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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

闘いの果てに・・・

2018-09-10 05:52:00 | 勉強
初めて挑んだ国試が
終わった。

素直に
「無事、おわった・・・」
と言い切れぬ処に
忸怩たる思いと
無念さがあるが、
ここまで辿り着けて、
無事、受験させて頂けた事には
神様に御礼申し上げた。

Tちゃん先生のお祈り添えをはじめ、
友人知人のご声援を頂いて、
お蔭さまで、体調もよく、
道中もスムーズに
会場に辿り着いた。

東京での4日間のハードな
「現任者講習会」(7.7万円)を経て
煩瑣な書類手続きを整えて、
やっと受験資格が与えられたのである。

かかった費用も
軽く10万を越えている。

***

試験場を後に
新幹線に乗った頃には、
茫然自失の状態で、
白く燃え尽きた
『あしたのジョー』
であった(笑)。

ぷしゅ~ぅ ・・・(_ _。)・・・ 



1R目 120分 77問 46頁
2R目 120分 77問 46頁

1問1.5分というハードゲームで、
事例問題が38問あって
1頁分のケース内容を読むのに
「超速読」して5択から
直感で正解を選ぶようだった。

持てる知識と経験知で
アスリートのように
反射的に即応できないと
時間切れになってしまうような
スリリングな頭脳戦であった。

じっくり考えたり、
迷ったりしている暇がない。

普段から、あたりまえに、
読んだり、書いたり、話したりして、
瞬発力、持久力ともに
鍛えていなかったら
とても対応できなかった。

大規模災害時の
トリアージ(識別救急)のような
正確な即断即決の見極め力量も
臨床家には求められるのかもしれない。

時間切れ直前の
150問目あたりでは、
頭ん中のハードディスクが
「ウィン、ウィン」と
超高速回転で
ぶん廻っている音がした。

60才の「ウィンドウズ95」ジジイには
ケムリが出そうな
過酷な闘いであった。

それこそ、
東大、京大の院を出たばかりの
おにいちゃん、おねえちゃんたちと
同じ土俵、リング、フィールドに立つ、
ということ自体が、
無謀な挑戦なのかもしれない。

「年寄りの冷や水だったかなぁ・・・」
と、今朝の寝床で
開口一番に浮かんだ。

なんだか、
参加することに意義があった
パラリン選手のような気分でもある。

それとも、
東京の情景を楽しみ、
走る喜びを噛みしめながら参加した
「東京市民マラソン」だったのか・・・。

とにかく、
昨日まで頑張ってきた自分に
「ご苦労さんやったなぁ・・・」
と労ってやりたい。

「学生期・家長期・林住期・遍歴期」
という四住期のライフ・サイクルで、
久しぶりに「学生期」を味わえただけでも
佳しとしようと思う。

これからは、
4/14の『ファイナル・リサイタル』への
最終ランである。

心置きなく、
楽しみながら
歌伴の編曲に勤しみたい。




試験の緊張を糊塗するのに、
ブロガー精神を発揮して、
自分を取材してやろうと
「雨の仙台駅に立つ受験戦士」
「がんばれ! カンレキ・ジジイ!」
という絵柄で
自撮りした(笑)。

まさに、
ライフモットーである
「人生を遊ぶ」に倣って
「国試を遊ぶ」である。

人生・・・
「長生き」よりも
「深生き」だい(笑)。

この夏、
大雨で、台風で、
地震で、熱中症で・・・と、
数百もの人々が亡くなっている。

今ここに、
無事に生かされていればこそ、
試験も受けられるのである・・・と、
思わせて頂くと、
自ずと有難味が沸いてきて、
天地の神様に頭(こうべ)を垂れた。

それでも、さすがに、
小心者のアタイは、
試験会場の白い縦看を見たら、
なんだか、急に、
ドキがムネムネしてきた。← 昭和ギャグ

いっそ
ワクワクしてくれたら
よかったのに・・・と、
思わないでもなかったが、
「関与しながらの観察」(サリヴァン)
をしていたら、
そのタームも試験に出た(笑)。

