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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

反響

2019-04-16 09:52:00 | ギター
リサイタルの翌日は、
わざわざ京都から来てくれた
一昨年の共演者(ピアニスト)の
イマダケちゃん(今田景子)ご夫妻を
花見山と土湯観光に
お連れした。

(・・・そういや、『土湯讃歌』もやったなぁ・・・)

花盛りの時季に
花見山を訪れるのは、
父が亡くなる以前の
二十数年前である。

三才くらいのアキと
お爺ちゃんが満開の桜のなかを
ふたりで歩いていく後姿を
まだ覚えている。

シャトルバスに乗ったのも初めてで、
久しぶりに降りた周辺は
一大観光地化していて
驚いた。

三人で1時間コースを
フーフー言いながら歩いた。

さすがに、
フクシマが「桃源郷」と
誇るだけはある
見事な百花繚乱の景色が
満喫できた。

三人で、
花見団子、ずんだ団子を
ランチ前の前菜がわりに
立ち喰いした。




イマダケちゃんが
一昨年のゲストで訪れた時には、
「O-15」という
感染性胃腸炎で最悪の体調で
ろくろく食事ができなかったが、
その時の土湯のカフェ『風花』に
捲土重来で再訪した。

今度は
体調万全で快食できて
積年の引っ掛かりが
解消できたようだった。

今季、フキノトウ採りに
四たびも訪れた
「びっき沼」にも
ご案内した。

内心、まだフキノトウが採れれば、
もうけもん・・・と、思ってたら、
ちらほらとあった。

沼から流れる小川の畔に
三株ほど見つけて、
ウホウホと我を忘れて
蕾状のものを採掘しようと
腰をかがめた瞬間、
グラリときたのか
足をすべらせたのか、
倒れかけて小川に片足が
ハマッてしまった(笑)。

そばにいたイマダケちゃんが、
グッと左腕をつかんでくれたから、
小川に全身ハマらずにすんだものの(笑)、
そうでなかったら、
バッシャーンと冷たい水ん中に
ハマッて、あわや心臓麻痺にも
なりかねなかった。

彼女は命の恩人である(笑)。

「びっき沼」のヌシだ、
なんて大言壮語しておきながら、
フキノトウ・ハンターも
このざまである(笑)。

十連休前で、
まだ管理小屋も空いておらず、
無料で無人の大自然を散策し、
雪解け水に水没して
水中花のように見えた
珍しい水芭蕉の光景や、
カタクリの花、フキノトウの花と
三役揃い踏みの箇所もあり、
それは見事な“花見の山”だった。

ご夫妻とも、
コンサートと大自然の
両方を満喫し、
満足のご様子で帰京された。





テニス倶楽部のメンバーで、
コンサート前日には
首の痛みを治療してくだすった
接骨院のM先生には
毎年、すばらしい写真を撮って
頂いている。

開演前に、
ビデオ撮影係でホール内にいた
カミさんもテニス倶楽部メンバーなので
オチャラケ・ショットを
撮って頂いたようだ。

これから、
ダンナが震えながら
独りで立つというステージを前に、
のん気にWピースなんかしちゃって・・・
フントニ、お気軽なんだからぁ・・・(笑)。

ʅ(-"-;)ʃ 





開演30分前の
開場時間には、
まだ、ロビーの書籍販売コーナーで
お手伝いして頂いた
同級生のR子ちゃんと
おしゃべりしていた。

元ギター部仲間や
大学の同級生だけで30名近く
集まって頂き、
ファイナルの公演を
盛り立てて頂いた。

なので、
あちこちに見知った
親しい顔があるのは、
とても嬉しく安心もする
いい雰囲気だった。

指のアップもろくろくせず、
いつまでもロビーの
人たちの中に身を置いていたかったが、
さすがに着替えやら
精神集中のために
楽屋にひき上げた。

***********

終演後、
ご来場を賜った
多くの友人・知人からは
労いのメールやメッセージが届いた。

「本日は、復興支援コンサートが無事に終えられ、
おめでとうございます。
また、大変おつかれ様でした。
・・・
コンサートに行く準備をし、
出ようとした所にご信者さんが参拝されまして、
出向くことができませんでした。
佐々木さんがコンサートを通して
多くの人助けのご用をされている姿を思い浮かべながら、
神様は私に「佐々木さんに習って、お前も人助けのご用に
お使い頂く様に・・・」と、ご信者さんを
差し向けられたのだと思わせ頂きました。
・・・
長きに渡り、復興支援のご用ありがとうございました」
(H教会Tちゃん先生)

