『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

コスキンの余韻

2011-10-12 08:10:00 | ギター


昨日は、コスキンから一夜明けても
まだ前日の鮮烈なデヴューの
感動の余韻が残っていた。

デジタル録音したものをCD化して
車中で聴いてみたら、
なるほど、観客が歓声を上げるほどの
いい演奏で、自分でも驚いた。

高校時代から
40年近くも弾いてきた『花祭り』に
あれほどのパッションを注ぎ込んで
歌うように、踊るように弾けたのは
これまでのどのコンサートでもなかった。

思うに、コスキンという
フォルクローレの本場のステージで、
さながら、アウェイに乗り込んだ
戦士のような心情だったので
「これでも喰らいやがれ」
という全身全霊の気が
入ったのかもしれない。

ハプニングとはいえ、演奏中に
震度4の地震に見舞われたことも、
災いではなく、再演奏には
幸いしたのだろうか。

大地の揺れが鎮まった後、
大地をも再度揺るがすほどの
魂の演奏を奏でてやる、
という気迫がこもったのだろう。

前日のサブ・ステージでの
気の抜けたような演奏と聞き比べてみたら、
音楽的な違いは一目瞭然で、
どの小節にも抑揚があり、
隆先生から常々指摘されている
自然界にある物理現象的な
クレッシェンドが巧みに表現されていた。

自分にも、
こんな極限的パフォーマンス能力があるんだ、
ということを再認識させられた。

渡辺範彦さんが急死されたとき、
弟子だった隆先生が
月例発表会でポンセの『サラバンド』を
追悼演奏した。

それは、奇跡的名演奏で、
範彦師匠を彷彿とさせ、
それ以上の出来ではなかったかと
誰もが思った。

もっとも、演奏を終えると
先生はタオルを目にして、
しばし偲び泣きし、生徒たちは
身動きができなかったが・・・。

後に、
「自分でも、あんな演奏ができるとは
 思ってもいなかった」
と述懐されていた。

気が入る、魂を込める、ということは
そうそう、しょっちゅうできる体験ではない。

名人噺家の志ん生も
「芸なんていうものは、年に一度か二度、
 体調がよくて、客がよくて、
 気がノッたときにしか出来ないもんだ」
と言っていた。

コスキンのステージでは、
そういう生涯に何度もない
「自分と楽器と聴衆と自然界のすべてが
 一体になった感覚」が
体験できたかもしれない。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コスキン本番 | トップ | ギタリスト »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ギター」カテゴリの最新記事