『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

盆過ぎて・・・

2016-08-21 05:38:00 | 風景
4月のリサイタル来、
久しぶりに「もみじ山」の
板倉神社で野外練習をしてきた。

来週の日曜日に、
グリーンパレスで
お呼ばれミニコンサートがあるので
その練習である。

火曜日には、
自然の家で
大学ギター部に呼ばれて
レッスン&ミニコンサートを
やってくる。



阿武隈川は
台風7号の増水で
まだ茶色く濁っていた。

対岸には
花火大会の会場が
設営してあった。

お盆の日に
雨で流れて
日程変更になったようだ。

夜7時の時報とともに
遠雷のような花火の音が聞こえたので、
階段の踊場から眺めてみたら
遠くに五円玉ほどの
ちっちゃな花火を
眺めることが出来た。

しばし、
往く夏を偲びながら
いくらか涼しげな
夜風を浴びて
「たーまや~ぁ」
とちいさな声を
かけてみた。

 橋の上
  玉屋玉屋の声ばかり
   なぜに鍵屋と言わぬ
    情(錠)なし

       江戸狂歌




台風が三つもやってきて
現在は11号が宮城沖を北上中だが、
こちらは晴れ上がっており、
やや台風の後ろ風が吹いている。

面白いのは
10号が南下しており、
近年、こんな動きの台風は
見たことも聞いた事もない。

台風ん中にも
弥太郎がいるんだな、
と可笑しくなった。





Eテレで
モーガン・フリーマンがホストの
『宇宙は生きているのか?』という
科学番組を観た。

アメリカで2012年に
放映されたものらしく、
『コスミック・フロント』の
焼き直しみたいな内容だったが、
生物工学者ロバート・ランザの
「生命中心主義(Biocentrism)」
という考は、いくらか新鮮ではあった。

それは、
素粒子の振る舞いから
ヒントを得たもので、
素粒子は位置の測定をしようとすると
時間の情報が失われるという
不確定性原理から、
時間というのは人が心の中で
作り出した道具に過ぎず、
現実は観察者と共に始まり
観察者と共に終わる、
という不思議な説である。

すなわち、
感覚を遮断すれば
現実はなくなる、
というのである。

これは、極論すれば
死んで意識が喪失すれば
宇宙は消えてなくなる、
ということを意味するが、
それは、その個人にとって
限定していることだろう、
とは思うのだが…。






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