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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『贖罪』7

2022-11-13 11:41:11 | 信仰

 

〈私は、罪深き、生存者です〉

 その一行を書き出すのに、圭子は誇張なしに数日を要した。

 そして、その後、激しい自責の念に捉われ、衝動的に、ペンで自分の甲を貫こうとした。
 だが、それは数ミリほど喰い込んだのみで、軽い出血だけで治まった。
 その生きている証(あかし)である痛みさえ、彼女にとって罪深い物だった。

 なんで、私が生きて、あのお婆さんは死んだの?
 自分は、あのお婆さんより若くて、未来があって、価値があるから?

(・・・・・・) 

 そんな自問の嵐が、彼女の心を責め立てていた。

 自分は、あの老婆を、足蹴にした…。 

 それは、まさしく、芥川 龍之介が描く処の『蜘蛛の糸』のカンダタその人の所業である。
 勧善懲悪の典型として、小学校の教科書にも出てくる話だ。 

 カンダタは「エゴイズム」の権化である。

(そうなのだ…。

 わたしは、カンダタ…なんだ。 

 自己保身のために、あのお婆さんを死に追いやった、エゴイストなんだ…)


  文学部を出、それなりの教養もある圭子は、自らの非人間的な振る舞いを恥じるには留まらず、死んでしまいたいほどの良心の呵責に苦しめられていた。

 九死に一生を得たのに、死んでしまいたい…というのは、まさに皮肉な話である。
 それと、断末魔の老婆の悲しげな目、恨みを抱いた目…が、消そうにも消せないイメージとして、彼女の人間性を蝕んでいた。

 

      

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震災短編『贖罪』5

2022-11-11 08:47:23 | 信仰

 

 あの日。

 圭子は、会社が休みで、自宅でまったりと過ごしていた。
 そして、散歩でもしようと、家から数歩ばかり出たのが、二時四十六分…だった。 

 この世が崩壊するかと恐怖に感ずるほどの大揺れが襲い、悲鳴をあげながら、路上にうずくまるより他なかった。
 そして、ほどなくして、あの〝魔の水塊〟が街に侵入してきた。

 はじめは、小川のようなせせらぎであったが、それは、次第に鉄砲水の如くに勢いを増し、しまいには、大洪水の様を呈して、街を一気に飲み込んだ。

 圭子がその華奢な脚をとらわれたのは、まだ、小川のような段階であった。
 潮の川を渡って高台へ避難しようにも、すでに、底流では大の大人を転倒せしめるほどの津波エネルギーに成長していたのである。
 それはまさしく、生き物のような〝力〟をもって彼女の脚に突進してきた。

 いちど流されると、あとは奔流に身を弄(もてあそ)ばれるのみで、まったく抗うことなぞ出来やしなかった。

 圭子はしばらく、海とは逆の方向に津波によって容赦なく流された。
 そして水かさが増し、自身が完全に水没するほどの深さになって、激しい水流のなかで、転がる玉のようにもがいていた時だった。

 彼女の脚にすがるものがあった。

 

      

 

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またまた、小指を引っ掛けた!!

2022-09-08 05:47:22 | 信仰

 

毎朝、朝刊を読むのを
何十年も日課としているが、
新聞代は月3000円なので、
一日100円の計算となる。

十何面かの紙面だが、
半分は広告に割かれていて、
関心のないスポーツや株式なぞ
残りの大半も必要な情報ではない。

なので、最近、
もうやめようかな・・・とも
思い始めている。

ニュースだけなら、
テレビで事足りる。

それでも、時たま、
ジョーク欄に秀逸なものがあったり、
社説の見出しに
眼を惹かれたりする事があるので、
未だに、やめられずにいる。

今朝の
「合同離婚式をしたい。
      自民党 」
も巧かった。

そして、
「命を預かる責任」
という言葉にも
学校人としての責務を
再認識させられた。

*

 

先月に続いて、
きのうも寝室の入り口の角に
まったく同じ箇所の
右足の小指を強打して
出血してしまった。

そのファースト・インパクトの
頭がぶっ飛びそうな痛さよ!!(笑)。

ひとりで、室内を
インディアン踊りをしながら、
一周するほどだった(笑)。

よっぽど、死角になって、
もうカラダの一部という感覚が
なくなってきたのだろうか・・・と、
「老い、逝く」前段階のように
思われた。

それでも、信仰的には、
「大難を小難」に奉り替えて
頂いている・・・と、考えられば、
「外での大事故を、家での小事故」
にして頂いているんだなぁ・・・と、
有り難くもある。

金光教には
「やれ痛や。今、みかげを」
というみ教えがある。

命に関る大きな事故や
大病になる処を、
二度つづけての小指の出血や
三年越しのオシリ痛で
分割払いにして頂いている、
と思えば、「痛み」にも意味があり、
了解・納得できる気がしないでもない。

信仰とは
そういう事なのだろう。

 すべてに禮を言ふこころ
  神をあらはし
   神になるこころ

・・・と、碧水先生も
詠んでおられる。

*

きのうオフ日だったので、
小指から血を流しながらも、
サンダルを突っかけて
散歩&ツタヤ・ブラウジングに
出かけてきた。

そしたら、
『ゴルゴ13』の新刊が出てたので、
買ってきた。

我が家の漫画図書館には
初刊から全巻揃っている。

のんびり、横になって、
じっくりと、堪能できて、
いい、ひと時が過ごせた。

*

 

いつもの野っ原に
アスパラが伸びてたので、
ひと株摘んできて、
晩のフレンチのガルニ(添え物)にした。

前夜のご飯が
オニギリ1ケ分だけあったので、
エリンギとマイタケを
フードプロセッサーで「米粒状」に
細かくして、ご飯と一緒に
バターとオリーブ油で炒め、
ブランデーでフランベした。

セルクルに詰めて
メダイヨン(メダル状)に焼いた
ポール(豚肉)をトッピングし、
アスパラの脇芽を添えた。

*

カミさんが
ミッチャン叔母ちゃんから
カボチャをもらってきたので、
冷製ポタージュにしてみた。

ファンシーな
アシェット(器類)の組み合わせを
選んでみた。

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