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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

出世

2018-07-05 05:11:00 | 勉強
Eテレの『100分de名著』で
久しぶりに河合先生の
生前のお元気な頃の
姿を拝見して
懐かしく思わせて頂いた。



在京中は、
何十回も通った
『ユング心理学セミナー』で
その謦咳に接し、
その後、いろいろと
お話もさせて頂いた。

高校教員を辞め
心理職を目指して
37才で大学院に入り直したのも
河合先生の影響である。

「先生に出会って人生が変わりました」
と飲み会の席で
申し上げたら、
「そうですかぁ・・・」
と嬉しげに笑っておられた。

宴会の初めには
主賓として
上座の真ん中に
医大の教授らと座っておられたのが、
宴もたけなわになった頃、
先生のお姿が見えなくなって、
アラッ? と思った。

そしたら、
なんと、自ら末座に出向いて、
若い心理士のお姉ちゃんたちに囲まれて
バカッ話で大笑いしている。

その飾らないお姿にも
感激したものである。

また、先生の熱烈な愛読者だった
女子大生のAちゃんを
直接、先生に引き合わせて
「先生。
美人の女子大生が
先生のサインを頂きたいと
参っているんですが・・・」
と申し上げたら、
破顔一笑されて、
「私は数学教員だったので、
サインでもコサインでも、
なんでもしますよ~」
と駄洒落でコチンコチンに緊張していた
Aちゃんを笑わせてくれ
和ませてくだすった。

Aちゃんは
自らの右手をスカートの
腿の辺りで拭き清めると
「握手して下さい」
と学生らしく堂々とお願いし、
先生も喜んで応じて下さった。

廊下に出た後、
Aちゃんは感極まって
泣き出してしまった。

憧れの大先生に
お言葉をかけて頂き、
サインと握手までして頂いたのが
よっぽど嬉しかったのだろう。

先生がその日の講演で使われた
二本の白墨を
こっそり持ち帰っていたので、
そのうちの一本を
彼女にプレゼントしたら
さらに感極まって
「先生のおかげですぅ・・・」
と、また大泣きされてしまった。

その白墨は
いまだに我が家の
文具引き出しの奥に眠っているが、
それも貴重な先生の遺品のようである。

この先、
『河合心理学』について
語る機会があったら、
それを持参して
このエピソードと共に
自慢しながらそれを使って
講義したいと思っている。




還暦を過ぎて
老人のとば口に
入ったので、
ビギナー・ロージンとして、
レジェンドたちの教えに
頭を垂れている。

60から64才までは
「老人の青春期」とも
言うらしい。

永らく
FMの『日曜喫茶室』を聴いてきたので、
レギュラーだった
ドイツ文学者・池内さんの
ハートウォーミングな声は
かねがね耳に心地よく感じていた。

書評を見て、
面白そうだったので
ヤフオクで中古本を落札した。

六刷になるほどなのも
首肯できるような、
含蓄のある内容であった。

その薀蓄のいくつかは
これからの生活で
実践していこうとも思った。

他にも読むべき書籍が
山ほどあり、
金はなくとも暇はあるので
レジェンドたちの知恵に
学んで生きたい。





長男のフミが
何処そこの何たらの
「センター長」になったらしい。

カミさんにメールがきたという。

いちおう、出世したようなので
お祝いメッセージと
「管理職になったら、過労に気をつけろ」
と心配メッセージも添えた。

次男のアキにも
「ちゃんとしたご飯食べてるか?
コンビニ物ばっかりだと、体こわすぞ」
とメッセージを送ったのだが、
返事すら返ってこない。

カミさんは、
会社のHPで、
「社外清掃のボランティアしてる
写真載ってたから、
とりあえず生きてるみたい・・・」
と、やっぱり
メールに返事がないので
心配していた。

