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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

漣さんの凄み

2020-09-05 04:58:00 | 音楽
BSで
『大杉 漣 60歳のフラメンコ』
を録画して、
何気なく視てみたら、
驚きのエンディングで
圧倒されてしまった。

番組のコンセプトは、
還暦を迎える大杉が、
セヴィリアに赴き
踊りのマエストロの弟子に
直接フラメンコの踊りを五日間習い、
最終日に披露するという
ありがちな企画だった。

名優の大杉といえども、
レッスン初日から
これは容易な世界ではなく
途轍もなく奥深いと悟り
愕然とする様子が伺われた。

レッスンは、
「フラメンコの母」と言われる
「ソレア」で、
「孤独」という意味でもある。

二日目、三日目となっても、
相変わらず腰の砕けた
ドジョウ踊りのレベルで
苦笑を禁じえなかったが、
さすがに名優だけあって
次第に、フラメンコの本質や
それが形だけの表現ではないことに
気付き始めるのである。

そして、
75歳のマエストロの
マノロ・マリン宅に訪れた大杉に
彼はこう諭した。

「誰でも、老いたくはない・・・。
でも、すべてを失うわけではない。
失うのは表面上の美しさや
肉体のパワーくらいだが、
それに代わるものがある。
派手に踊るだけがフラメンコじゃない。

フラメンコは悲観的だったり、
激しく表現する事が多いけれど、
瞬間の静けさも必要なんだ。

『葉っぱは森を見せてくれない』
と、言うけれど、
葉が茂りすぎると
森の美しさが見えなくなる…。
それと、同じように
派手に動くだけでは
観衆に何も伝わらないんだ。」

フラメンコの奥深さと
自分の老いと不器用さに
直面させられた大杉が
追い込まれながらも
マエストロの教えに
何かを触発される。

5日間、文字通り、
手取り足取り指導してくれた
ベタンソ先生(38)は
レッスンの成果を
師匠の前で披露する前日に、
大杉の苦悩する姿と
懸命に打ち込む姿に触発され、
「本番」当日に、
一夜で書いたという詩を渡す。

 これが私の孤独だ
 今は離れて静観してみる時だ
 いつも独りで居たいわけではない
 でも
 私は自分の孤独に魅力を感じる
 独りでいる事が好きではあるが
 それは私を傷つける
 しかし
 私は私自身である必要を感じ
 私自身を感じることができるのだ

大杉は受け取ったこの詩を
あたかもドラマのセリフのように
頭の中に叩き込む。

そして、
マエストロが登場して、
ベタンソ先生が見つめ、
ギタリスト・歌い手がセットする。

大杉は、黒い帽子と
黒いコートに身を包み、
コンビニの袋を小道具に持ち、
スタジオの外の通りから
稽古場の木戸に入ってくる
という演出を考えた。

即興劇的に
通りの子どもの声も
BGM効果として
採り入れられていた。

自ら「Ok!」と言うと、
演技が始まった。

スタジオ内にいる
フラメンコ・アーティストたちは
通りの向こうから
足取り重く歩んでくる
ひとりの老いさらばえた
老人がスタジオの木戸から
入ってくる姿をそこに観る。

老人は伏し目がちに、
時に、虚空を凝視し、
やおら、ダンッ! …と、
静寂を破るような
ステップを踏む。

すかさず、
ハッとしたかのように、
ギターがそれを受けて
不協和音で「孤独」の
世界観を音に表す。

手にした紙片の詩を
自分に言い聞かせるように、
読むような語るような
訥々とした「日本語」で訴えかける。

そして、
その紙片を床に落とし、
さらに、つぶやくように
詩を続けると、
マエストロが目くばせで
カンタオール(歌い手)に指示を出し
「♪ アイアイ、アイーッ!!♪」
という歌い出しが始まる。