「最後の復興支援リサイタルが
無事に終えられましたこと
神様に御礼申し上げさせて頂きました。

6年前に佐々木さんの中で高まった
福島復興への思いに
神様、霊様が喜ばれて
その喜びが周りの方々にも伝播して
出演の方はじめスタッフさんも
来場される方も、みんなが一緒に
作り上げてきたリサイタルだった
のではないかと感じます。

今回は残念ながら味わうことは
できませんでしたが
いつも会場で感じていた
何とも言えないあたたかい雰囲気が
それを物語っていたように思います。

きっと皆さんの心にも
このリサイタルの記憶が
残っていくことでしょうね♪

心に残る素敵なリサイタルを
ありがとうございました。

大変お疲れさまでしたm(__)m」
(H教会Tちゃん先生)

「昨日は、本当にお疲れ様でした。
聴いている側としては、年々盛り上がってきているし、
まだまだ続けて欲しいとも思うのですが、
やはり、演奏者としては、やるからには、
恥ずかしくないものをと考えるのでしょうし、
同年代としては、年々、体力が衰え、
今までは翌日には取れていた疲れが、
慢性化してしまう等々、
老骨に鞭打って頑張ってきた、
修の苦労もよくわかるわけで、
本当にお疲れ様でした。

ゲストの阿部さんもお話しされていたように、
一人で立ち上げ、企画して、演奏して、
しかも、それを6年間も続けるということは、
並大抵のことではなく、その志と努力には、
ただ感服するのみです。

毎年のゲストも、素晴らしい方々で、
また、R子さんがスタッフになったりと、
修の人徳と交友の広さににも感服です。

今年は、お弟子さんとの共演もあり、
これからは、違った形でのリサイタルに
期待します。

家のカミさんも、この6年間、
修のリサイタルを聴きに行って、
そして、毎年CDを何枚か買って、
それを知人に配ることを楽しみにしていましたので、
来年の春は、少し寂しくなりそうです。

Tが「修の慰労会やるべ」と言ってました・・・。
修の家で、お茶飲みながら煎餅でも食ってるような、
そんな慰労会風景が浮かびました。
近いうちに、機会を作りましょう。

それでは、改めて6年間お疲れ様でした。」
(一中テニス部仲間Y)

「昨日は、お疲れさまでした。
感想をひとこと。
驚きました⁉️
最初の"禁じられた遊び"の旋律の最初の音を聴いた瞬間に
衝撃が走りました。
いつもの音と違うんです。
上手く言いあらわせないのですが、
今までとは何かが違うように感じました。

心に深く豊かに響きわたる、
素晴らしい音色でした。
とても心地よく感じました。

素晴らしい演奏、ありがとうございました」
(ギター愛好会先輩Hさん)

「渾身のラストリサイタル、ステキでした。

準備していたプログラム200枚、
全部なくなりましたよ~。
念願の観客動員200人は達成できたのでは?
おめでとうございます!!

そして、お疲れ様でした~。
心豊かな時間でした。

6年ですか?
スゴイ財産ですね。

受付で修君の冊子販売の担当?よろしく居た訳ですが、
何ら私が口出すことなく、立ち寄られたお客様みなさん、
買うのが前提のように冊子を手に取られ、
即決で買ってくださいました。
お一人で複数冊とかも。

修君の根強いファンがたくさん居るんやわぁ~。
この全幅の信頼って、
修君がこれまで築き上げてきたものですね。
スゴイわぁ~。

まずは、ゆっくりお休みください。
ステキな演奏を聴かせてくださいまして、
ありがとうございました」
(臨時お手伝いスタッフ/中学同級生R子ちゃん)



