『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

震災短編『決断』5

2022-12-03 08:59:36 | 創作

 

 裏山を黙々と登って逃げたA教諭は、途中、倒木に行く手を遮られ、危うく倒れ掛かる木の下敷きになるところだった。

 なるほど、あの七十名あまりの子どもたちをこの山へ一斉に避難させていたら、少なからず土砂崩れや倒木の犠牲者が出たかもしれなかった。
 しかし…、それは、丸ごと津波に呑み込まれて、全員が犠牲になるより、数の上ではどれほどよかったか…。
 今となっては、詮無い事であった。 

 津波襲来の時、逸早く隊列から離れて、機敏に山に駆け込んだ三年生の男の子も、ひとりだけ助かった。
 彼は、裏山を抜けた高台に臨時避難所となっていた建物内で、一晩をA教諭と供に過ごした。

 

      
 
 翌朝。
 あの化け物のような津波が去った後は、まるで、原爆が落ちた直後のヒロシマやナガサキの風景をも思わす荒涼とした街の姿であった。
 そこが、かつて街であったということは、辛くも鉄骨や基礎のみが残った建物の残骸で識ることができた。
 まさしく、一帯は廃墟であり、人々の打ち砕かれた心もそれと同じであった。

 三陸小は、一瞬にして、全校の児童と職員のほぼ八割を失った。
 この平和な平成の御世において、学校災害として、これほど大規模な悲劇は前例がなかった。
 よって、これは自然災害としての教訓だけでなく、多くの児童・生徒を預かる日本全国、いや、全世界の学校人が心に留めておくべき教訓とせねばならない大きな「学校事故」である。

 

 

 

 

 

 

 

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震災短編『決断』4

2022-12-02 08:00:22 | 創作

 A教諭は、裏山の傾斜面に立ち尽くし、まさに〝魂消た〟というように、魂の抜け殻のように、呆然と逆巻く潮の大河を見下ろしていた。 

 今、自分と子どもたちが避難してきた堤防沿いの小道は、今はもう完全に水没していた。
 その激しい激流は、児童も同僚たちもアッと言う間に呑み込んで上流へと遡っていった。
 

     

 もう誰の姿も声もそこには無かった。
 総毛立つようなその恐ろしい光景にA教諭は慄(おのの)いた。 

 そして、我がクラスの子どもたちを誰一人救えなかったという、信じがたい事実に押し潰されそうになった。
 自分だけが必死の思いで逃げて助かった。
 でも、それは生存本能であり、あの場合、もうどうにも仕様がなかったのだ。

(だから…、だから、裏山に避難すればよかったのに…)
 という、怨み節のような、泣きたいような気分に襲われたが、それも今となっては詮無い事であった。
 

 大津波は、深山渓谷に響き渡る巨大な滝の落下音のような水音を一面の大地に鳴り渡らせていた。
 やがて、家々が流され、大きな船まで流れに翻弄されていた。
 大人の半分ほどの児童が、この流れに飲まれては、どうなるものでもなかった。
 

 A教諭は、助かったばかりの貴重な我が命ではあったが、なんだか死にたいような気もした。
 自然災害とはいえ、学校で与っている大勢の子どもたちが、これほどに大規模に犠牲になることなど、つい昨日までの平和な日本の社会では、あってはならないことであるからだ。 

 天空からは、小雪が舞い降りてきていた。
 数分おきには、傾斜地には立っていられないほどの巨大余震にも見舞われた。
 

 何と言う気象だろう・・・
 荒れ狂う大地。
 荒れ狂う海。

 そして、何という人生だろう…と、A教諭は打ちのめされていた。
 目の前で、多くの子どもたちを死なせてしまった。 

 その責任などは取りきれるものでもなく、これから、どう身を処していいのかさえ見当もつかなかった。
 それでも、彼は、ただひとりの大惨劇の目撃者であり、生き証人でもあった。

 

 

 

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震災短編『決断』3

2022-12-01 08:33:15 | 創作

 

 A教諭は、背中に突風を受けたかと思うや否や、グワーという至近距離でのジェットの轟音のようなものを耳に聞いた。
 振り向くと、そこにはまるで超巨大ダムが決壊したかのような水の塊が唸りをあげて我が方へと迫り来るのであった。

(つ、津波だぁ~)  