その「間」が絶妙であった。

老人はさながら
能役者のような摺り足で
凝視する4人の前に進み出て、
コンビニ袋を抱えながらも
片方の人差し指を突き立てて
油の切れた体のように
天を指さす。

そして、
ポトリと袋を落とすと、
両手を使い、全身で、
声にならない慟哭を上げる。

すかさず、カンテ(歌)が
その表情に合わせて
振り絞るように声を張り上げた。

まるで、アテレコのように…。

そして、それをギターが受けて、
激しいラスゲアード(掻き鳴らし)で
老人の「孤独」の絶望を表現した。

そのシンクロ加減は
見事な即興劇であった。

そして、
ギターと歌のクライマックスに
ピタリと合った刹那、
一転して、老人は床に崩れ、
不思議な微笑を浮かべ、
やがて瞑目して昇天した…。

ギターも同時に
息絶えたかのような
微かな音で消えていく。

そして、静寂…。



演技が終わって、
複雑な笑みを浮かべ
大杉が立ち上がると、
一同から
「ムイ、ビエンーッ!!
 (very good!)」
の歓声が上がった。

5日間の猛レッスンで習得した
ステップや振り付けは
一つも使わずに、
ベタンソ先生が詩に託してくれた
“フラメンコの心”
「ソレア(孤独)」の本質を
名優は見事に歌と音楽と
場のアイレ(空気)を採りこんで、
ホンド(深い)なドゥエンテ(魂)で
表現しきった。

それは、まさしく
「大杉 漣のフラメンコ」であった。

マエストロの語った
「派手に踊るだけが
フラメンコじゃない。
瞬間の静けさも必要なんだ…」
という
教え通りであり、
ベタンソ先生の詩の
「これが私の孤独だ」
という言葉の
迫真の無言劇であった。

ベタンソ先生は、
目を泣き腫らしながら
「自分の詩を
こんなに素晴らしく表現してくれて
ありがとうございます」
と、名優のフラメンコに
感動と謝意を伝え
二人は互いを讃えて
抱擁しあった。

マエストロからも
「感動した。
国も言葉も関係ない。
万国共通のものがあるんだ」
という最大級の賛辞と共に抱擁され
大杉は子どものように泣きじゃくった。

老いの身を酷使する踊り、
馴染みにくい12拍子、
マエストロや先生たちの思い遣り、
出来ない自分への苛立ち、
そして、異国での「孤独」感…
表現へと追い込まれる「苦悩」…
それらが、これ以上ないほどに
昇華されて“その場”に
フラメンコとして結晶した。




5日間のレッスンの最終日、
ペタンソ先生は
「振りなんて忘れたっていい。
毅然として、その時の
自分の感情を表現し、
自分を伝えるんだ」
とフラメンコの本質を伝えた。

並の番組、
並のアイドルであれば、
猿真似の不完全な踊りを見せて、
「よく頑張ったね…」
と、マエストロに
激励されて嬉し泣き…
というチープな予定調和と
なったことだろう。

しかし、
番組終了後に、それを視聴して
圧倒されてしまった知人の
森 公美子が、
在りし日の大杉を偲んで
「漣さんは、
『予定調和なんて大嫌いだ…。
人生にそんなのはない・・・』
と言ってました…。
そして、言葉通りに
66歳で逝ってしまいました…」
と、述懐する。

「あれこそが、
漣さんのフラメンコなんですね。
踊っていないとか、
そんなこと関係ないんですよ。
だからこそ、先生たちも
感動したんですよ」
とアーティストとして
さすがに本質を見抜いていた。

まさに、
心が震えるような
迫真のフラメンコを
久しぶりに観た。

なんだか、
居ても立ってもいられなくなり、
古いフラメンコギターを
取り出して、
無心に『ソレア』を弾いて
この感動を音にせずには
いられなかった。

きっと、
今度のレクコンでの
フラメンコ曲も
今までよりも更に深く
「一曲入魂」
「曲中没我」
になれそうな気がする。




レッスンの中で、
何度も出てきた
先生のカウントが
大杉さん同様に
耳にこびりついてしまった(笑)。

同時に、
フラメンコ教室で
伴奏をやらせて頂いてた時の
イズミ先生のカウントを
思い出してしまった。

スペイン語での
カウントである。

「ウノ・ドス」1・②
「ウノ・ドス・トレス」1・2・③
「クワトロ・シンコ・セイス」4・5・⑥
「シエタ・オチョ」7・⑧
「ヌエバ・ディエゴ」9・⑩
という
アクセントで踊る。

この12拍子に乗れないと
フラメンコは踊れないから、
一朝一夕では
盆踊りにもならないのである(笑)。

風呂上がりに、試しに、
カウントしながら、
サパテアート(足運び)と
ブラソ(腕振り)を
姿見の前でやってみたら、
なんだか、“ドラム缶のタコ踊り”
といったあんばいだった(笑)。

…:;(∩´﹏`∩);:.  