いちおう、
人の親なので、
巣立ち後の子の立ち行きも
心配なのは情というものだろう。

爬虫類や野生哺乳類のように
生みっぱなしで、
後は勝手に生きていけ、
というふうには
なかなかいかないものである。

三男のナツは
車の運転が始まったばかりで、
これまた心配の種である。

なので、
朝晩、ご神前で、
子どもたちの無事安全と
立ち行きを
ご祈念させて頂いている。




白鼻毛

2018-06-07 05:48:00 | 勉強
毎年恒例の
県南SC研に
朝から参加してきた。

白河合同庁舎では
かつて新任教員の
初任研でも
講演をしているので
勝手知ったる馴染みの処である。

休憩時には
小峰城を
懐かしく眺めていた。

SCなりたての
白河勤務時代、
新幹線で
6年間420回も通って
毎週見ていたお城である。



午後のT中勤務のため
棚倉に赴く途中、
山越えで懐かしい
一小の前を通った。

23年間のカウンセラー業で
唯一、2年間だけ勤務した
小学校である。

はじめての小学校は
何から何まで目新しく、
子どもたちも可愛くて
仕方がなかった。

なので、
この頃に起きた
宅間守の池田小学校襲撃事件で
8人もの児童の命が奪われた時は、
あまりにも哀しく泣いてしまった。

フミと同い歳だった子たちは、
もう29才にもなっている。

ミホちゃん、ヒーちゃん、
アルゴス、ユーキくん・・・
他にも沢山仲良くなった
子ぉたちがいたが、年々、
名前や印象が薄れつつある。

去年は、
当時の児童の兄弟が
不登校になり、
ご父兄と共に自宅に
カウンセリングに来られて、
懐かしくお母さんと
再会したりもした。





信号待ちの
手持ち無沙汰の間に、
無意識に鼻毛を抜いたら、
なんと、白髪で・・・
オッと思った。

ついに、
ここまで老いが
忍び込んできたか、
とも思わされた。

でも、
車中に射す日の光に
照らされて
純白に光り輝いていた。

そしたら、
ただの鼻毛も
なんだか「福毛」のようにも
感じられた。

リサイタルが終わって
十日もたつのに、
まだ、直前につけた
付け爪が剥がれないでいる。

聴きに来てくれた
大学同級生(おそらくKちゃん)は、
白い爪を見て
マニキュアだと思ったらしい。

これは、
ティッシュを5枚重ねにして
接着剤で硬化させ、
それを丁寧にサンドペーパーの
2000番まで使って
滑らかに仕上げたものである。

こうでもしないと、
激しいフラメンコの演奏と
20曲もの連続演奏では、
爪が割れてしまうのである。




昨日は
中体連で、
校内は閑散としており、
久しぶりに不登校生の
家庭訪問に出かけた。

郊外の田園風景に溶け込んだ
素敵なおうちで、
ウチの近所にもある
一条工務店の施工だと伺った。

お母さんとは
お兄ちゃんが在学していた頃から
カウンセリングをしており、
夏休みには自宅にも
家族でカウンセリングに
来られたことがある。

そのお兄ちゃんも
今は立派な大学生となって
寮生活をしていると伺って
嬉しく思った。

帰りに
お土産にと
コミネヤの
パウンドケーキを頂いた。

帰宅後、
さっそくカミさんと
夕食のデザートとして
美味しく頂戴した。

毎晩、
家のご神前では、
生徒たちとその家族の
立ち行きとお繰り合わせを
御祈念させて頂いている。








SC研

2018-06-06 03:46:00 | 勉強
昨日は
県北SC研があって、
今日は
県南SC研と
連荘である。



それでも、
先月の東京での
4泊5日の30時間「鬼研修」を
経験してきたので、
3時間ほどは
軽いものだった。

むしろ、
事例検討タイムは
ブレイン・ストーミングが楽しめ、
実ケースが手に取るように
理解できる域にはなった。

もっとも、30年も
プロをやってるんだから、
当たり前ではあるが。

***

ケース・スタディの
ファシリテーターA先生は
京大院出で河合先生の
お弟子さんでもある。

関西の方やから、
洒落っ気があって、
オモロイことを仰るので、
たびたび哄笑させられたが、
真面目なフグスマの女性SCたちは
だーれも笑わないから
困ったもんである。