18年間の教員時代には
入試委員もやり、
定期考査も何十と作り、
採点して評価する側だったが、
今は受験し評価される側である。

こういう
攻守反転があるからこそ、
人生は起伏に富み、
波風があって、
オモシロイのだろう。




国試前日の
心理サイトが最高の
「16.796」アクセスに達した。

今後、これ以上の
ブログ記事は
なかなか書けないだろう。

2年間で40万アクセスを
突破したのも初めてである。

試験当日の昨日の
グラフは興味深い。

試験時間帯の
10~12時と
1時半~3時半は
激減していて、
昼休みには
500近くのアクセスがあった(笑)。

ブロガーとしては
こういう利用のされ方は
嬉しいものである。

いくらか
公共に資することに
貢献できている。

ハードな現任者講習会の
受講者の中には、
今年は準備が間に合わないので
見送るという人も少なからずいた。

皆、仕事があり、
家庭があるのだから、
受験勉強に裂ける
時間とエネルギーは
限られている。

講習会の受講証は
5年間有効で、
その間にトライして下さい
という趣旨である。

今回の問題冊子は
持ち帰り可というので驚いた。

なので、
これから自己採点ができ、
来年、再受験するようなら
傾向対策の一次資料になる。

そのような試験センター側の
趣旨も感じられた。

<医療・教育・福祉・法曹・産業>
5分野からの154問だったので、
おそらくは各分野5人ほどで
分担したのではなかろうか。

最終的には
総監修も経たのだろうが、
各問題にはそれぞれ
出題者の個性が読み取れた。

まるでサービス問題のような
簡単・単純なものから、
よくもまあ、これほどヒッカケ・トラップ
張り巡らしまくっとるなぁ・・・やら、
…んなことまで知る奴おるんか・・・という、
重箱スミ突っつきトリビア系まで、
まんずバンラバンラの
個性出まくりであった。

『現任者テキスト』と
『出題ブループリント』以外の
問題も少なくなく、
それさえやってりゃ100点じゃん、
と高を括っていたネット雀たちを
さぞ戦慄せしめたことだろう。

自分的にも意外だったのが
少なからずあって、
今さら「森田療法」や「内観療法」でも
あるまいと軽視していた
日本独自の心理療法も問われ、
これには驚いた。

日本心理療法史的な
出題意図だったのだろう。

これから、
自己採点がてら
詳細に問題を分析し、
予想問題や市販テキスト類との
乖離程度や全体的傾向、講評などを
同じく受験したお弟子さんと
一緒にしながら、
ついでに、それも
心理サイトの続篇として公表し、
今回の振り返り、フォローアップに
しようと思っている。

なんだか、
今回の失敗を轍にして
もう一度くらいは
挑戦してもいいかな、
という気力はある。

「目指すべき峰に掲げられた一本の旗」
へ向かって歩みを進めるのも、
生きる張りにはなるものである。



































国家試験

2018-09-09 04:05:00 | 勉強
今日は、
自分史の一頁に残る
特別な日である。

平成27年9月に
「公認心理師法」が成立し、
その第一報が新聞告知されてから
その対策プロジェクトを開始した。

そして、
29年9月に
「心理師法」が試行され
30年9月9日に第一回国家試験の
日程が決定したのである。

これまで
巷に数多の民間心理資格が
溢れてきたため、
有象無象が排出し、
国民の心的健康保持が懸念されるとして、
初めての心理職の「国家資格」が
制定されたのである。

