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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

カルチョーフィ買い付け

2023-07-03 07:43:21 | 食べ物・飲み物

 

きのうは
34℃もの真夏日だったので、
不要不急の外出は控えて、
寝室の冷房下で
まったりと休日を過ごした。

夜は寝床になるも、
日中はソファとカウチ代わりなので、
いちばんくつろげるのが
寝室なのである。

リビングにもソファはあるが、
いかんせん広すぎるせいか
落ち着きが良くなくて、
もっぱらカミさんの
くつろぎルームになっている。

寝室はやや縦長の
7畳半くらいなので、
“うなぎの寝床”風で、
枕元の左右には
オーディオセットと
読みたい本・漫画・ナッツ類、
足元には大型モニターがある。

すべては手が届く範囲にあり、
まるでテントの中のようであって、
年がら年中、“ソロ・キャンプ”の
気分なのかもしれない(笑)。

*

カミさんが
シティ情報誌の新刊を
コンビニで見つけてきたというので、
目ぼしい記事をいくつか見つけた。

まずは、明後日の
デジュネ(フレンチ・ランチ)の後、
美術館で『ブルターニュ展』を
楽しんで来ようと
行動スケジューリングした。

この夏休みには
久しぶりに絵筆を取って
油彩の模写でも楽しもうかと
ちらと思った。

*

アジサイ寺の陽林寺の
御朱印が載ってたので、
(らしいなぁ・・・)
と感心した。

他の寺の一覧もあり、
茅輪をくぐる
「夏詣」なるものを
催している神社なぞもあった。

「夏」の字の
かっこいい書体もあったので、
ついでに「集字」して
臨書の手本にもした。

*

巻末のほうには
農園情報があり、
カルチョーフィ
(アーティチョーク)を
栽培・販売している農家があり、
facebookの方に問い合わせたら、
まだ若干あるというので、
明後日のオフ日に買い付けに
行くことにした。

ギリギリ旬に間に合い、
カルチョーフィのパスタを
創れそうなので、
YouTubeで扱い方を
勉強していた甲斐があった。

 

 

 

 


セロリアック/根セロリ

2023-07-02 06:52:38 | 食べ物・飲み物

 

梅雨時の
第五週目の「私的三連休」を
過ごすのに、
とりあえず昼食に出かけてみた。

大正10年創業の
老舗の「鰻屋」で、
これまで「うな重」ばかり
やっていたが、
「かつ重」もあったので、
試しにそれを味わってきた。

昭和食堂の800円とは
ケタちがいの
1980円もするものだったが、
カツが1㎝ほどの分厚さで
脂身も香りと甘味のある
上ロースだった。

ただ、蒲焼のタレのような
甘辛さを期待していたが、
案外に辛口で、
昭和食堂とは別タイプの
味加減であった。

品の良い「カツ重」の部類だが、
やはり、昭和食堂の
やや甘辛味の「カツ丼」の方が、
見た目も食べても
自分の好みには合う。

ネットには
「カツ丼」ファンクラブの類の
グループサイトもあるので、
偏愛する同好の士は
少なくないようである。

「食」を目当てとする
外国人観光客も
「カツ丼」には
一様にカルチャーショックを受け、
その虜になる者も
少なくないようである(笑)。

「あんこ」+「パン」の
「アンパン」同様に、
「カツ」+「玉子」+
「ライス」+「甘辛出汁」の
和洋折衷料理の「傑作」なのだろう。

*

3月から
テーマをもって通っている
三ツ星フレンチでの
シェフへのアラカルト・オーダーも
今月で5ケ月目となる。

毎月、第一週目のオフ日に
通っているが、
今月は、セロリラーブ(根セロリ)と
「プレサレ」という
モンサン・ミッシェルの海沿いで育った
塩気のある牧草を食んで
塩味のついたアニョー(仔羊)を
リクエストした。