オワリ良ければ・・・

2019-04-15 08:30:00 | ギター
ファイナル・リサイタルが
無事に終了した。

“楽団ひとり”
なぞと嘯いてはいたが、
実に多くの方々に支えられての
コンサート運営と成功である。

あらためて、
多くの方々への
感謝の気持ちでいっぱいである。

そうして支えて下さる方々が
少なからずいるという
自分の幸せをも
あらためて感じさせて頂いた。

はるばる沖縄から
ボランティア出演で
おいで頂き、
素晴らしい美声と歌を
お聞かせ頂いたゲストの
阿部民子さんには、
心よりお礼を申し上げたい。

ありがとうございました。

次いで遠くは、
はるばる京都から
ご夫婦で来て下さった
一昨年の共演者・ピアニストで
教え子の今田景子さんにも
感謝の気持ちでいっぱいである。

きのうは夫婦揃って
CDの売り子さんから
搬出・雑用までやって頂いたので、
今日は「花見山」や
「びっき沼」の水芭蕉観光にでも
お連れしたいと思っている。





ライヴにつきものの
細かなミスは数知れずあったが、
目の前で音楽を生み出すという作業なので
そのプロセスを味わって
ご満足頂けたようではある。

ただ、
十八番(オハコ)の
『さくら変奏曲』で
二小節ロストしたのには
唖然とした。

まさに、
やっちまった感で愕然とした。

聴衆はあまり
気付いた様子ではなかったが・・・。

そういう時は、
「即興のマイ編曲と思うべし」
と、かつての共演者で
教え子のピアニストのオハギから
おせーられたので、
そう対応できたが・・・(笑)。

ライヴは恐いなぁ・・・と、
あらためて思わされた。

もっとも
指揮者の岩城 宏之の
『棒ふりの休日』にも
コンサートで数小節が空白になり
空振りしてオケが止まったという
エピソードを読んだことがある。

その時の対応が素晴らしかった。
外国での外国のオケだったが、
即座に止めて、客席に振り返り
「マイ・ミステーク!」
と謝罪したという。

その後、再演奏するも、
やはり空白の小節は甦らず、
オケはコンマスの動作に合わせて
乗り切ったという。

でも、その人間的な対応に
ファンを増やしたという。

ソロによる
ライヴの一発勝負は
まさに体操競技や
フィギュアスケートと同じで
ミスは付きものなのである。

それでも、
どう演技・演奏をまとめるか、
というのがアスリートの
心技体のコントロールでもある。





きのうのファイナルで
想定外だったのは、
アンコール後の降壇前に、
ゲストの阿部さんが会場に向かって
6年間の「復興支援」活動としての
リサイタルをお客様と共に
労って下さったことである。

打ち上げの席では
カミさんが
「最後が歌の方でよかったです。
みんなで合唱して心がひとつになり、
6回のコンサートの総まとめになりました」
と教員らしい感想をもらしていた。

たしかに、
「オーレ!」の
掛け声以外で
全員参加で歌ったのは
最初で最後の試みだった。

オワリよければ
すべて良し・・・である。





昨日の臨時スタッフは、
イマダケちゃんご夫妻、
中学時代の友人R子ちゃん、
現役ギター部の後輩、
弟子の橋谷田くん、
我が家のカミさん、息子・・・と、
それぞれ、八面六臂の活躍をしてくれた。

すばらしい笑顔の
スタッフ写真である。



さあ、本番!

2019-04-14 07:20:00 | ギター
きのうは
起きしなに
いきなり首のストレッチで
頚椎をずらしてしまって
すぐさま接骨院で治療してもらった。

おかげで、
今朝はどうにか
痛みは解消してくれた。

それでも、
全身の気だるさ、
指の痛み、強張りは
頂点を極めている。

その限界点で
今日、ステージに立つ。

ファイナルに相応しい
ドラマチックな展開である。

昨晩は、
5時間ほどしか眠れなかった。

理想を言えば7時間は
眠りたかったが、
高ぶっているので
それも致し方なしである。

なので、
今朝はルーティンを守って、
朝刊を読み、前日の録画ドラマ
(『グッドドクター』)を視て、
そして、ブログを書いている。

やるべきことは
やってきたので、
あとは楽しむだけである。

きのうは
Tちゃん先生から
ありがたいメールを頂いた。

・・・・・・本番で、もしも、
上手くいかないことがあっても、
神様は、これまで取り組んできた努力を
すべて受け取って下さっていらっしゃいます。

佐々木さんが
何十年と取り組んでこられた時間すべてが、
明日、お供えの集大成になるのかと思うと、
神様はどれほどお喜びかと。

そして、神様を通して、
亡くなられた霊様と
来場する方の心に響く
演奏会となられますことを
心より祈念させて頂きます・・・・・・

また、
元金光第一の同僚で親友の
Qちゃん先生からは
過分なほどの「お祝い」が届いて、
恐縮するやら、ありがたいやら。

ほんに、
全国のみなさんから
「福島の復興」のために
お心寄せ頂いて、
感謝の極みである。





第一屋外練習場であり、
毎年、成功祈願もしている
もみじ山公園にある
板倉神社で参拝&練習をしてきた。

三曲目の『さくら変奏曲』を
満開の桜を前に演奏した。

ハラリ、チラリと散る
数枚の花びらもあり、
まさに、第一変奏の曲想通りだった。

独奏曲をひと通りさらって、
引きあげようとしたら、
散歩中のお婆さんに声かけられ
「もう、ギターおわりですかぁ・・・」
と言うので、
「明日、音楽堂で無料コンサートをやりますので」
と案内したら、嬉しそうに、
ぜひ行きたい、と仰ってくださった。