それは、
心理士のような「士」ではなく、
医師、看護師、保健師のように
「師」というライセンス職になる。

独占名称になるので、
資格なしで
「心理師」を名乗ったり、
心理師行為をすると
法的処罰になるのである。

なので、
余生のもうしばらくを
「心理カウンセラー」をやるには
運転免許同様に
資格が要るから
背に腹は換えられない。




教員から大学院を受験した時は、
まだ37才で、心理学が面白くて
しかたがなかった頃だったので
勉強も苦にはならなかった。

生物学科の学部時代は
通称「蚊取り線香」
(優良可の「可」ばっかり)
と言われるくらい、
遊んでばかりいて、
ちっとも勉強をしなかった。

生物学から心理学に転向してから
学問の面白さに目覚め、
院では「全優」だったので
“やれば出来る子”だったんだぁ・・・と、
苦笑した覚えがある。

しかし、
還暦過ぎてからの
覚えのわるさには辟易した。

“オレは認知症か・・・”
というくらい新しい事が
覚えられない。

それと、
仕事もあり、
リサイタルの準備もあったので、
なんとか毎日、勉強するには
どうしたらいいだろう、
と思案した。

そしたら、
院を修了して
博士号を取ったばかりの
お弟子さんも受験するので、
一緒にSNSの
ライン・ゼミ形式で勉強しながら
ついでにブログ化することにした。

ブログなら
15年以上続けているので
半ば習慣化・嗜癖化しているから、
毎日つづけるには
恰好のアイテムである。

その連載も
あしかけ2年607回で
終了したが、
全国の受験生から
多数アクセスされて、
この一週間は
毎日、一万数千単位だった。

2年間で
38万アクセスを越えた。

***

先日の同窓会でも
大失態エピソードを紹介したが、
教員時代の院試では、
試験日を一日間違えて
翌日に京都から福島に来て、
大学事務のおねえちゃんから
「佐々木さんですか?
昨日はどうされましたか?」
と言われて愕然とした。

手帳に写し間違ったための
「人生最大のチョンボ」であり、
大学入口アプローチのスロープを
泣きながら歩いて帰った。

。・゚・(ノД`)・゚・。 バカ オレ~

しかも、
京都に直帰したその晩、
尿管結石の激痛発作で
救急搬送されて
九条病院に入院した。

まさに、
踏んだり蹴ったり、
泣きっ面に蜂、
便所に行ったら人が入っとぉる(笑)、
という人生三重苦であった。

翌年、
臥薪嘗胆、捲土重来、名誉挽回で
なんとか、論文提出・学科試験・面接で
パスしたが・・・。

なので、
今回は、強迫神経症みたいに
何度も日にちをチェックした(笑)。

それでも、
こういう時は
ナーヴァスになって
にわかゲンかつぎになるのか
9月9日は、
「苦しみます、苦しみます、だなぁ・・・」
とか、
「ナイン・ナイン」は
ドイツ語だと
「nein nein」で
英語の「No No」やから
「だめだめ」じゃん・・・(笑)。

そして、
受験番号の「0457」は
「わー。よくない。ご難」
と見えてしまう(笑)。

弱気もいい処である(笑)。

なので、すぐに、
9/9は
「来るぞ、来るぞ・・・(いいことが)」
「ククッと、笑みが浮かぶわ。簡単で・・・」(笑)
0457は
「すべてに礼を言ふこころ。
 喜びをもたらすこころ。
 これまで、ここまでのお礼を。
 為せばなる、何事も。鳴らさせ給へ」
と読み替えた。





専門の心理学は
知識オタクだし、
日頃から、専門書やら論文を
好んで読んでいるし、
短大生に五年講義していたし、
私的ゼミも七年やっていたから
心配はないが、
「公認心理師」は汎用資格なので
「医療・教育・福祉・法曹・産業」の
5領域が問われるので容易でない。

福祉カウンセリングや
司法カウンセリング、
産業カウンセリングは
まったくのシロートであるから、
一から学習しなきゃならなかった。

ことに、
法規関連は
「司法試験でもないのに・・・」
と溢したくなるくらい
いっぱいあって
覚え切れない。

なので、
「エビングハウスの忘却曲線」理論に従って
5回学習法を取り入れて、
間隔を空けながら、
読んで、書いて、CDに吹き込んだものを
通退勤の車中で聞いて・・・と、
還暦の脳内メモリーをフル稼働させて
記憶の定着を図った。

何十曲も
ギター曲を暗譜しているので、
まだまだ記憶力は大丈夫だと
「自己暗示」をかけながらである。

第一回目の国試なので
「現任者用の公式テキスト」
が一冊しかなく、
しかなたなく2年間で
自作のテキストをも
十冊以上こしらえた。

分野別ノートも
幾冊かになった。

予想問題を
1.000問ほど考えて
ブログにアップしたので
それを参考に勉強している、
というコメントも頂いた。

自分は、
藤井のソーちゃんが
5才から14才までに
一万題以上の「詰め将棋」を
解いてきたというので、
それに挑戦しようと試みたが
2.179問ほどで時間切れとなった。

