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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

勉強の秋

2015-10-21 06:52:00 | 勉強
秋晴れが続き
まことに気持ちがよい。

鏡石への出勤途上、
あちこちで色づく木々を
愛でながら
景色を切りとってみる。



自然界のグラデーションや
青空や白い雲、
大地色の山々などの配色を
服飾のコーデにも
参照しようと考えた。

例えば、濃茶のチノパンに
ブルーのドレスシャツ、
グリーンのジャケットに
オレンジのポケットチーフ、
ホワイト・ドレスウォッチ・・・
などはどうだろう。




踏み切りで
電車の通過待ちをしている間は、
退屈な時間なので、
近づく車両をジャストピントで
撮ってやろうと待ち構えていると、
早くこないかなぁ・・・と、
気持ちが踊る。

電車や飛行機や乗り物に
ワクワクする気持ちは、
子ども時代には抱いていたはずなのだが、
いつしか年老いると共に
失ってきたことに気がついた。

半分、ブログ・ネタの為とはいえ、
日常を毎日、取材するというのも
「全人的に生きる」方便なのかもしれない。




K中の公民館勤務にも
次第に慣れてきたが、
この日は、初めての
第一研修室が当てられ、
窓辺に机を寄せて
緑と青空が見えるように
セッティングした。




生徒が一人しか来なかったので、
半日、新着ジャーナル(学会誌)の
論文を読んで過ごした。

年に5回届くが、
最新の心理療法を知るためと、
英語が錆び付かないようにと
毎度、英文アブストラクト(梗概)には
目を通している。

鶴見先生ご逝去

2015-07-24 07:50:00 | 勉強
今朝の朝刊のトップに
鶴見先生の訃報が載っていて
驚いた。



93歳のご高齢であられたから
歳に不足はないが、
若い頃から私淑していた
先生だったので、
まことに残念である。

これで、
翠水先生、河合先生、
中村先生、狐狸庵先生・・・と、
私淑していた老賢者の方々が
すべて鬼籍の人となられた。

これからの余生は、
先生方の残された著述を
再読・精読・玩味し
その思想を体現し
生きていきたい。




ヤフオクで落札した
アンティーク・ウォッチと
水色の革バンドが届いたので、
さっそくオリジナルの
サマー・ウォッチに仕立て上げた。

ラグの軸を外すのは
細かい作業なので、
ルーペや老眼鏡が要る。

それでも、
何十回もやっているので
1分もかからず出来てしまった。

熟練とは
おそろしいものである。




メンズ・ウォッチの野暮ったさと
仕事っぽさが嫌になって、
最近は、もっぱらスリムな
レディースのドレスウォッチを
オシャレ・アイテムとして
遊びに嵌めている。

直径わずか15mmほどの文字盤に
5mmほどの秒針が仕組まれているものは、
その細やかさに感嘆に値する。




来年のリサイタルで
デュオをやる教え子のピアニストが
大阪でのコンサートのために
ドイツから帰国しているので、
滞在中に実家の方に
プログラム変更分の楽譜を送ろうと、
編曲やらコピーに追われている。

8月には、
先日デュオをさせて頂いた
フルート教室の先生の
サマーコンサートにご招待され、
9月には、
福祉施設のチャリティー・コンサート、
10月には、
5回目のコスキン出演・・・と、
毎月、演奏活動も立て込んできた。

それらの練習の傍ら
来年4月の第三回目の
『復興支援リサイタル』の
準備をも進めなくてはならない。

カウンセリングとギターレッスンの
合間の時間に、自分の勉強と
ギター練習に当てなければならない。

充実した50代を
送らせて頂いていることを
神様に感謝し、
心だけは多忙感に陥らず、
余裕を持っていたい。



勉強と研究

2015-07-19 07:13:00 | 勉強
夏休みに突入して、
河合先生のフィールドワーク物を
毎日、再読している。

ケルトとナバホの文化の中に
現代日本の諸問題への
処方箋のヒントがないか、
という趣旨の著作でもあり、
再読して、新たな発見もあった。



本を読むのは
賢人の知見を吸収するという
インプット作業であり、
いわば「勉強」に当たるが、
本を書くのは
新たな発見を創出する
アウトプット作業で、
いわば「研究」に当たる。

二十数年前に
母校の大学院に社会人入学した時、
オリエンテーションで
「心理学の勉強をしに来ました」
と挨拶で述べたら、
「ここは、勉強する所じゃなく、
 研究する所ですよ」
と、亡き恩師に
窘められたのを
今でも忘れられない。

