その命にとっては、神のくれた祝福だったのかもしれない。 

 園から地区の小学校に通い、彼女はそこで、初老の将棋好きのSC(スクールカウンセラー)と出逢った。

 カウンセリングの切っ掛けは、「場面緘黙」と「軽度の吃音」の心理療法のためである。

 そして、プレイセラピー(遊戯療法)のなかでSCがツールとして取り上げた将棋に、カナリは、その名のとおり「かなり」ハマッてしまったのである。

 彼女は、みる間に上達して、SCが舌を巻くほどの才能を見せた。

 そこで、カウンセリングを続けながらも、彼女を町場の将棋教室に紹介し、そこで本格的に学ばせる事にしたのである。 

 カナリはすぐさま頭角を現し、将棋会館の研修生へと推挙され、またたく間に、最年少「初段」となり、奨励会入りする。

 一足飛びの進歩で二段となり、『鬼の三段リーグ』をも一期抜けして、棋界初の「女性プロ棋士」となったのである。

 ところが、そこで、奨励会時代に自分を育ててくれた師匠の「M先生」が、急逝するという不幸に、またもや遭遇するのである。

 

「指名対局」は八十四手という短手数で、師匠の圧勝だった。

 新米四段は、永世八冠の前では赤子同然で、完膚なきまで叩かれた。

 有段者になってから初めての惨敗。ボロ負けであった。

「ありがとうございました」 

 カナリは、何ゆえか、己れにも解らないほど、熱い涙を溢れさせた。 

 悔しい?

 いや、そんなんではない・・・。

 嬉しい?

 いや、凄すぎるのである。

 師匠の指す一手、一手が・・・。

 そして、将棋という「世界」が・・・。

 「宇宙」が・・・。 

 感動とも畏怖とも判らなくなり、感極まって滂沱の泪となったのである。  

 その中継で、固唾(かたず)を呑んで天才師弟対局の行方を見守っていた全国のソータ・ファンとカナリ・ファンも、ついつい、もらい泣きをした者も少なくなかった。

          

 

 

 

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