初めて挑んだ国試が
終わった。
素直に
「無事、おわった・・・」
と言い切れぬ処に
忸怩たる思いと
無念さがあるが、
ここまで辿り着けて、
無事、受験させて頂けた事には
神様に御礼申し上げた。
Tちゃん先生のお祈り添えをはじめ、
友人知人のご声援を頂いて、
お蔭さまで、体調もよく、
道中もスムーズに
会場に辿り着いた。
東京での4日間のハードな
「現任者講習会」(7.7万円)を経て
煩瑣な書類手続きを整えて、
やっと受験資格が与えられたのである。
かかった費用も
軽く10万を越えている。
***
試験場を後に
新幹線に乗った頃には、
茫然自失の状態で、
白く燃え尽きた
『あしたのジョー』
であった(笑)。
ぷしゅ~ぅ ・・・(_ _。)・・・

1R目 120分 77問 46頁
2R目 120分 77問 46頁
1問1.5分というハードゲームで、
事例問題が38問あって
1頁分のケース内容を読むのに
「超速読」して5択から
直感で正解を選ぶようだった。
持てる知識と経験知で
アスリートのように
反射的に即応できないと
時間切れになってしまうような
スリリングな頭脳戦であった。
じっくり考えたり、
迷ったりしている暇がない。
普段から、あたりまえに、
読んだり、書いたり、話したりして、
瞬発力、持久力ともに
鍛えていなかったら
とても対応できなかった。
大規模災害時の
トリアージ(識別救急)のような
正確な即断即決の見極め力量も
臨床家には求められるのかもしれない。
時間切れ直前の
150問目あたりでは、
頭ん中のハードディスクが
「ウィン、ウィン」と
超高速回転で
ぶん廻っている音がした。
60才の「ウィンドウズ95」ジジイには
ケムリが出そうな
過酷な闘いであった。
それこそ、
東大、京大の院を出たばかりの
おにいちゃん、おねえちゃんたちと
同じ土俵、リング、フィールドに立つ、
ということ自体が、
無謀な挑戦なのかもしれない。
「年寄りの冷や水だったかなぁ・・・」
と、今朝の寝床で
開口一番に浮かんだ。
なんだか、
参加することに意義があった
パラリン選手のような気分でもある。
それとも、
東京の情景を楽しみ、
走る喜びを噛みしめながら参加した
「東京市民マラソン」だったのか・・・。
とにかく、
昨日まで頑張ってきた自分に
「ご苦労さんやったなぁ・・・」
と労ってやりたい。
「学生期・家長期・林住期・遍歴期」
という四住期のライフ・サイクルで、
久しぶりに「学生期」を味わえただけでも
佳しとしようと思う。
これからは、
4/14の『ファイナル・リサイタル』への
最終ランである。
心置きなく、
楽しみながら
歌伴の編曲に勤しみたい。

試験の緊張を糊塗するのに、
ブロガー精神を発揮して、
自分を取材してやろうと
「雨の仙台駅に立つ受験戦士」
「がんばれ! カンレキ・ジジイ!」
という絵柄で
自撮りした(笑)。
まさに、
ライフモットーである
「人生を遊ぶ」に倣って
「国試を遊ぶ」である。
人生・・・
「長生き」よりも
「深生き」だい(笑)。
この夏、
大雨で、台風で、
地震で、熱中症で・・・と、
数百もの人々が亡くなっている。
今ここに、
無事に生かされていればこそ、
試験も受けられるのである・・・と、
思わせて頂くと、
自ずと有難味が沸いてきて、
天地の神様に頭(こうべ)を垂れた。
それでも、さすがに、
小心者のアタイは、
試験会場の白い縦看を見たら、
なんだか、急に、
ドキがムネムネしてきた。← 昭和ギャグ
いっそ
ワクワクしてくれたら
よかったのに・・・と、
思わないでもなかったが、
「関与しながらの観察」(サリヴァン)
をしていたら、
そのタームも試験に出た(笑)。
18年間の教員時代には
入試委員もやり、
定期考査も何十と作り、
採点して評価する側だったが、
今は受験し評価される側である。
こういう
攻守反転があるからこそ、
人生は起伏に富み、
波風があって、
オモシロイのだろう。