コンサト欲求

2020-08-04 05:51:00 | 音楽
サマバケ中、
ロンバケ中、
ホームバカンス中である。

もっぱら、
読書、書、ピアノ、料理、
録画番組視聴・・・で、
暮らしている。

ただ、
ここ数日、なにをやっても、
1時間ほどで背中が痛くなり、
シンドクなって
横になるようである。

気が付けば、
口中に薄い痰が出るので、
軽微な風邪模様で
気管支に炎症があるのかもしれない。

怠さがひどい時には、
仕方なく、鎮痛消炎作用のある
イブプロフェンを服用している。

主治医に行くまでもないので、
セルフ・メディケーションで
ずっと様子を見ているような
あんばいである。




二日がかりで、
ピアノと向き合って、
『もののけ姫』の
独奏版編曲を仕上げた。

楽器や譜面と向き合ってる時は、
オシリの痛みもやり過ごせ、
楽しく没頭できて
免疫力もアップするようだが、
ただ、この作業も1時間で
カラータイマーが点滅する。

仕方なしに、
休み休みで、なんとか、
スケッチから清書に起こせた。

これまで、
久石 譲の曲を
ギターとピアノで
10曲近く弾いてきたので、
その勘所は解ってきた。

同様に、
古賀 政男の曲も
ギターでは10曲近く
編曲・演奏・CD化してきたので、
そのツボが解ってきた。

それは、
五音階+一音が基礎で、
前奏・間奏・助奏(オブリガート)・
コーダ(終結部)を持つ
独特の構造をしている。



観月台ホールの
国見町教委から
問い合わせの返信が届いた。

町民に公開目的で
ベーゼンドルファーを
土曜日に半日使用したら、
会場施設費込みで
2.7万円だという。

これなら、
ポケットマネーで
気楽に少人数対象の
ちょっとしたミニコンサートが
開けそうである。

演奏家というのは、
不思議なもので、
たとえ一人でも
聴き手がいれば、
練習とは違ったスイッチが入り、
「本番」という迫力と
実力が出るものである。

久石レパートリーも
『ナウシカ』『ラピュタ』
『もののけ』『魔女宅』
と揃ったので、
子ども向けにもいいかもしれない。

これに、
『遥かな時の彼方へ』
『冬ソナ』や
『エリーゼ』
『ノクターン』(ショパン)
『遠い国から』(シューマン)
『アダージョ』(モーツァルト)
などをプログラムしたら、
長めのMC入れて
2ステージ構成できるかもである。