でも、
高校入試、大学入試、
教員採用試験、大学院入試、
と受けてきたが、
今回ほど受験勉強したことはない。

生まれて初めての
国家試験なので
緊張もしているが、
出題者が作る本試験と
自分が作ってきた模擬試験と
どちらが水準が上か
見極めて解いてやる、
という勝負師根性も湧いている。

しょーもない、
重箱のスミつつき系の
トリビア問題は出さない、
と試験センター機関は
要綱で言っているが、
医師、看護師の過去問での
精神科領域を解いてきて、
けっこうヘンテコな問題もあった。

音楽堂大ホールで
毎年5回もリサイタルをやったり、
若い頃、コンクールを受けたり、
各地で数十回も講演をやってきたという
度胸もないではないが、
はたして自らに課した
初めての「国試」という試練を楽しめるか、
「どーだ!? オレめ!」
と追い込む
自虐的な自分もいる。

その実、なんだか、
初めてスカイダイビングや
バンジージャンプをやるみたいで
おっかなくもあるので、
「洒落! しゃれ! 遊びやんか!」
と誤魔化しもしている(笑)。

イグジナシ…(笑)。

「ライフ・イズ・アドベンチャー」
である。

!(*・∀・)!ムン  




先月から一緒に
宗教臨床研究会をはじめた
Tちゃん先生に先日、
神様にお供えをさせて頂く
御献備を託したら、
昨日、ご丁寧に「ご神米」と
激励のお手紙を頂戴した。

これをお守りとして
胸ポケットに忍ばせて、
午前・午後の試験に
臨むつもりである。

落ちたら、
また来年受ければ
いいだけなのだが・・・、
なんだか、今は、
神風特攻隊の気分で、
帰りの「燃料」は積んでません、
という心境ではある(笑)。

落ちたら、
丸坊主にして、
悔い改めようっと(笑)。

(;_;)/~~ イクゾー!






合宿研修

2018-08-11 14:35:00 | 勉強
昨晩から今日にかけて
小6の男の子が
我が家に合宿研修に
来てくれた。




研修の一日目は、
劇場公開中の
『未来のミライ』と
金曜ロードショーの
『ハウルの動く城』を
一緒に鑑賞し、
その後、作品分析を
セミナー形式で行った。

U君は
ジブリの全作品と
細田 守作品もほとんど
観ているというので
なかなかに鋭い分析を
していた。




二日目は、
拙著『我レ還暦ル』を
一読してきたというので、
解らなかった箇所の
Q&Aを行った。

1.コスモロジカル・シンキング
2.バイオロジカル・シンキング
3.タナトロジカル・シンキング
4.ソウロロジカル・シンキング
という4次元をインテグレートして
統一論的な世界観を描く、
という演習にも
思考的について来れるので
驚愕し感心した。

並の大人でも
形而上的思考訓練が出来ない、
あるいは、好きじゃなければ、
ついてこれない領域である。

彼はそれが
楽しいというのだから
頼もしい。




今朝は、
朝食後の散歩に
お母さんも卒業した
福大のキャンパス内に
散歩にでかけた。

お盆の時季とあって、
守衛さんが親切に、
駐車料を無料処理してくれた。

小6の子に
中学・高校を飛び越して
大学や院のキャンパス見学させるのも
一足飛びに過ぎるかもしれないが、
将来は学者か研究者タイプなので、
アカデミックなアンビエンスを
インプリンティングしておくのも
学会のためかもしれない。

テキスト一冊を理解し
レクチャーとセミナーの
一日研修を立派に終了したので、
国際魂理学院の長として
「魂理学入門コース」の
『ディプロマ(終了証明書)』を
発行した。

ちなみに、
お母さんは3年間
夢分析に通って来られて、
学校心理士の資格も取得されたので、
「プロコース」のディプロマを
発行している。

親子そろって
立派なものである。

( ^^)//パチパチ ☆*:.。(^^)。.:*☆パチパチ\\(^^ )