国試前日の
心理サイトが最高の
「16.796」アクセスに達した。
今後、これ以上の
ブログ記事は
なかなか書けないだろう。
2年間で40万アクセスを
突破したのも初めてである。
試験当日の昨日の
グラフは興味深い。
試験時間帯の
10~12時と
1時半~3時半は
激減していて、
昼休みには
500近くのアクセスがあった(笑)。
ブロガーとしては
こういう利用のされ方は
嬉しいものである。
いくらか
公共に資することに
貢献できている。
ハードな現任者講習会の
受講者の中には、
今年は準備が間に合わないので
見送るという人も少なからずいた。
皆、仕事があり、
家庭があるのだから、
受験勉強に裂ける
時間とエネルギーは
限られている。
講習会の受講証は
5年間有効で、
その間にトライして下さい
という趣旨である。
今回の問題冊子は
持ち帰り可というので驚いた。
なので、
これから自己採点ができ、
来年、再受験するようなら
傾向対策の一次資料になる。
そのような試験センター側の
趣旨も感じられた。
<医療・教育・福祉・法曹・産業>
5分野からの154問だったので、
おそらくは各分野5人ほどで
分担したのではなかろうか。
最終的には
総監修も経たのだろうが、
各問題にはそれぞれ
出題者の個性が読み取れた。
まるでサービス問題のような
簡単・単純なものから、
よくもまあ、これほどヒッカケ・トラップ
張り巡らしまくっとるなぁ・・・やら、
…んなことまで知る奴おるんか・・・という、
重箱スミ突っつきトリビア系まで、
まんずバンラバンラの
個性出まくりであった。
『現任者テキスト』と
『出題ブループリント』以外の
問題も少なくなく、
それさえやってりゃ100点じゃん、
と高を括っていたネット雀たちを
さぞ戦慄せしめたことだろう。
自分的にも意外だったのが
少なからずあって、
今さら「森田療法」や「内観療法」でも
あるまいと軽視していた
日本独自の心理療法も問われ、
これには驚いた。
日本心理療法史的な
出題意図だったのだろう。
これから、
自己採点がてら
詳細に問題を分析し、
予想問題や市販テキスト類との
乖離程度や全体的傾向、講評などを
同じく受験したお弟子さんと
一緒にしながら、
ついでに、それも
心理サイトの続篇として公表し、
今回の振り返り、フォローアップに
しようと思っている。
なんだか、
今回の失敗を轍にして
もう一度くらいは
挑戦してもいいかな、
という気力はある。
「目指すべき峰に掲げられた一本の旗」
へ向かって歩みを進めるのも、
生きる張りにはなるものである。
終わった。
素直に
「無事、おわった・・・」
と言い切れぬ処に
忸怩たる思いと
無念さがあるが、
ここまで辿り着けて、
無事、受験させて頂けた事には
神様に御礼申し上げた。
Tちゃん先生のお祈り添えをはじめ、
友人知人のご声援を頂いて、
お蔭さまで、体調もよく、
道中もスムーズに
会場に辿り着いた。
東京での4日間のハードな
「現任者講習会」(7.7万円)を経て
煩瑣な書類手続きを整えて、
やっと受験資格が与えられたのである。
かかった費用も
軽く10万を越えている。
***
試験場を後に
新幹線に乗った頃には、
茫然自失の状態で、
白く燃え尽きた
『あしたのジョー』
であった(笑)。
ぷしゅ~ぅ ・・・(_ _。)・・・

1R目 120分 77問 46頁
2R目 120分 77問 46頁
1問1.5分というハードゲームで、
事例問題が38問あって
1頁分のケース内容を読むのに
「超速読」して5択から
直感で正解を選ぶようだった。
持てる知識と経験知で
アスリートのように
反射的に即応できないと
時間切れになってしまうような
スリリングな頭脳戦であった。
じっくり考えたり、
迷ったりしている暇がない。
普段から、あたりまえに、
読んだり、書いたり、話したりして、
瞬発力、持久力ともに
鍛えていなかったら
とても対応できなかった。
大規模災害時の
トリアージ(識別救急)のような
正確な即断即決の見極め力量も
臨床家には求められるのかもしれない。
時間切れ直前の
150問目あたりでは、
頭ん中のハードディスクが
「ウィン、ウィン」と
超高速回転で
ぶん廻っている音がした。
60才の「ウィンドウズ95」ジジイには
ケムリが出そうな
過酷な闘いであった。
それこそ、
東大、京大の院を出たばかりの
おにいちゃん、おねえちゃんたちと
同じ土俵、リング、フィールドに立つ、
ということ自体が、
無謀な挑戦なのかもしれない。
「年寄りの冷や水だったかなぁ・・・」
と、今朝の寝床で
開口一番に浮かんだ。
なんだか、
参加することに意義があった
パラリン選手のような気分でもある。
それとも、
東京の情景を楽しみ、
走る喜びを噛みしめながら参加した
「東京市民マラソン」だったのか・・・。
とにかく、
昨日まで頑張ってきた自分に
「ご苦労さんやったなぁ・・・」
と労ってやりたい。
「学生期・家長期・林住期・遍歴期」
という四住期のライフ・サイクルで、
久しぶりに「学生期」を味わえただけでも
佳しとしようと思う。
これからは、
4/14の『ファイナル・リサイタル』への
最終ランである。
心置きなく、
楽しみながら
歌伴の編曲に勤しみたい。