談志家元は
「洒落のワカランやつは荷だねぇ」
とよく言っていた。

ユーモリストだった
河合先生の名言には、
「真面目も休みやすみ言え」
というのがある。

ユーモアを解さない、
笑えないのは、
狭量性とも硬直性とも思われ、
大概は視野狭窄の傾向がある。

非ユーモリストが
周囲を笑わせようとしたときの
セコ・ギャグほど
お寒いものはなく、
それが嫌で、
かつて、恩義のある大先生と
縁を切ったことがある。

ユング的に言えば、
トリックスター的な働きが
劣等機能になっているのだろう。

人生晩年に近づき、
我が「オダチ道」を
ひとつ極めてみようかと、
またしても、ふと思った。






朝10時から始まった
ソーちゃんの竜王戦は
1時から5時までは
研修で見られなかった。

それでも、
帰宅後、入浴し、
夕食を終えてから、
終局の夜9時半まで
じっくりと中盤から終盤を
観戦できてよかった。

解説陣が
完璧な名局と評するほど、
微動だにしないような
横綱将棋であった。

相手の石田五段は
二段も格下だが、
最後の投げ処を
延命に走ったので、
視聴者のコメントでは、
往生際がわるい、
みっともない、
という誹りを受けていた。

ソーちゃんは
この勝利で155万をゲットし、
決勝トーナメントに進出した。

ふつうの高1が
バイトで
一日で稼げる額ではない。




近所の梅が稔りだした。

もうすぐ、
入梅になる。








蒲公英トリビア

2018-05-04 08:03:00 | 勉強
寒気団がやってきて
天候が不順である。

昨日は雨上がりの
ちょっとした晴れ間に
急いで散歩に出かけた。

買い物とブログねた探しも
兼ねているので、
近所まで車で出向いていたのを
徒歩に改めてから
数ヶ月になる。

たしかに、
目線の高さと
スピード感が違うので、
車は「目的」志向だが、
徒歩は「プロセス」志向である。

新幹線や飛行機で
早く目的地に着くのもいいが、
「鈍行列車」(昭和!)で
景色を愛でながら
駅弁を楽しみながら
旅の過程を味わうのも
贅沢な時間の使い方なのだ。



タンポポがきれいだった。

白いのも見つけて
珍しく思った。

帰宅後に、
さっそく「ブログ勉強」と称して、
ググッてウィキってみる。

英語の語呂
「ダンディライオン」は
てっきり
「Dandylion」
という
「かっちょいい獅子」
かと思っていたら、
違っていた。

「かっちょいい」も
昭和死語だなぁ・・・(笑)。

正しくは「Dandelion」だった。

フランス語の「dent de lion」、
つまり「獅子の歯」である。

あの、キザギザ葉っぱの
見た目からの命名のようだ。

ちなみに、
あのギザギザは植物学用語なのか
「欠刻」と言うようだ。

生物学科だったのに
知らんかった。

やっぱ、
ググッてウィキってみるもんだ(笑)。

シロバナタンポポは漢字で
「白花蒲公英」で、
学名が「Taraxacum albidum」。

「タラクサカム・アルビダム」
というハリポタの呪文のよう。

「タラクサカムっ!!」
「アルビダムっ!!」
と、敵にむかって
魔法杖をむける
ハリーとハーマイオニーの姿が
思い浮かんだ。

o(`o´)○━゛☆!