きのう、
シェフから素材が入ったとの
連絡を受けて、
これらがどのように調理され
ドレッセされるか
今から楽しみである。

*

仏語では「celeri-rave」だが、
一般には
英語の「Celeriac/セロリアック」
の方で知られている。

これは、
「セリ科オランダミツバ属」で、
和名では「カブラミツバ」
一般には「根セロリ」と呼ばれている。

地中海沿岸が原産のようで、
セロリの変種とされているが、
葉や葉柄を食用にするのではなく、
肥大した根茎を食用とする。

ヨーロッパでは
古くから親しまれてきた
身近な根菜のようで、
スーパーでも普通にあるが、
日本では輸入品となると
高価になってしまう。

ネイティヴ・フランス人の発音では、
「celeri-rave」は
「セロリラブ」ではなく
「セェルリィハーヴ」
と聞こえる。

 


おばーちゃんのカツ丼

2023-05-02 08:05:21 | 食べ物・飲み物

 

世間は平日なので、
カミさんは朝早く出校したが、
非常勤SCの自分は
目下、『私的九連休』中である。

来週も二日のみの勤務週なので、
『私的五連休』となる。

還暦より5年も過ぎた
前期高齢者なので、
ハーフ・リタイアメント(半隠遁)の
身分だから、余暇をどう過ごすか、
というのが、仕事よりも
まだ慣れてない
新たな問題である。

定年の75歳まで、
10年間の修行期間にしようと
熟練リューティエ(古楽器製作家)に
なるべく、工作設備投資もし、
工房を再開したが、
なかなか順調とも言い難い。

年金が出るようになったし、
給料ももらっているから、
わりかし「ゆとり」が出てきて、
何が何でも副業を身に着けよう
というハングリーさはなく、
趣味だったプラモの延長のような
気分でもある。

*

朝な夕なに
家から吾妻山が望めるが、
夕焼けに染まったり、
快晴の日には
噴煙が見えたり・・・と、
景色に変化があって佳い。

残雪を抱いてるくらい、
標高1000m以上の山は
まだ冬の名残りがある。

なので、この時季、
安易にハイカー気分で
軽登山なぞをすると
天気の急変で
氷点下になることもあるので、
気象予報士は注意を喚起している。

五月に入っても、
朝夕は肌寒い日もあり、
まだ、ストーヴも電気毛布も
活躍している。

*

散歩&買い物に
濁川の土手コースを歩いたら、
雑草の中で野生の竹の子が
次期を逸して伸びすぎて、
収穫し損なってしまった。

1mを越したのが3本あったので、
例年と同じくらい
生えたのだなぁ・・・と、
悔しがりながら眺めてきた。

*

庭のアスパラも
可食株より本株に成長した。

フヌイユ(フェンネル)も
エメラルドグリーンの新芽を吹き、
“おうちフレンチ”のハーブとして
使えそうである。

オリガン(オレガノ)は
庭じゅう至るところに
生えまくっている。

あれほど繁茂した
ロマラン(ローズマリー)は
一株も見なくなり、
ミントもまったく生えなくなった。

最近、よく見ているイタリアンでは
サルビア(セージ)をよく使うので、
近所の園芸店で
ハーブセットを買ってきて
移植しようかとも思っている。

*

サクランボも色づきはじめたので、
鳥に食べられる前に、
今日あたり少し袋掛けしようかと
準備した。

ずっと上向きでやる作業なので、
すぐに手が怠くなってしまい、
けっこうハードなので、
農家にゃ向かないなぁ・・・と、
いつも思わされる。

*

きのうは
街出のついでに
『テルサ』に寄って、
コンサートのパンフの
減り具合を見てきたが、
まだ、けっこう残っていた。

自家製ポスターは、
商用印刷ポスターの中では
逆にシンプルで目立っていたので、
目論みどおりだった(笑)。

A1サイズで
100枚も印刷屋に発注したら、
それだけで、10万もかかってしまい、
素人コンサートの予算は飛んでしまう。

かつて、
十何年も所属していた
ギター教室の発表会プログラムも
セットされていた。

もう、破門されて
十年も経つのかぁ・・・と、
感慨深く思いながらも
一部とって懐かしい顔ぶれの
名前を追っていた。

今は、
これより我が道はなし・・・と、
後悔はしていない。

これでよかった・・・
と思っている。

*

きのうの街出の目的は、
「煮込み」と「ソース」の
二種のカツ丼のみを
細々とやっている
おばーちゃんの店を
久しぶりに訪ねることだった。

かつての店跡に
真新しい薬局がデーンと
建っていたので、
とうとう潰れたかぁ・・・と、
落胆していたが、
はす向かいから出てきた
品のよさげなおばーちゃんに
訊いたら、奥に移転したという。