 度肝を抜かれるその巨大な水の壁に、A教諭は、咄嗟に声が出なかった。

 しかし、固唾を呑みながらも、
「津波だぁ~ッ!」
 と、あらん限りの声を隊列の先頭めがけて叫んだ。 

 力の限り絶叫するや否や、その脚は、反射的に山に向かって駆け出していた。

 突風と轟音と共に、巨大な龍の口が子どもたちの隊列に迫っていた。

「きゃーッ」
「うわーッ」
 という甲高い子どもらの声が隊列のあちこちで上がった。

 引率する教員たちには、もうなす術もなかった。 

 どう全力で疾駆しても、自らも、子どもたちも、この死の虎口から逃れられるとは到底思うことが出来なかった。
 無力感と絶望感と恐怖感が入り混じって、迫り来る「その瞬間」に、時よ止まれ、と虚しい願いを祈るよりほかなかった。

 A教諭は、無我夢中で全速力で、おそらくは、生涯これほど命懸けで走ったことはなかろう、というぐらい走りに走った。
 息が切れたり、もし躓(つまず)きでもしたら、それでもう一巻の終わりである。 

 走る。走る。走る。
 ンハッ、ンハッ、ンハッ…。

 全身脚となり、風景は線となった。
 目指すべき裏山の裾野が次第に目前に迫りつつあった。

(逃げ切れるッ…)
 脳裏に浮かんだ。
 それは、生存本能以外の何ものでもなかった。

 遠くから
「ンキャ~ッ」
「おかぁさ~んッ」
「やだ~ッ」
 という幼子たちの阿鼻叫喚の声々がA教諭の耳を刺した。

 涙が溢れた。
 頬に温もりを感じた。
 しかし、それは皮肉にも、自分が助かった証(あかし)でもあった。

 裏山の中腹まで夢中になって駆け上がると、初めて彼は、その場で下を振り返った。
 避難路として来た川沿いの堤防は、濁流とも言える水面下に没していた。
 子どもたちの隊列も一掃されたかのように掻き消されていた。

 

       

 

 

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震災短編『決断』2

2022-11-30 07:25:41 | 創作

 

 校庭にきちんと整列した子どもたちの足元は、幾度となく、巨大な余震によって揺らいだ。
 そのたびごとに、一、二年生の低学年の子どもたちは悲鳴をあげた。
 五、六年生の高学年の女児たちは、互いに抱き合って怯(おび)えた。
 新卒の若い女性教師も、泣きたい、逃げ出したい気持ちを殺して、子どもたちを護ることに必死だった。 

 グワァーッ…という、地鳴りが何度なく校庭を襲った。
 震度5もある余震が、数分おきに起こってくるのである。 

 今ここで、絶え間なく続く一連の余震が、これが尋常の災害ではないことを、教員たちの誰もの胸に去来した。
 この日は、生憎と、学校長が私用で不在であったため、教頭が各学年の主任を集め、在校する子どもたちの避難誘導についての協議を迫られていた。 

 生徒指導主任が口火を切った。
「このまま、裏山に逃げましょう」
「いや。土砂崩れや、倒木でケガをする恐れがありますよッ!
 山道なんてないんですよ。
 それに、うっすら雪が積もってるようですし、転んで将棋倒しにでもなったら…」
 と、教務主任がそれに応えた。
 ベテラン教諭が
「それでは、ハザードマップに従って、橋の向こうの三角地帯に避難しましょうか…」
 と言った。
 並み居る教員たちは、指揮者である教頭の決済を仰いだ。

「うん。とりあえず、校庭からは移動することにしましょう。
 先生方。各学年の引率、よろしくお願いします」
「はい」
 と、それぞれの担任が返事をすると、体育座りさせていた子どもたちの処へと銘々小走りで戻った。 

 A教諭だけは独り、
(やっぱり、山の方が安全なのでは…)
 という、思いを抱きながらも、教頭の決断に従い、まだ、校舎内に残っている児童がいないか、見回りに戻った。
 そして、小雪がちらつき寒がっていた薄着の子どもたちにと、何着かのジャンパーを無造作に両脇に抱えて出た。 

 すでに、子どもたちは列をなして校庭を後にするところだった。
 A教諭は小走りにその最後列に駆け寄った。 

 八十名ほどの隊列の前方はかなり前の方であった。
 時計を見ると、あの最初の地震感知からすでに五十分近くが経っていた。

 その時、何処やらを走っている役所の広報車のスピーカーから、
「巨大津波が迫っています。住民の方は早く高台に避難して下さい」
 と、何度も何度も割れんばかりの叫び声でふれ回っていた。