このタラクサが
なんと洋種でなく、
在来種というから
意外でもあった。

黄色い方も
セイヨウタンポポではなく、
春咲きの在来種のようである。

外来種は
夏場に咲いているものらしい。

タンポポの語源は、
「鼓(つつみ)」を意味する
幼児語らしく、
江戸時代には
ツヅミグサ(鼓草)と
呼ばれていたという。

古くは「フヂナ」「タナ」
と呼ばれたという。

ε=(-_-๑) ベンキョーニナルナァ 




背取り散歩(造語)で、
食指がピクリと動いた
シャクハチ(108円)コミック(造語)を
試読(造語)してみたら、
なかなか面白かった。

設定が
冴えない高校教師が
ひとりの変わった女子生徒に
偏愛され、じつは、隠れて
付き合っている、という
スクール・コイバナものである。

新卒後、2年間、
女子高に勤めた時、
付き合いこそしなかったが、
似たような経験をしたので
共感して読めた。

そしたら、
“密林レヴュー”では
あんがい評判がよく
「純愛もの」という評が
多かった。

なので、2巻目も
アマゾンに注文した。

ブックハンティング・ウォーキング(造語)は
なかなかオモシロし、である。

( ͡° ͜ʖ ͡°) b




BSで録っていた
『エクスペンダブル2』を観た。

以前にも視て、
『エクスペンダブル』の意味を
調べた記憶があるが、
もう忘れている。

調べなおしたら、
「Expendables/消耗品」
であった。

ナルホド。
そうだった。

でも、また、きっと、
忘れるのだろう。

ʅ(-"-;)ʃ フッ



ケース中断

2018-02-10 09:47:00 | 勉強
昨日は
「ケース中断」があり、
ひとりカウンセリング室で
自己反省やら
要因分析・検討をしていた。

「ケース中断」とは
長らく続いていたケースが
カウンセラー側の失敗で
中断してしまうことで、
プロとしてけっこう
身にこたえるものがある。

それでも
ソータの将棋と同じく、
敗れた一局にこそ
学ばねばならないものが
多くあるので、
半日かけて検討してみて
やはりいろいろと
経験則的なものが浮かび上がった。



クライエントが良くなって
お礼を言われるのは
カウンセラー冥利に尽きるが、
いつもいつも
そうばかりとも言えないのが
この仕事の辛いところでもある。

「癒されても治らない。
 治っても助からない」
という経験則がある。

相手の苦しみを受け入れ、
慰め、時に一緒に悲しむ、
ということは「癒し」にはなるが、
「治る」ということには
「死と再生」の通過儀礼を
経ないとならない。

つまり象徴的な「死」を
体験しないことには、
「再生」はありえないのである。

この時には、
身が切れられるような
痛み、苦しみ、辛さを体験する。

カウンセラーは「相談者」でもあるが、
その本態は
サイコ・セラピスト(心の治療者)でもある。

それゆえに
鋭利なメスも持っている。

「癒し」の段階では、
母性原理的に無条件の受容を為しながら
自然治癒により心の傷が癒えるのを待つ。

しかし、人は時として、
病むことで退行し、
現実から目を背けたり
その認知を誤ることがあり、
ことに思春期心性の頃には
「病み期」に留まろうとする
反復強迫的な傾向がある。

それはフロイト的には、
エロス(生への欲動)を封じて
タナトス(死への欲動)への
親和的選択とも言え、
ユング的には
苦難を伴う「個性化の過程」への
尻込みとも言えよう。

いつまでも卵の殻の中にいては、
あるいは、子宮の中に留まっていては、
この世に生まれ出てはこれない、
ということを見極めて、
セラピストにはその胎児に
出生を促す役目も担っている。

これは
コンフロンテーション(直面化)
という技法でもある。

「カウンセラーは現実の大使である」
とも言われる。





「もう、そろそろ自分の脚で
 歩いてみませんか」

「現実から目を背けては
 生きていけませんよ」

「今、何をしなくてはならないのか
 考えて、実行していきましょう」

・・・というような
ゆるゆるの社会化メッセージでも
侵襲的と受け取り、
再び殻にこもったり
セラピストに見捨てられと嘆いたり、
攻撃を向けてくることすらある。

泣きながらも
それを受け入れて
歯を食いしばって立ち上がるものと、
ダダ崩れになるものの違いは
エゴ・ストレングス(自我強度)の差であると
昨日の「中断ケース」で気づいた。

これまで、
失敗してきたのには、
やはり、ASD(発達障害)絡みであった。

そして、
そこに自傷癖を伴う
PD(パーソナリティ障害)を伴ったものは
IQが高くともEgo strength が弱く
Confrontationには
耐えられないケースなのである。

Ego strength のアセスメント(査定)を
誤って「踏み込みすぎた」というのが
今回の「中断ケース」で得た
教訓である。

それは、信じられないほどの
Vulnerability(傷付きやすさ)というか、
耐性欠如がある、ということの
再認識にもなった。





今回は、
注射をしたら泣いてしまった子に、
親から、なんで泣かせるんだ、
もう注射はさせない、
という苦情があったという。

たしかに、
痛くないように注射するスキルも
見出さなくてはならないし、
メスを入れる前には
十分に麻酔が効いたか
というのを見極める目も
養わねばと思わされた。

でも、教育臨床畑にあって、
苦い薬は子どもが嫌がるから
飲ませないでくれ、
というのは
「治らなく」っても
将来「助からなく」なってもいい、
と言うように聞こえて、
それって、適切な治療を与える
保護義務に反するネグレクト、
スポイルじゃないかとも思うのだが。

それは兎も角、
信仰の上では、
とにかく「助かってほしい」
と神様には祈らせて頂いた。