薬局の脇の細道を辿ってみたら、
なんと、隣接するように移転して
暖簾が翻っていた。

扉も真新しい。

店内もスッキリ
モダン調になり、
それでも相変わらずの
カウンター4席のみで
メニューは二つのみだった。

「閉店したのかと思いました・・・」
と、これまた品のいい老店主に
言ったら、
「もう、5年も前に移転しました・・・」
と言うので、
それ以前に来たことを知った。

なんでも、
薬局に頼まれて
土地を貸したという。

その方が、家賃暮らしで
安泰だから・・・とのことだった。

たしかに・・・。

以前の、お世辞にも
キレイとは言えなかった店で、
一日数杯のカツ丼のみよりも
その方がずっと経済的だろう。

裏に移転しても
店のコンセプトは一緒だが、
5年経っても
真新しい感じの店は
小体なキレイさ感があった。

*

もう、忘れていた味だったので、
楽しみに味わった。

最初は、
卵とじの部分から箸を入れたが、
それは上品で
甘辛加減のほどよい
『玉子丼』であった。

カツは長細くない、
フレンチで言う処の
メダイヨン(メダル状)が三つ。

厨房でジュージュー揚げてた
脂のないヒレのようだが、
豚の旨味は
あまり感じられなかった。

特に名のある
ブランド豚ではなく、
ごく一般のものなのだろう。

それでも、「玉子とじ」部分が
美味しいのと、半煮えの玉葱が
甘味と香味があって
なかなかにいけた。

家で作るときは、
玉葱はトロトロまで煮上げるが、
すこし歯応えがあると
食感がまったく違って、
これも「あり」だなぁ・・・と、
勉強になった。

そう。
外食はルセット(レシピ)の
料理学校にもなるのである(笑)。

*

味噌汁は
きちんと出汁の味がして、
一夜漬けのような
フレッシュなお新香も佳かった。

先客の夫婦が帰ったあと、
しばし、おばーちゃんと
歓談させてもらい、
昭和のカツ丼の味と共に
その人柄をも味わってきた。

「薬局の上に、
看板があるんですよ」
との事だったが、
それは全く見落としていた(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


湯豆腐と精進料理

2023-03-21 17:49:54 | 食べ物・飲み物

 

きのうは、
7年ぶりくらいで、
元勤務校の『金光大阪』に寄り、
親しくさせて頂いていた
イナッさんと、久しぶりに
再会して、しばしの歓談を
楽しませて頂いた。

以前には、
京都のイマダケちゃんちの
介護施設で、ホールコンサートを
催した時にも、わざわざ、
おいで頂いたので、
その時のお礼に、
『リュートマラソン』から編集した
『日本の歌』のCDをお贈りした。