そう。
研究というのは、
自ら問題を提示し
それを解くべくデータを集積し、
解析、考察を経て
新たな発見を
世に提示することなのである。

幸いにも
二十数年前の修士論文は
恩師の推薦もあって、
学会誌の巻頭論文として
掲載された。

以後は、
アカデミックな論文ではなく、
ジャーナリスティックなエッセイ(小論)を
もっぱらネットや自費本で
発表している。

『佐世保小6女児殺人事件の深層』
『佐世保高1女子殺人事件の深層』
『佐村河内事件の深層』
などの社会分析シリーズは、
サイトでそれぞれ
3万人以上の読者を得た。

最近では、
『安部公房「砂の女」深層分析』を
上梓したばかりである。

この夏も
問題を設定し、
そのために読書し、
文献をリサーチして、
在野の魂理学者として
オリジナルの論を展開すべく
勉強と研究の両輪を
バランスよくドライヴさせていきたい。




K高でカウンセリングした
JK(女子高生)が、
夏らしい素敵な「水色バンド」の
時計をしていたので、
自分も久しぶりに欲しくなって、
ヤフオクで中古のレディース時計(360円)と
新品の水色バンド(600円)を落札した。

数日後に届いたら、
また組み合わせて
オリジナルの
サマーウォッチに仕立ててみたい。




BSで『土曜は寅さん』の
ふた回り目を放映している。

もう飽きるほど
全作品を観ているのにもかかわらず、
やはり録画しては、
名シーンなどを抜粋して鑑賞している。

久しぶりに観た
29歳の松坂慶子の
可憐な美しさには
ちょっと驚いた。

2010年の連続ドラ
『ゲゲゲの女房』では
58歳でデップリ肥えていたので、
あれま・・・と、驚いたくらいである。

ウィキってみたら、
快楽亭ブラックと中学の同級生で、
ともに演劇部に所属していたというから、
不思議なつながりである。

ブラックの落語を数多く聞いているが、
そのあたりの自慢噺が
一度も聞いた事がないのも
不思議といえば不思議である。




『酔拳』はもう
十遍以上観ているだろう。

いちばん最初は、
金光第一高校のスキー訓練で
大阪から群馬県の万座温泉までの
17時間ものバス旅行の車中で
観た記憶がある。

バス最前列の教員席で
生徒たちとゲラゲラ笑いながら
長旅を癒した覚えがある。


最終講義

2015-02-20 07:51:00 | 勉強
今年で退官される
中野先生の最終講義を
拝聴させて頂くために
久しぶりに大学に赴いた。

山にある校内は
雪が積もったままで、
市街地とは違った冬景色だった。


学部では生物学、
院では心理学が主専攻だったが、
その傍ら音楽棟で、
和声学・形式学・美学などの
音楽理論を勉強していた。



音楽棟の向かいにある
センターには、
カウンセラー研修会で
何度も訪れている。


中野先生は
日本の精神分析学の中興の祖
土居健郎先生のお弟子さんなので、
先生のお人柄なども聞かせて頂いて
親近感が湧いた。

90分の講義は
まさしく知的な時間で、
アカデミックな興趣を
十分に刺激するものであった。



最後の質疑応答では、
講義内容とは離れるが・・・と、
前置きしてお願いをした。

「先生ご自身も、ご在職中に、
3.11をご家族共に被災されて、
ずいぶんと被災者の心的ケアで
ご尽力頂きましたが、
福島を去るに当たられて、
何か福島の人間にお言葉を
置いていって頂けないでしょうか」

「それがいちばんの心残りなので、
心を少しここに置いていこうと思います。
あとは、個人個人ができることを
やっていただきいと思います」

故郷の大分に行かれても、
福島の復興支援には
何らかの形で関わっていきたい、
とも仰って下さった。

先生のウィットの効いた言葉に感激し、
自分にできる復興支援として、
何としても四月のコンサートを
成功させよう・・・と、
エールを頂いたような気がした。












最終講義

2015-02-17 07:53:00 | 勉強


あさって、
福大で中野先生の
最終講義が行なわれるので、
聴講させて頂こうと思っている。




去年の夏に
福大でのカウンセラー協議会で
お会いし、退官されることを聞いて
ご著書にサインを頂き、
お別れのご挨拶をさせて頂いた。

20年前、
大学院を終了した後に
中野先生が来られ、
サイコセラピー研究会や
自分が命名したFSCA
(福島スクールカウンセラー協議会)で
ご一緒させて頂き、
かねがね明晰な先生を
リスペクトしてきた。

先生は東大卒の
保健学博士である。

その先生も
とうとう福島の地を離れ
九州のご実家に戻られるという。

老賢者が
またひとり
自分の近くから去られるのは
どこか心寂しいものがある。




京都在住中には、
河合先生が
京大を退官されるときの
伝説の最終講義を
京大まで出かけて聴いた。

その内容が
出版されたので、
アマゾンに注文した。

『コンステレーションについて』
という講義だったが、
ノートを取らずとも
その内容は一言一句
いまだに覚えている。

NHKも取材に来ていて、
30分番組で放送されたので
そのビデオもいまだにある。