なんだか、
思いつきで
湧き起こった
コンサート欲求が
現実味を帯びてきたかなぁ・・・。

ふと思うは「神心」(かみごころ)
あれこれ思うは「人心」(ことごころ)
とも言うしなぁ・・・。

オシリ痛と
コロナ鬱を脱するためには、
一念発起の猛練習と
「本番」という刺激が
必要なのかなぁ・・・。

それよりも、
編曲したり、練習したり、
発表したり・・・
という暮らしと喜びが
必要で大事なのかなぁ・・・。

でも、
6年間の『復興支援リサイタル』で
“楽団ひとり”のシンドさは
散々、体験してきたからなぁ・・・。

それから、やっと解放されて、
のーびのびできたのになぁ・・・。

自分だけのために、
音楽たのしめるようになったのになぁ・・・。

・・・なんだか、
あれこれ、
思いはじめた・・・(笑)。

これが、
「ひとごころ」なんだなぁ・・・(笑)。




店主の老齢化で、
昭和来の町食堂が
次々とその営みに
幕を引いている。

なので、
それを惜しんで、
駆け込み需要みたいにして、
あちこち巡っている。

「食」も文化なので、
一度、滅びたら、
もう二度と味わえない、
というものである。

その憂き目には、
散々遭ってきた。



三河台小の近所にある
「まんさく食堂」も
老齢化が進んでおり、
代替わり要員もいなさそうである。

いかにも、
「昭和食堂」然として
品書きの中から、
いかにも、
“昭和風情”のカツ丼を
頼んでみた。

ここはお爺ちゃんが作り、
お婆ちゃんがお運びである。

これって、
いいなぁ・・・である(笑)。

カツ丼のいいとこは、
そのドカッとした
堂々たる風貌である。

これを、自作造語では、
「容貌」「面持ち」から転じて、
「丼貌(どんぼう)」とか
「丼容(どんよう)」、
「丼面(どんづら)」、
と密かに形容している(笑)。

世間では、
通じないが・・・(笑)。

「まんさく」の「丼貌」も
威風堂々としたものである。

思わず、
エルガーの『威風堂々』の
主旋律が脳内で
流れるようであった。

それに、
とじた玉子の
白身から黄身にかけての
グラデーションが
なんとも美しい。

なにも、
日本料理やフレンチばかりが
目で味わうものではない。

“町食”の丼だって、
ラーメンだって、
それなりの素人美人、
スッピン美人さんは
いるものである(笑)。



味も日本人好みの
味醂と醤油の甘辛“昭和味”。

「まんさく」丼は、
味の輪郭が
ボケッとしてなく、
ピシリとして
エッジが効いていた(笑)。

豆腐と若芽の味噌汁が
いい合いの手になってくれる。

ただ、お新香が
出来合いもんだったのが
「画竜点睛を欠く」だったかなぁ・・・。

これが自家製の
婆ちゃん糠漬けだったら、
町食の三ツ星である(笑)。



きょうは、
ソーちゃんの
「王位戦」の第三番目である。

朝のNHKニュースでも
報道されていた。

すでに二勝しているので、
今日勝てば早くも
「二冠」と「八段昇段」に
【王 手】である。

18歳で、
それを為した人間は
先にも居ず、
後にも出ないだろう。

「4百年にひとりの天才」
だからこそ
為し得る“大偉業”である。

まさに、
今日の一戦を
「我、刮目して是を観る」
である。



BSの再放送で、
2013年放送時に見逃していた
『妻はくノ一』の
初回をやっと視ることができた。

このドラマでの、
瀧本 美織が美しく、
連ドラ『てっぱん』(2010)では
さほどに思ってなかったのに、
見直した記憶がある。

きっと、
22歳で最も輝いていた
時だったのかもしれない。

なんだか、
松 たか子と
松嶋菜々子を
足して2で割ったような
雰囲気だった(笑)。

91年生まれなので、
今は29歳になったようだが、
最近の活動はよく知らない。





自分に出来る事

2020-08-02 06:41:00 | 音楽
観月台ホールに
初めて訪れて、
「ベーゼンドルファー試弾会」を
初体験した。




音楽堂での
「スタインウェイを弾こう」は
1時間1.600円だが、
こちらはワンコインで
お得感があった。

ホールでも初の試みのようで、
係員も丁寧に応対してくれて
感じがよかった。

10月にもやるらしいので、
また、出かけてみようと思う。




下調べなしで、
初心(うぶ)な状態で
楽器と向き合ってみた。

最初のタッチで、
やはりマイルドな感じがし、
スタインウェイよりは
ややスッキリ感があった。

伝統的な
オーストリアのメーカーだが、
2008年からはヤマハの
完全子会社となったようだ。

試弾会のインペリアルは
最高級フル・コンサート・グランドで、
価格は2.500万する。

スタインウェイと違うのは、
音質ばかりでなく、
標準的な88鍵ではなく、
低音部が拡張されており
「エクステンド・バス」という
11鍵が追加された97鍵になっている。

その部分は、
白鍵ではなく
全部、黒鍵になっているのが、
斬新なルックスであった。

最低音は「ド」から始まって
きっちり8オクターヴになる。

その11本の弦が追加された分、
中音部の共鳴も
豊かになるのが特徴らしいが、
高音部とのバランスを取るのが
演奏家には難しいらしい。




古楽器製作家で
楽器フェチでもあるので、
黒鍵の一ケ所に
縞黒檀の「茶色」い部分がチラリと
ワンポインで混ざっている処に
“萌え”てしまった(笑)。

それが、目立つ
中央の「Dis(Es)」に
用いられていたのが、
「ホンマもんの
エボニー(黒檀)でっせ」
という、
製作者の意図が感じられた(笑)。

当然ながら、
白鍵は「ホンマもん」の
アイボリー(象牙)である。



さすがに、名器は
キーアクションが軽く
弾きやすい。

音もよく、
当たり前だが、
申し分のない完璧なピアノである。

なので、
家のアップライトでは
弾けなかったような箇所も
指が負担なく動き、
一割がた上達したような気分になる。

ただし、
ホール自体は
音楽堂のように残響はなく、
ややデッドな音場であった。



きのうの体験では、
なによりも、
また、コンサート活動したくなった…
という意欲が湧き起こったのが
収穫のような気がする。

このコロナの時季に
無謀な野望だが、
『3.11復興支援』の6年間を
やり遂げたので、
今度は、
『コロナ復興支援』で
「音楽で人々を元気付ける」
という大義名分があっても
いいかな・・・とも思った。