*

およそ300日×11年間で、
3300回は渡ったろう
校門前の『不二橋』。

禅的な意味のある「不二」。

この世とあの世はセパレートしていない、
「重ね合わせ」の量子状態にある、
ということに改めて気づかせられた。

金光教的には
「あいよかけよ」というが、
「神と人とは一体」で、
相関性が実相である、
ということである。

丸に「金」の周囲に、
八つの波が描かれる教紋は、
「金色の神の威光が、
八方を照らし、広がる」
というシンボルである。

*

30年前に担任して、
今、46歳になった教え子の
オカリンとツーラとは、
気心が合うのか
卒業後もずっと切れずに
付き合いが続いている。

二人で来福もし、
京都散策は5、6度は行っただろうか。

きのうは、
ツーラの愛娘カノちゃんを
連れてきてくれ、
りく坊とおない年なので、
めっちゃくちゃ可愛いかった。

二人の子育てにも
ずいぶん相談にものり、
アドバイスもして、
役だててくれたようだ。

*

この日も快晴で、
境内の枝垂れ桜が満開であった。

教え子の娘ながら、
さながら、孫娘みたいに感情移入して、
ずっとご機嫌とりっぱなしだった。

「京のご飯食べ」と
隠れ寺の散策を常としている。

今回は、
清凉寺境内にある
湯豆腐店の『竹仙』で
お昼にした。

嵯峨豆腐の老舗『森嘉』の
極上「絹ごし」を
絶品のタレで頂く。

「京都一」
「日本一」
と謳われる、
品の『森嘉』の豆腐と
『湯葉弥』の生湯葉。

その前に、
前菜として、
精進の胡麻豆腐・炊き合わせ・
花見団子・茶飯・煮物椀などが
供され、そのはんなり
やさしげな味に
ホッコリさせられた。

空いたスペースには、
後から、煮物椀と揚げ物が
供された。

角切り膳に朱塗りの食器は、
精進を意味するので、
魚肉類は排される。

道明寺の餡入り餅に
吉野葛でトロミのついた吸い地は、
絶妙の味加減で、
ほーっ…と、ため息が出るようてあった。

 

在京中には、
清凉寺にも幾度も訪れているが、
本堂裏の庭園は
初めて見ることになった。

なかなかに
詫び寂びのある
禅味も感じられるものだった。

*

その後は、
宝筐院に赴き、
人っ子ひとりいない庭園を
カノちゃんを伸び伸び歩かせて
思うままに散策した。

桜や椿、キブシ、コブシなど
あらゆる花々が咲き乱れ、
鳥は鳴き、青空からは
柔らかい春の日差しが
心地よいぬくもりを感じさせた。

嵐山の渡月橋界隈が
佃煮のごとく人・人・人…で
ごった返していたので、
その無人の自然のみで
森閑とした枯山水庭園は、
まさに、別天地のようでさえあった。

可愛いカノちゃんの存在もあり、
まさに、天国的な時空にいるような
パラレルワールド感。

「カカ」(ママ)とおそろいの
ラルフローレンを着た、
お人形さんみたいなカノちゃん。

オカリンは、
中3と小6男児のおっかさん。

次男のタケ坊が
赤ちゃんの時も、
抱いて京都散策した。

宝筐院の延段(のべだん)を
上手に歩くカノちゃん。

なんだか、
電池が入ったお人形みたい。

*

そこから、
ほど近い『ひらのや』で
名代の「しんこ」を頂こうと
立ち寄ったが、女将が出てきて、
「今日は、職人が休んでおりまして、
あいにくと、ご用意できまへん。
申し訳ございませんおす」
とのことで、ガッカリだった。

代わりに、
店前の緋毛氈の床几で
道明寺の桜餅と抹茶を頂いた。

*

そこから、さらに、
近場にある秘寺の
『愛宕(おたぎ)念仏寺』まで
足を延ばした。

剽軽な表情をした羅漢さんが
山肌のあちこちに
苔むして羅列しており、
お気に入りの顔を見つけるのも、
また一興であった。

ここの本堂は、
まるで清水寺の舞台を
模したかのような
木組みになっており、
不思議なデジャヴ感を抱かせた。

 

そしたら、観音堂は、
小柄ながら、金閣と銀閣を
合わせたようなフォルムをしており、
「パクリ寺やなぁ…」
と、一同で笑いとなった。

オカリンは、
清凉寺・宝筐院・念仏寺で、
趣味の「御朱印」を
せっせと購入していた。

*

鐘つきで大喜びのカノちゃん。

ツーラ・ママは、
鯉のぼりみたいなラルフローレン(笑)。

 

**

 

