A教諭は、生きる「決断」をした。
そう。
生きて、この惨劇を後世まで語り継がねばならない「語り部」としての使命が自分にはある、と悟ったのである。
何かと口さがない地方の街ゆえ、多くの子どもたちの命を救えなかった教員にとっては、身の置き処がない辛いものがあった。
陰でどんなことを言われているかを想像するだに身が切られる思いがするし、ましてや、匿名性の隠れ蓑をいいことに、他人の死すら平気で揶揄する輩(やから)も跋扈するネット空間では、どれほどの誹謗中傷がなされることか…。
無論、仕方なかった、不可抗力であった…という、擁護論もあるだろうが。
しかし、実際にあの地獄のような津波の惨劇を目撃し、今ここで、生き残った地獄を生きているA教諭にとっては、子どもたちや、その親たちに申し訳ない気持ちで、他の考えが入り込む余裕なぞ微塵もなかった。
今はただ、子どもたちと、その親たちに詫びたい、すまないという気持ちで一杯であった。
ただ、それだけであった。