なにせ、
“歌って踊れるセラピスト”
を標榜しているのだから、
一人びとりを相手するカウンセリングと
多人数を相手するレクコンを
実践していくのも有りだな・・・
と考えた。

さっそく、
ホール料金を調べたら、
土用の午後が1万円と
音楽堂の1/5ほどなので、
「三密」を避けて
一列に一人くらいで
50人も入ればいいや・・・
という感じである。

ピアノ利用料は
メールで問い合わせ中だが、
音楽堂のスタインウェイは
半日2万円なので、
それも1/5だといいのだが・・・(笑)。

ピアノだけに特化した
レクチャー・コンサートで、
一時間半くらいなら
なんとかプログラミングできそうだ。

ギターやリュートや
チェロを持ち込んだら、
ドガチャカになるけんど、
そういう「五目飯」コンサートも
オモロイかもしれない。

なんせ、
自分にとっても、
オモロイくてワクワクしないと
ツマラナイ。

こっちのワクワク・ウキウキが
聴衆に伝播して、
みんなでワクワク・ウキウキに
なってもらうのが、
「ヒーリング・コンサート」の
眼目である。

やるとなると、
またまた、
市教委に後援を頼んで、
18ケ所の学習センターに
チラシを設置してもらわなきゃだが、
果たして、伊達郡国見町の催しに
福島市教委が「後援」を
許可するか・・・である。

いずれにせよ、
8月初旬の今、
年内開催は出来るか、
ワクワク・ウキウキしながら、
検討してみたい。

それが、
オリシ痛回復や
体調回復につながる
いちばん大事なことである。

オラァ、
自分に出来る事、
自分がやりたい事を、
やるだ❢(笑)



持ったが病

2020-07-06 05:26:00 | 音楽
コロナの「非常事態宣言」が
解除になってからこっち、
生もの自粛も解除したので、
今までの反動からか、
刺身やら鮨を食べる機会が
増えた。

きのうも、
オープンしたばかりの
チェーン店「スシロー」に
開店時の10時半に
出かけてみた。

土曜の午前なので、
朝昼を兼ねたブランチである。

そしたら、
もうすでに、
列が出来ていて驚いた。

誰もが、初物好きなんだなぁ…
と、思わないでもなかった(笑)。




レーンも回っているが、
タッチパネルで
あれこれと注文してみた。

コハダは、
解凍したてのように
水っぽくて感心しなかった。

キッチンペーパーで
ひと押しすれば
水気が取れるのに、
さすがに回転スシでは
その手間はしないようである。

高級ネタの
シマアジ、穴子一匹、
中トロ、ボタンエビは、
一皿に一貫だった。

それでも、
300円だから、
常連店の1/3ではある。

光物が好きなので、
イワシを頼んだら
あまり旨味がなく、
バッテラは冷たくて
固かった。

総じて、
「カッパずし」と
いい勝負である。

デザートには
「和」のヨモギケーキと
サクラムース、
「洋」のミルクレープの
メルバなるものを
試してみた。

ヨモギのスポンジは
パサついてて、
ムースはグニョンとして
スプーンで切りにくかった。

(乂'ω') ダメデアリンス

見た目の艶やかな
メルバの方は
まずまずだった。

口ん中が、
甘々になったんで、
コーヒーを二杯も
飲んじまった。

〆て、
2.100円なので、
回転にしては
けっこうな値段である。

もっとも、
デザート二品と
コーヒー二杯を、
カフェでの別料金と考えれば、
鮨のみは1.500円ほどだった。

退店する
11時頃には、
もう待合席は
大混雑状態で、
大駐車場も満杯だった。

なんで、みんな、
こうも新しい物が
好きかなねぇ…。

自分みたいのがいるから、
混むんだろうなぁ…。

(´д`|||)