昨晩は、高槻でも
元同僚との飲み会を
セッティングして頂いていた。

折よく、高槻在住の
ツーラ&オカリンと一緒に
「京歩き」から戻ってきてから、
7年ぶりに高槻教会にも
参拝に寄せて頂いた。

25歳で
新設の金光第一高校に
新任として赴任した時、
地元の教会として
しばしばお参りさせて頂き、
夕食までご馳走になった事もあった。

二人のお子さんも
金光第一に入られたので、
教え子となった。

笑福亭仁鶴似の先生は、
87歳になられても
矍鑠(かくしゃく)として
お結界に座っておられ、
7年ぶりの再訪を
ことのほかお喜びくださった。

さっそく、奥から
奥様をもお呼び頂き、
40年前は道産子美人で上品だった
そのままのご様子で、
これまたお喜び頂いた。

先生は暮れに
自転車に乗って転倒し、
頭を打って意識不明になり
救急搬送されるも、
まったく無事に回復された
という大変な「お陰話」をも
お聞きして、有難くも、
うれしく思わせて頂いた。

「いやぁ。
今日は、ほんまに、
佐々木先生から
元気を頂きましたぁ…」
と、洋酒のお下がりまで頂戴し、
ご夫婦で玄関まで
お見送り頂いた。

ご子息のタカ坊も
金光学院で「教師資格」を得て
後継者となったので、
先生方もご安心のご様子であられた。

*

飲み会では、
やはり7年ぶりに
ウラッさんと
キンちゃんと再会し、
昔話に花が咲き、
老人あるある話でも
共感しあって爆笑した。

 

 

 


栄枯盛衰・生々流転

2023-03-07 07:55:54 | 食べ物・飲み物

 

 

今月の18日から
6年ぶりに、
京都・大阪に行くことになり、
かつて、11年間在住していた頃に
よく訪れた懐かしい店をも
再訪してみようと思っていたら、
すでにあちこち閉店しており
残念に思った。

『高槻京都ホテル』は
できたばかりの頃、
土曜日に授業が終わると
すぐに駆け付けて、
『ヌーヴェル・イ・ヴュー』で
フレンチ・デジュネをしていた
常連店であった。

また、懐石・中華の店も秀逸で、
ちょいちょい利用していた。

九条通りにあった
『中華そば あさの』は、
家の近所ともあり、
日曜の昼には、
よく家族三人で出かけていた。

6年前に再訪した折は、
親爺さんがコック帽を脱いで
「こんなんになってしまいましてん・・・」
と、ハゲ上がった頭を
見せてくれたりした。

その折、しばし歓談できたのは
幸いだったが・・・。
あれが、食べ納めになってしまった。

*

15年以上寝かせた
米杉と新材の栂(つが)を
ハイブリットにした表面板を
実験的にこしらえてみた。

バーリング(力木)の配置も変え、
新旧の木がうまく
コーディネートしてくれるように
連結を考えた。

明日から、また、
「私的五連休」になるので、
この間に完成させたいと思っている。

 

サイド(横板)の
ベンディング(曲げ作業)も
曲折部を0.5㎜ほど薄く削って
曲がりやすくして、
柔らかいアガチスの表面に
皺が寄らないようにも工夫してみた。

板全体に霧を吹いて
十分に湿らせてから
250Wのハロゲンランプで
熱を加えると、まるで、
温泉の源泉みたいにも
モウモウと蒸気があがる。

*

工房内に
少しずつ新型の電動工具を
設置しようと、ネット内の
最安価なものを物色している。

そしたら、
2万代のレーザーカッターが
出ていて驚いた。

PC制御で、
2㎜厚の薄板も自在に
デザイン・カットできるという。

これならば、
ローズ(薔薇窓音孔)を
自在に作れそうであるので、
購入を検討している。

また、最安価でも
10万もする
ドラム・サンダーという
電動ヤスリ機もあれば便利とは
思うものの、けっこうな値段なので
決断の要るところである。

これまで、
いちばん高価な工具は、
電動カンナで、
たしか、10年前に
7万ほどした気がする。

それでも、使用頻度が高く、
これのおかげで
作業効率がよくなり、
20本近い楽器を製作・販売できたので、
十分に元は取れた(笑)。