 

           

 

 

 

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震災短編『決断』1

2022-11-29 07:56:05 | 創作

 

 3・11で、七十四人の児童と十人の教師が津波の犠牲となった小学校がある。
 未曾有の大震災とはいえ、一校の子どもたちや教師たちがそれほどの犠牲になったのは、後世まで記憶に留めておかねばならない教育界の大惨事である。
 この事故には、津波が来るまでの約五十分間のあいだに、どうして適切な避難指示がなされなかったのか、という遺族からの疑義が教育委員会に質され、一部の遺族からは損害賠償請求の訴訟も起きている。
 この大事故の詳細は第三者委員会によって『事故検証報告書』として平成二十六年に公表されている。
 我われは、多くの事をその報告書から学び取り、今後の教訓を得ることができる。

 まさに、当日の現場は、パニック状況であったことだろう。
 校長不在で教頭が避難の指揮をしていたが、結果としてその「決断」によって大事故が生じてしまった。その教頭ご自身も亡くなられたので、気の毒なことであるが、事故後、検証された様々な情報から総括すると、結果論的には「裏山に即時非難」が事故から免れた最善策だったようである。
 緊急時に、多くの人命をリードする立場にある者が、逡巡し、将棋で言う「最善手」にたどり着けず、「悪手」を打ってしまうと、自らの命だけでなく尊い他者の命まで失ってしまう悲劇が生じるのである。
 
 本作は、この悲劇的事故をモチーフとして、フィクションとして創作したものである。
 亡き児童と教職員の御霊(みたま)様が安らかならんことを祈念するものである。
 
 

 

1 

 午後二時四十六分。
 三陸小学校では、帰りのホームルームの時間を終え、子どもたちは銘々、下校にさしかかっていた。

 その時である。
 グラリ…と、教室や校庭が大きく揺れたかと思うと、聞いた事のないような地鳴りと共に、ガラガラと辺りのものが崩れるほどの大地震が学校中を襲った。
 それは子どもだけでなく、教員ですら恐怖を抱くような、かつて経験したことのない大きな揺れが三分近く続いた。

 悲鳴をあげる子、泣き出す子、嘔吐する子…と、校内はパニックに陥った。
 放送機能はどうにか無事だったので、緊急放送が校内に流された。

「生徒は、ただちに、校庭に集合しなさい。
 繰り返します。
 校内にいる生徒は、すぐに、校庭に避難して下さい」

 放送する教頭自身も、いまだかつて経験したことのない巨大地震に胸の動揺が収まらずにいた。
 
 ワァーワァーという騒ぎ声をあげながら、大勢の子どもたちが校庭へと駆け出してきた。
 校門付近には、我が子を迎えようと慌て駆けつけてきた父兄たちの姿もあった。
 数人の担任教師が、その対応に当たっており、順次、親に子どもたちを確認しながら引渡していた。
 その一方で、別の教師群が、迎えの来ない子どもたちに号令をかけて、整然と校庭に並ばせていた。 

 子どもたちは、ふだんの授業やホームルーム活動どおり、教師の指示に従順に従っていた。
 どの組の誰と誰が居るのかという所在確認は、教師の最優先確認事項である。
 このような非常時に、まだ判断力の未熟な児童に、勝手に行動させるようでは、教育機関としての学校の体を為してはいない。
 ひと処に集合させ点呼を取る、というのは至極当然な教育指導である。 

 だが、海に近い学校にあっては、そこから悠長な待機は、危険度を増すことになるのも必然であった。
 三陸小学校は、海岸から4キロの処に建っていた。
 歴史的にも、数々の津波被害に遭遇した地域柄、地元には「津波てんでんこ」という言い伝えがある。
 それは、大地震後、津波が来そうな時には、誰にもかまわず、銘々、自分で逃げよ…という、経験から導かれた助かる処方箋でもある。
 しかし、下校時に、まだ校内に残っていた子どもたちは、教師の指示に従うよう教化されていたため、この教訓どおりには行動できなかった。
 低中学年にあっては、その教訓すら知らない子もいたであろう。

 三陸小学校は、地元では、災害時の避難場所にも指定されていた。
 しかし、こと津波に関しては、海抜1メートルのこの学校が避難場所として指定されているのは、如何にもハザードマップとしては誤りとしか言いようがなかった。

 

        

 

 

 

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