生物学者の
ライアル・ワトソンは
「新奇好き」という
霊長類の傾向を
「ネオフィーリア」と命名し、
生物進化の原動力と見た。




下品にも
回転ずしで
腹いっぱいになったので、
もみじ山公園にある
屋外練習場でもある
「板倉神社」を久しぶりに訪れて、
サマコンの練習をしてきた。

眼下を流れる阿武隈川は、
梅雨の本降りの後で
濁ってはいたが
増水はしていなかった。

かつて、
子どもたちが幼い頃には
「大水」で、
もみじ山公園まで
水没したことがある。

10mほど下の川が
足元まで上がったかと思うと、
熊本での洪水被害で
犠牲者が出たことが
彷彿された。

県庁前の川沿いを
ジモティーは
「隈畔(わいはん)」と呼び、
柳町生まれの自分にとっても
そこはかっこうの遊び場だった。

このもみじ山にも、
近所の一個連隊で
よく来たものである。

昭和の用語で、
悪ガキ共が
かたまって移動してると、
決まって、大人たちは
「一個連隊」と形容していた。

それが、
幼い頃の耳には
「エコレンタイ」と聞こえ、
漠然と“自分たち一団”を
指すんだろうな…と、
理解していた(笑)。



隈畔を散歩する人たちは
あんがいに外多くて、
頭上から降ってくる
ギターの音に
誰もが見上げては、
ニヤニヤしていた。

中に、
わざわざ立ち寄って
「素晴らしいない・・・」
と語り掛けてきた爺様もいた(笑)。

かなりの年輩と見え、
「ほんじゃ、ま…、
『影を慕いて』でも
弾きましょか…」
とサーヴィスで
一曲聞かせると、
それに合わせて歌ったり、
唸ったりしてくれて、
思わぬ野外デュオになっちまった(笑)。

そんでも、
拍手してくれて、
満足げに去っていった。

リサイタル直前にも、
老婆がやってきて、
「何か聴かせて下さい…」
とリクエストされて、
満開の桜の下で
『さくら変奏曲』を弾いた。

その時も、
「いやぁ…
贅沢させてもらいました。
ありがたいですぅ…」
と、翌日のリサイタルにも
足を運んでくだすった(笑)。

してみりゃあ、
屋外練習は、宣伝・広報も
兼ねてたのかもしれない(笑)。

小倉寺観音も第二練習場だが、
花見の時分に練習に出かけて、
ついでに、花見客たちに
チラシを配ってきたこともあった。

そしたら、
アンケートに
「お花見の時に
チラシを頂いたので
来てみました。
とっても、素晴らしかったです」
ということもあった。




ゆんべも、
夕食後、夜10時頃まで
サマコンの
『カリンカ』と『喜びの歌』の
伴奏譜の編曲をした。

『カリンカ』は、
同じメロディーが
何度も繰り返すので、
ロシアの民族楽器バラライ風の
奏法を取り入れてみたり、
「タンボーラ」と「ゴルペ」いう
パーカッション効果を入れたりと
ギターの「特殊奏法」満載である。

ライヴ・コンサートであれば、
目で見ても楽しめる
超絶技巧かもしれない。

毎週、カウンセリングをしている
気心が知れ、顔馴染みの
生徒たちとデュオをするという
楽しみから、
出来得る限りの
最上の音楽効果を狙って
何度も音出ししては
推敲を重ねた。

おかげで、
今朝は節々が軋んで
痛みが激しいので
鎮痛剤を呑むようだった。

こういう時、
命ぃ削って、音楽やってんなぁ…
と、思ってしまう。

これも、
“持ったが病”
なのかもしれない…。





追悼・慰霊演奏

2020-07-05 04:33:00 | 音楽
きのうは
午前中にカウンセリングがあり、
午後からご逝去された
トッコちゃん先生の教会に
弔問に伺った。

先の弔問客に
気丈に対応されていた
Tちゃん先生だったが、
亡き先生にご対面させて頂いたら
隣で泣きだされてしまって、
もっと優しくしてあげればよかった…と、
涙をぬぐっていた。

「これから、
教会長なんだから、
がんばらないとね…」
と声をかけると、
泣きながら
「自分にできるかなぁ…」
と吐露されたので、
「ご両親の御霊様が
見守って下さるから
大丈夫だよ」
と慰めた。