マイ・コスモロジー

2018-08-04 06:55:00 | 勉強
35℃の猛暑日が
途切れる日がなかなかなく、
昨日も36℃、今日は37℃という。

なのに、
今朝はスッと気温がさがり、
トイレの寒暖計は
21℃で涼しさが際立った。

そしたら、
また、16℃もの寒暖差の
ジェットコースターに
きょうもご乗車である。

絶叫系は
ワシャ苦手やねん、
という関西オヤジキャラが
内言でこぼすようである。

きのうは、
「休養日」と宣言して、
朝寝・昼寝・夜寝の
見事“三階級”制覇した(笑)。

夏バテのだるさが
風邪っぴきの時のようで、
冷房と扇風機の微風が漂う
快適な寝室で横になるもんなら
なんぼでも寝られるのである。

夕食後、
7時から9時まで
夜寝したら、
カラダがすっきりして、
それから11時まで
書き物仕事ができた。




散歩道に
夏祭りのポスターがあったが、
いつものなら露店をながめに
カメラを持っていくのだが、
さすがにこの酷暑では
外出意欲がない。

カミさんは
お盆の県庁前の花火大会は、
一中前の土手まで
歩いて見に行く
と言ってるので、
体調がよければ
夜の散歩に付き合うのも
ありかなと思っている。

もう夏バテで
慢性疲労感があるので、
なんとか、入浴、散歩、昼寝と、
リラックス、リフレッシュ、レクリエーションの
「3R」の自家療法で切り抜けたい。

今日、明日は
自宅カウンセリングがあり、
来週も、ギターレッスンと
カウンセリング、食事会、同窓会・・・と、
仕事とイベントが目白押しである。

体調管理には
十分に気をつけなくては
である。




曽野さんの
「死生学(タナトロジー)」
領域のエッセイを
立て続けに4冊読んでいる。

曽野さんは親交のある
第一人者のデーケン先生らと
臨教審で
「学校教育に欧米並みに
死の準備教育を」
と唱えてきたが、
保守的、前近代的な
メンバーたちに採用されなかった
という経緯がある。

「死を忌み嫌う」
という日本人の精神性は
「穢れ」や「禊ぎ」
という神道のスピリチュアリティも
影響しているのやもしれぬ。

昨年だったか、
いわきの教育会館で、
「アイデンティティとコスモロジー」
について講演したことがある。

現代はダイバーシティ(多様性)の
認識が拡散しつつあり、
ひとつのイデオロギーにより
人々が縛られるという
前近代的な社会心理は
薄らぎつつある。

そして、アイデンティティ確立に
必要になってくるのが、
河合隼雄流で言えば「物語」
中村雄二郎流で言えば「コスモロジー」
なのである。

自分的宇宙観(コスモロジー)を
60年間考え続けてきたが、
「宇宙・生命・神・死・存在・時間」
などの現象・事象について
最近、少しずつ腑に落ちるような
統一理論のようなものが
イメージされてきた。

生物学・心理学・宗教学を基礎として
最新の宇宙論や量子論を
混ぜ合わせてみると
なんだか一つの答えに
収斂するように見える。

それをまだ的確に
言語化できるレベルではないが、
イメージとしては
ぼんやりコンステレーション(布置)が
見えている。

もちろん、
それはコスモロジーであって
絶対真理という実証性はないが、
個人的に「それならば納得がいく」
という個人的神話、すなわち、
自分の物語である。

ただ、モーツァルトが
交響曲を瞬時に脳内に
イメージしたものを
楽譜に起こして演奏すると
30分かかるというのと同じように
語りや表現にしたら
1時間はかかるだろう。

最近、曽野さんを読んでいて
インスパイアされたのは・・・
「永遠の人生なんて、
一生酔っ払い続けているようなもので、
死があるからこそ、時間的に目的が持て、
そこから幸福感や感動が生じるのだ」
という一文である。

宇宙は真空の「0」の状態から出来て、
多様性(ダイバーシティ)に達し
現姿を形成している。

1ケの素粒子のビッグバンから
現在の複数ケまで分化して
物質を多彩に構成する。

受精卵という単細胞から
60兆の多細胞の組織・器官に分化し
個体を形成するのも、どこか、
フラクタル的である。

一枚のセンベイを
100等分しても
どのパーツも味は変わらないはずだが、
宇宙も細胞も
元のものを変化(進化・分化)させて
多様性でありながら
まとまった一つのものを創り上げる。