そこは、
ピン芸人なので(笑)、
「ほんなら一曲弾きましょう」
と、満開の桜の下で
対面で『さくら変奏曲』を
ご披露した。

そしたら、
拍手はもちろんのこと、
たいへん感激されたらしく
「いやぁ。幸せです。
こんな素晴らしいのを聴かせて
頂いて・・・。
幸せだわぁ・・・」
と言って下さり
こちらも有り難く思わせて頂いた。

それでは・・・と、
辞去して車に乗るところまで、
じっとお見送りしてくだすって、
互礼して別れた。

今日も、きっと、
会場のどこかに
来てくださるのだろう。

昨日よりも、
最高の音場、
最高の楽器(昨日は車載物)、
最高の気合での
『さくら変奏曲』で
感動していただければ・・・と思う。

 板倉神社の取り持つ
  縁かいな~
   ・・・である。





3.11では、
礎石からペシャンコになった
板倉神社で、それは見るも
無残な姿だったが、
見事に再建された。

後日談で知ったことでは、
元・信用金庫理事長だった叔父が
音頭取りに担ぎ出されて
再建に当ったというので
縁ある神社ではあった。

ここからは、
隈畔(わいはん)の
最高の眺望が望めて、
かつて、連ドラ『ひまわり』では
主役の松嶋奈々子が、
川の畔のシーンを幾度も収めている。

境内の手水鉢に手を浸し、
少しでも痛みと強張りが取れて
ベストなコンディションになりますようにと
願った。





きのうは午後から
歌とギターの合わせに
4時間ほど費やした。

阿部さんと弟子のH君の
おふた方には、
まずもって茶室での
薄茶事でおもてなしを
させて頂いた。

ボケとレンギョウの咲き始めた
茶庭の手水鉢の水をあらため、
花を活け、菓子をこしらえ、
香を炊き、手前を一服喫して頂いた。

デュオもコンサートも
まさしく
「一座建立/一期一会」そのものである。

今月今日、今此処で、
互いに生きている私たちが
出会い、そして、
音楽で心がつながり合うのだ。

茶の湯の慣わしとして、
常にひと足早く
「端午の節句」を寿ぐ
「鯉幟」碗で
お薄をさしあげた。

 我が心中に
  一点の曇りなし
   今日の佳き日
    ギターを奏で
     此の身を捧ぐ

いざ、ゆかん!
音楽堂へ!

!(*・∀・)!ムン  



イメトレ

2019-04-05 07:59:00 | ギター
リサイタル本番まで
あと10日を切った。

毎日、練習に余念がないが、
同時に、イメトレもやっている。

6年前から、
ベッドサイドの枕元には
音楽堂ステージから
客席を俯瞰した写真を
額装して置いてある。

365日×6年間、
これを見てイメトレをしてきた。

自分のリサイタルなので
“アガル”ということはないが、
それでも開演時間に
舞台に登壇する直前は、
やはりドキドキ感はある。

その高揚感もまた
ひとつの楽しみでもあるのだが・・・。

ただ、去年の登壇シーンを
ビデオで見たら、
背中は曲がってるわ、
首は前に落ちてるわ・・・で、
まるで、“ピテカントロプスの歩行”のようで
愕然とした・・・。

もろに、
“老け”が現れていた。

なので、
今年は、ファイナルでもあるので、
シャンと、矍鑠(かくしゃく)と、
堂々と、胸を張って、ツカツカと、
青年のように登壇したい(笑)。

ただ、
音楽堂大ホールのステージは
袖から中央まで距離が
長いんだよねぇ・・・。

その間、お客様の
拍手と視線と期待を
一身に受けながら・・・なので、
自然体で堂々と歩くのって、
なかなかに難業ではある。

でも、もう、
発表会やミニコンサートを入れれば
この50年間で裕に百回以上は
登壇しているので、
落語家同様に「出」にも
芸や“華”が欲しいなぁ・・・。

去年の「出」は
みっともなかったもんねぇ・・・。

ε=(-᷅_-᷄๑)