まるで、眠ってるかのような
穏やかな顔をされた
トッコちゃん先生の枕元で、
つい一週間に、祝賀会で演奏した
『影を慕いて』を、
追悼・慰霊演奏として
弾かせて頂いた。

演奏中には、
グッとくるものがあったが、
どうやら泣かずに
弾きおおせることができた。

間がよく、弔問客が途切れて、
先生の愛娘たち四姉妹と
愛孫のサラちゃんだけになり、
なんだか、神様・御霊様がそう
図らって下さったような気がした。

演奏中、
Tちゃん先生は
お母さんの素足に触れながら
ずっと泣いておられたが、
弾き終えると、
お母さんに覆いかぶさるように
頬に両手をあてられ
「よかったねぇ…」
と号泣されて、
自分も泣いてしまった。

一週間内に、
大切な人の
お祝いの演奏と
追悼の演奏を
務めさせて頂き、
ギタリスト冥利に尽きる
ありがたいことであった。





今週の金曜に、
Y中で、音楽の授業を任され、
ギターの指導をしつつ、
来週のサマコンの
合わせ練習をやる。

なので、
きのうは、
帰宅後にも、
ギターを片手に
伴奏譜の編曲に勤しんだ。

慰霊・追悼演奏の直後に、
被災地の子どもたちのための
音楽を書く…。

3時間ほどかけて、
何度も弾いては推敲し、
どうにか、納得のいく
編曲ができた。

『ピノキオ』の主題曲、
ハーラインの
『星に願いを』である。

きょうから、
弾き込み練習をしながら、
『喜びの歌』と『カリンカ』の
編曲もしなくてはならない。

音楽は、
死せる人たちのため、
生きる人たちのため、
奏でられるものでなくてはならない、
ということを
6年間の『復興支援リサイタル』を
通して身をもって学んだ。

 世と人の
  お役に立つは
   ありがたき幸せなりと
     思ひ思ふも

         瓢 水

 いささかの
  お役に立つことこと終へて
  やすらぐ思ひ
  ひとり喜ぶ

         碧水先生御歌




茶室前の蹲(つくばい)が
笹が繁茂して
藪の中に埋まってしまった。

きのう、
電動草刈り機を
給付金で買ってきたので、
きょうは梅雨の晴れ間をみて、
バリバリと刈り込みたい。




教会近くの
回転すし「うまか亭」で、
6皿ほどやってきた。

「本番」演奏の
“ひとり打ち上げ会”
という大義名分である(笑)。

落語世界の符牒では、
「すし」は「弥助」と言い、
「摘まむもの」とされており、
その流儀にならって、
回転すし店でも、
箸は使わないことにしている。

インド人が
カレーは手で食べないと
その美味しさが解らない、
と言うのも
解るような気がする。

お握りを
箸では食べられないし、🍙
サンドイッチだって
フォークは無用である。

…てなわけで、
シャリ(酢飯)の感覚、
ひんやりしたネタの感覚を
デリケートな指先に感じつつ、
一貫ずつ味わった。

やはり、回転であっても、
何はともあれ、まずは、
小鰭(こはだ)から…
である。

紫(醤油)をガリ(甘酢生姜)の
漬け汁で割って、
それを煮切りに見立てて
ガリを刷毛代わりにして
塗ってみた。

棚倉の三ツ星名店
『小判寿司』仕立てである(笑)。

続いて、
今が旬の鱸(すずき)。

そして、
やや味の濃いメバル。

同じ白身でも、
アミノ酸の組成の違いで
やはり風趣が異なるので、
それを味わうのが
“白身好き”の愉しみでもある。

ここで、
煮物の穴子を…。

一つ目は塩でサッパリと、
二つ目はツメ(煮詰めタレ)で
コッテリとした処を味わう。

「起承転結」の流れを考え、
本鮪の中トロを
「転」とした。

そして「結」の〆は、
やはり定番の
海苔巻きである。

通常、鮨で、
単に「海苔巻き」と言う時は、
「干瓢巻き」を指す。

常連店であれば、
これに、「サビ入りで」と
注文をする処だが、
回る店では、仕方なしに
山葵の小袋で間に合わす。

甘っ辛くして、
鼻にツーンとくるくらいが
楽しい。

回転でも、
〆て1.760円で
結構なものだった。

尤も、
回らない本格店なら
その三倍にもなる。