仏教に
「本来無一物」
「一にして全・全にして一」
「色即是空 空即是色」
という禅語があるが、
これには
「無は有を蔵し、有は無を蔵す」
という含意もある。

宇宙・存在・人生は
「本来無意味」であるが、
そこに意識・時間を介在させると
「有意味」が生じる。

「宇宙・生命・神・死・存在・時間」
は「空」「無」であるがゆえに
「色」「有」なのである、、
という論理学的には
矛盾ではなく不定の状況が
成立しているように思える。

宇宙は一つだけという
「ユニバース」ではなく、
無限にある「マルチバース」である、
という最近の説の方が
納得がいく。

妄想に近いイメージだが、
極論すれば、
この自意識とは
宇宙・存在そのものであって、
人々が「神」と呼ぶものでもあって、
自他の区別はなく、
自意識は無限にどの宇宙にもあって
無限の今を生きて体験している、
というふうに考えている。

井筒俊彦は
「存在が花をしている」
「存在が私をしている」
と表現した。

モーツァルトの『ジュピター』は
スコアの中に、あるいは、
一枚のCDの中に収まって完結している。

ただ、我われが
それを曲として聴いたり
感動するには演奏という
40分の時間的プロセスが必要となる。

宇宙も人生も同様に
「一にして全」の状態で
完結しているのだが、
これを「体験」するためには
時間と空間と物質と意識という
ものを必要とする。

宇宙は神の見ている夢と
比喩されるのも、
どこか、なるほどな、
と思わされる。

すべての事象は
私という宇宙(意識)が作り出している
事と物であるのかもしれない。

そして、これは、
おそらく永遠に
無限に続くのだろう。

ちゃんちゃん(笑)。

クソ暑いのに、
ようこんなん書くわ。

パタパタ (*・.・)ノ彡 (´~`;) 







まったく形而下なハナシだが、
鼻っぽこをいじってたら
ポロリと角栓が取れて
おでれーた(笑)。

たぶん、
毛穴から飛び出していたのが
爪に引っ掛かったんだろう。

透明な胡麻粒みたいで、
ハナクソみたいな
汚い感じではなかった。

皮脂と角質が
硬化したものである。

ジジイになってきて、
右足だけに、
脂漏性角化症(老人性疣贅/ゆうぜい)
という黒いポツポツができてきた。

整形外科でレーザー処理すると
カサブタになって治るらしいが、
もうイタチごっこになるので、
諦めてジジイの勲章、
点描タトゥーぐらいに思うことにした。

医学用語で
「アクロコルドン」っていうと
なんだか、ちっとばかり
かっちょいい(笑)。

「悪路は(肩が)凝るどん」
と覚えた。

これが長く伸びたイボが
脇の下にもあり、
こっちゃは、
「スキンタッグ」
というらしい。

ハイカラな名前だと、
「老人性イボ」より、
爽やかに感じる(笑)。

セミナー教材

2018-07-11 05:01:00 | 勉強
昨日の午後は
学校から郊外へ
月一の家庭訪問に出かけた。

当人が
昼夜逆転で寝ていたので
母親と祖母と
お話ししてきた。

どちらも
心細げに泣きながら
心配されていたが、
大丈夫ですから・・・と、
「安全感・安心感・大丈夫感」
を提供し、状況分析と
家族の環境調整をすべく
心理教育をした。




帰路、
遠くの山々に
入道雲がムクムクと
盛り上がってきていたので、
こりゃ一雨くるなと期待していたら
退勤時ころに
雷と共に夕立となった。

それで
茹だるように暑かったのが、
一気に爽快になって
よかった。





帰宅したら、
心理サイトのカウンターが
ちょうど「100000」になっていた。

2016/10/25に開始して、
一日も休みなく書いてきて
1年9ケ月でやっと
大台に乗った。

この一週間では
一日1000人を越える日が
三日もあった。

顔が見えない読者ながら、
毎日のアクセス数が
執筆の励みとなっている。






今月から開始する
「宗教臨床セミナー」のために
河合先生の未読の共著物を
5冊アマゾンから購入した。

これで、
ほぼほぼ「河合物」は
コンプリートのはずであるが、
まだ買い漏らしてるものがあるか
河合先生の『公式サイト』で
チェックしてみたい。

時節柄、
オウム事件の再分析も
セミナーで採り上げてみたい。