今年は、
ステージを思いっきりシンプルにすべく、
ソロに使用していた譜面台と
レコーダーを廃し、
支持器のギターレストをやめて
原点の足台に戻すことにした。

なので、
開演前の舞台上には
椅子と足台のみとし、
支持器なしの素ギターを抱え
登壇することにした。

天井マイクなので、
目の前には何も置かない
文字どおり、全身を晒して
演奏するスタイルに決めた。

そして、
クラシック5曲を演奏後に、
一旦、降壇し、
フラメンコ・デュオ3曲で
椅子をセットし直して
二人でコスチュームを合わせて
再登壇とする。

ファイナルにして、
いちばんシンプルなスタイルに
戻った感じである。

いっそ、MCもやめようか・・・と、
ちらと考えたが、
でも、お客様の“くつろぎ感”
“親しみやすさ”を考えると、
やっぱり、“ベシャリ”は必要かなぁ・・・。






四六時中、
ギターの練習をしていたら
腱鞘炎になったり、
関節炎が悪化するので、
適当な時間で切り上げる。

それでも、
きのうは
2ステージ分の
フル・プログラムをさらった。

薄着で臨んでも
全身汗まみれになった。

練習中は
痛みも凝りも感じないのだが、
その翌日が大変である。

今朝は
指がゴワゴワ状態で、
体中あっちこっちギシギシと痛む。

演奏家も
アスリートと同じなのである。

指先だけで、
チョチョチョイと
爪弾いてるわけではなく、
全身、全霊を使って
“心身”の躍動をしているのである。

なので、
慢性的な疲れ感や
節々の痛みは
アスリートの宿命と同じである。

「ギターを弾く」と言うと、
「いいご趣味ですねぇ…」と
お愛想を言われることがあるが、
(こっちは、カラダ張ってんだぁ!)
とヤクザまがいに
内心粋がることがある(笑)。

***

ギターばっかりも
弾いてられないので、
その間隙を縫って、
「ペン字」の稽古をした。

愛用の木製万年筆の
インクが切れていて、
今、K中にインク壜を
置いたままだったのを
思い出した。

仕方なく、T中離任時に、
コーディネーターのU先生から
ご餞別に頂いたぺリカーノを卸した。

新品未使用状態では
中のインクホルダーが
逆向きでセットされていたので、
その方向でいくら押し込んでも
カチリと嵌らず、苛々して、
先端に孔を開けた。

ところが、
スペアインクの箱絵を見たら、
挿し込み口が逆だと気づいた。

孔を開けたのは
お尻の方だった(笑)。

やっちまったぁ・・・!

/(┯_┯)\

・・・んだってばよぉ、
最初っから逆向きで
ユルユルで入ってんだぞなもし(笑)。

インク1本無駄にするのが
悔しかったので、
孔の空いた箇所を
ドライバーをガス火で熱して
プラスチックを溶接した。

字ぃ書くまでに、
なんと前置きの長かったことよ・・・(笑)。

ε= (•ω•`;)϶  





リサイタルに向けて
減量はしているものの、
きちんと食べないと
練習で身が持たないので、
お昼は“おうちフレンチ”で
「グリエ・ダニョー・ソース・ヴァン・ルージュ」
(仔羊の赤ワインソース)
とパン一切れを
ソースと同じ赤ワインで頂いた。