試験の緊張を糊塗するのに、
ブロガー精神を発揮して、
自分を取材してやろうと
「雨の仙台駅に立つ受験戦士」
「がんばれ! カンレキ・ジジイ!」
という絵柄で
自撮りした(笑)。
まさに、
ライフモットーである
「人生を遊ぶ」に倣って
「国試を遊ぶ」である。
人生・・・
「長生き」よりも
「深生き」だい(笑)。
この夏、
大雨で、台風で、
地震で、熱中症で・・・と、
数百もの人々が亡くなっている。
今ここに、
無事に生かされていればこそ、
試験も受けられるのである・・・と、
思わせて頂くと、
自ずと有難味が沸いてきて、
天地の神様に頭(こうべ)を垂れた。
それでも、さすがに、
小心者のアタイは、
試験会場の白い縦看を見たら、
なんだか、急に、
ドキがムネムネしてきた。← 昭和ギャグ
いっそ
ワクワクしてくれたら
よかったのに・・・と、
思わないでもなかったが、
「関与しながらの観察」(サリヴァン)
をしていたら、
そのタームも試験に出た(笑)。
18年間の教員時代には
入試委員もやり、
定期考査も何十と作り、
採点して評価する側だったが、
今は受験し評価される側である。
こういう
攻守反転があるからこそ、
人生は起伏に富み、
波風があって、
オモシロイのだろう。

国試前日の
心理サイトが最高の
「16.796」アクセスに達した。
今後、これ以上の
ブログ記事は
なかなか書けないだろう。
2年間で40万アクセスを
突破したのも初めてである。
試験当日の昨日の
グラフは興味深い。
試験時間帯の
10~12時と
1時半~3時半は
激減していて、
昼休みには
500近くのアクセスがあった(笑)。
ブロガーとしては
こういう利用のされ方は
嬉しいものである。
いくらか
公共に資することに
貢献できている。
ハードな現任者講習会の
受講者の中には、
今年は準備が間に合わないので
見送るという人も少なからずいた。
皆、仕事があり、
家庭があるのだから、
受験勉強に裂ける
時間とエネルギーは
限られている。
講習会の受講証は
5年間有効で、
その間にトライして下さい
という趣旨である。
今回の問題冊子は
持ち帰り可というので驚いた。
なので、
これから自己採点ができ、
来年、再受験するようなら
傾向対策の一次資料になる。
そのような試験センター側の
趣旨も感じられた。
<医療・教育・福祉・法曹・産業>
5分野からの154問だったので、
おそらくは各分野5人ほどで
分担したのではなかろうか。
最終的には
総監修も経たのだろうが、
各問題にはそれぞれ
出題者の個性が読み取れた。
まるでサービス問題のような
簡単・単純なものから、
よくもまあ、これほどヒッカケ・トラップ
張り巡らしまくっとるなぁ・・・やら、
…んなことまで知る奴おるんか・・・という、
重箱スミ突っつきトリビア系まで、
まんずバンラバンラの
個性出まくりであった。
『現任者テキスト』と
『出題ブループリント』以外の
問題も少なくなく、
それさえやってりゃ100点じゃん、
と高を括っていたネット雀たちを
さぞ戦慄せしめたことだろう。
自分的にも意外だったのが
少なからずあって、
今さら「森田療法」や「内観療法」でも
あるまいと軽視していた
日本独自の心理療法も問われ、
これには驚いた。
日本心理療法史的な
出題意図だったのだろう。
これから、
自己採点がてら
詳細に問題を分析し、
予想問題や市販テキスト類との
乖離程度や全体的傾向、講評などを
同じく受験したお弟子さんと
一緒にしながら、
ついでに、それも
心理サイトの続篇として公表し、
今回の振り返り、フォローアップに
しようと思っている。
なんだか、
今回の失敗を轍にして
もう一度くらいは
挑戦してもいいかな、
という気力はある。
「目指すべき峰に掲げられた一本の旗」
へ向かって歩みを進めるのも、
生きる張りにはなるものである。