買い物に行くのも、
料理するのも、
ドレッセ(盛り付け)するのも、
写真に撮るのも、
ブログアップするのも、
ぜーんぶ面白がってやっている。

ソースのラインが
書道の線のような
緊張感がなかったのが
“玉に瑕”だなぁ・・・。

(•ω•`; ) アラマ…

まだまだ、だなぁ・・・。

ハンセー \(_ _)o

創作力より鑑賞力の方が
上まっているのが
「難儀な天賦の才である・・・」
(モンクの名セリフ)。






春雪

2019-03-24 08:20:00 | ギター
朝、目が覚めたら
小雪がチラチラ舞っていた。

こりゃ予報どおり
0℃になったんだぁ…と、
「寒のもどり」に
ブルッと身震いした。

そしたら、
突然、いっ時だけ、
猛然と雪が降りしきり、
真冬のような景色に一変した。

庭のサクランボの花も
さぞ驚いたことだろう。





きのうは
沖縄から到着したばかりの
コンサート共演者の阿部さんを
福島駅までお迎えにあがった。

開口一番、
「フクシマ、寒いっすねぇ…」
と身震いされていた。

駅前の表示温度計は
5.7℃だった。

折り悪く
「寒のもどり」の雪国に
南国から到着されたので、
「寒い、寒い」
を連発されていた。

なので、まずは、
我が家の茶室で
一服お熱いところを喫茶して頂き、
置き床のフキノトウの花で
陸奥(みちのく)春を
感じて頂いた。





阿部さんとは
三回目の共演なので、
拙宅には何度も練習で
おいでになっている。

きのうは、
練習中に汗だくになり、
隣の寝室で一度着替えるようだった。

いつも20℃に設定している
ファンヒーターを
きのうは23℃まで上げたので、
よけいに汗をかいたのだろう。

プログラム順に…

もののけ姫
千の風になって
庭の千草
津軽のふるさと
土湯賛歌
死んだ男の残したものは
見上げてごらん夜の星を

…の7曲を
通し稽古した。

プログラムには
この他に、
阿部さんのライア弾き歌いで…

アヴェ・マリア
てぃんさぐぬ花
えんどうの花

…がある。

きのうの段階で、
「もう、あした本番でも
だいじょーぶそうですねぇ」
と言ったら、
「いやいや。まだまだです…」
とのことで、
さらなるブラッシュ・アップを
心がけておられるようで、
さすがだなぁ…と、
思わせて頂いた。

阿部さんの
力強く繊細な歌に刺激され
伴奏にも力が入ってしまった。

歌の場合、
伴奏者がテンポを決めるのでなく、
歌い手さんに
自由に揺れて歌って頂いて
それに付いて合わせていく・・・という、
カンテ・フラメンコのようなスタイルなので
そこに呼応の面白味がある。

ff(フォルテシモ)では、
ギターを鳴らせ
pp(ピアニシモ)では、
囁(ささや)かせる。

今朝の寝起きに、
妙にカラダが痛いなぁ・・・と、
寝惚けたアタマで怪訝に思って
「寒のもどり」で
風邪ひいちまったんだべか・・・と、
懸念したが、
何のことはない、
昨日2時間も
真剣にギター弾いたんだった(笑)。

なので、
指も曲げるたんびに
ズキリと痛む。

本番は、
これにプラスして
ソロが8曲あるのだ。

年々、閉演後に、
打ち上げが終わると
気を失うようにベッドに崩れ、
一晩中、カラダの痛みに
魘(うな)されるようになった。

なので、
今年をもって
“限界”のファイナルなのである。

蝋燭の消える直前が
いちばん輝きを増す、
というので、
最後には美しく光りたい。





春休みなので、
余暇には映画三昧である。

今年度はここまで、
49本観たが、
例年に比べると少ない方である。

最高は、
年間138本観た。

それを
一々ブログ・アップしてたので、
親友のタケシから
「よく、映画見てんなぁ・・・」
と感心されたことがある。

そのくせに、
映画に関する冊子は
ジブリ物の「深層分析」シリーズしか
手がけていないから、
そうとうに偏ってる。

映画は
子どもの頃には、
劇場で見る
贅沢な娯楽のひとつだった。

ことに、
亡父にはよく連れて行かれたので
ことさらにその郷愁感も
付随してるのだろう。

これがビデオ化された頃、
映画通の先代・円楽が
「家庭で映画が見れるようになるなんて
夢のような時代ですねぇ」
と言っていたのが
印象に残っている。

二十年来、心酔して、
“追っかけ”とコレクターまで
やっていた談志家元は
「映画を見ねえ奴の話なんか
聴くに値しない・・・」
というような事を
宣うていた。

ワカル気もする。

本も読まない、
映画も見ない、
古典芸術に触れない、
という最近の若い世代とは
おハナシにならない感じが
たしかにする。

人生、残り時間が
少なくなってきたので、
最近では、アタマの10分くらいで
興味が惹かれなかった作品は
躊躇わずに「消去」することにしている。

製作者側からしたら、
いかに「つかみ」が大事か…
ということになる。

でも、古典の名作には
「つかみ」なぞ度外視して、
じっくり鑑賞しないと
味わいが感じられないという
稀有なものもある。

そこを見極めるのが
「眼」であるが、
統計で言う処の
「名作なのに、誤って棄却してしまった」
という「第1種の過誤」も
5%くらいの確率で
犯しているやもしれぬ。