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『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

特報!

2019-09-17 08:59:00 | 映画
アマゾンの
〈ファイア・スティック〉という
優れ物により、
テレビでPC動画を見れるようになって、
「ユーチューブ」の視聴時間が増えた。

きのうは日中、
「3.11の津波」映像やら
「コクピット映像」を
続けて3時間も見てしまった。

もっとも、
PCのように至近距離ではなく、
寝室ベッドの足元にある大型TVなので
3時間物の映画を見たのと
たいして疲労度は変わらないのだが・・・。

それでも、
夕方からは一切TVをやめて
就眠するまで読書に切り替えた。

気がつけば、
三連休の三日目だった。

でも、
月曜の勤務日が今週、来週と
つぶれてしまうので、
私的には六連休である(笑)。

明日は、
自宅でのギターレッスンやら
カウンセリングはあるが・・・。





動画サーフィンしてたら
「最新アップ」に
なんと! 寅さんの「第50作」目が
年末に封切になるというので
驚き、欣喜雀躍した。

しかも、
泉ちゃん(ゴクミ)も登場し、
青春の恋を演じたミツオと
再会するというのだから、
寅さんファンにはたまらない。

小説家になったミツオというのは
『三丁目の夕日』の茶川役から
思いついたのかもしれない。

老いた「さくら」や「ひろし」も
登場し、ミツオの娘(孫)との
やりとりも見所である。

寅の永遠のマドンナ「リリー」も
老いた浅丘ルリ子が演じるのも
楽しみである。

渥美 清が亡くなって
シリーズが終焉を迎えた時には、
ほんとうに「寅ロス」になった(笑)。

在京中も毎年、暮には、
新京極の劇場まで足を運び、
寅さんの新作を見て新年を迎える
というのを恒例としていた。

山田監督の話では
老いたレギュラー陣の
老熟した演技・物語と
昔のまんまの溌剌とした
寅のカットがサンドイッチになって
不思議な作品になったという。

全48作を
飽くほどに繰り返し見てきたので、
さすがに、今もBSで放送されてるものは
もう食傷気味で見ようとは思わない。

見所、セリフも
暗記するくらい覚えている。

惜しむらくは、
幻の49作というのを
見てみたかった。

そのポスターが動画内で
チラリと見えたが、
泉ちゃんがウエディング・ドレスを着て
タキシード姿のミツオと並んでいたので、
二人の恋物語は
ハッピーエンドの予定だったのだろう。

監督が言うには
名作になるはずだったが、
主役が亡くなり実現できなかったという。

なので、今回は、
その幻の49作をカウントしての
第50作目というのである。

もっとも、
スピンオフ篇として
成人したミツオが主役となった
『ハイビスカスの花 特別篇』を
49作目と数えることもできる。

奇しくも、
第一作目の1969年から
50年を経ての第50作目である。

48作目で、
すでにギネス物となっている。

この年末が
待ち遠しい。

間違いなく、
劇場内で号泣必至である(笑)。

ヾ(~O~;) ビェーン!!

でっかいスポーツタオル
持っていこっと(笑)。





実写のコクピット動画を
沢山見てたら、
PCのシミュレーション・ソフト物もあり、
その精巧さにも驚いた。

中でも、
10万もする
「ホーム・コクピット」というセットでは、
モニター画面を3つも使って
本物そっくりの操縦桿やら
スロットル・レバー、計器類があって
シミュレーター遊びが出来るので
驚いた。

好きな人はいるもんで、
何人かが自慢げに
自宅のコクピットでの
操縦ごっこをアップしていた。

最高にグレード・アップすると
100万以上もかかるそうな。

┐(´Д`|||)┌

湯水のように使える金があれば
考えないでもないが、
とりあえずは手持ちの
カーソル・キーで
スピットファイアを飛ばす
シミュレーションでいいや・・・と、
指をくわえて羨ましがっている(笑)。

これとて、
エンジン音や風斬り音まであり、
アナログのメーター視認と
デジタル数値視認の
二通りが楽しめて、
機種も「ゼロ戦」から様々あり、
忠実にそのコクピットを再現している。

もっとも、
風景画像が
“おんつぁま”(福島弁)なのが難で、
ノッペリした緑の平原だったり、
ただ青い海だったりして、
時々、空白になっちまう(笑)。

最新のソフトでは、
その辺の風景処理が
実像に近づけているので
リアル感がある。





デパートでの絵画展示会で
8万円のいい静物画があり、
心が魅かれた。

ラディッシュの
白く細い根の先にある髭根に
ピンと張った
「存在の緊張感」のようなものを
感じた。

さすがに豆腐を買うみたいには
気軽には買えないので、
こっそり盗撮して
「反転」構図にして
背景色を変えて
パクリ作品にしてみた。

一銭もかからない
ボンビー翁の
小手先アート遊びである。

絵画部分をプリント・アウトして、
その上から水筆でなぞると
プリンタの水性インクが
適当に滲んでくれて、
自筆画風にもできる(笑)。

その手法で
撮影画像を絵画処理して
額装してから
知人のお祝いに
差し上げたこともある。

現代のテクノロジーを駆使した
アート遊びである。











卒アル

2019-08-16 06:29:00 | 映画
これまでの生涯で
いちばん輝いていた時は
間違いなく中学時代である。

初恋こそ
小一に遡るが、
性に目覚めて異性を意識しだした
思春期の真っ只中は
まさに甘酸っぱいような
胸キュンになるような
純粋な日々だった。

還暦を過ぎて
老いた今だからこそ、
卒業アルバムをめくり、
楽しく想い出に浸れる時間が
持てるのかもしれない。

一頁目の
「母校」全景図からして
いろいろと想い出が蘇り、
ああもあった、
こうもあった・・・と、
記憶がひとりでにそのシーンを
回想させてくれた。

2歳から10歳まで
重症の小児喘息児で、
数十度も入退院をした経歴があるので、
幼い頃から
苦しい息の中で
いつ死んでもいいように
出来るだけ日常のディテールを
よく観て、記憶に留めておこう、
という性癖が身に付いたのだろうと思う。

なので、
記憶力はいい方で、
脳内の長期記憶バンクには、
3歳以降の細々とした断片が
そうとうな情報量としてある。

それらにアクセスするには、
古い写真が必要で、
一枚からでも樹状的拡がりで
〈場面、声、音、臭い〉などが
蘇ってくる。

心理学に携わっての
30年間には、
言語連想法や夢分析を
永らくやってきたので、
〈キーワード〉からも
アクセスが可能で、
その手法を駆使しては
数冊の自分用の『自分史』を
既に書き上げた。

「多忙」は
「多く心を亡ぼす」
ということなので、
人生を振り返る暇がないほど、
今日、現在を生きるのに必死なのは
〈豊かさ〉の対極にある。

“貧乏ヒマなし”
とも言うように、
過去を顧みて味わう余裕がないのは、
ほんとうの意味での
〈貧しさ〉なのかもしれない。

「昔のことを言い出したら、年寄りだ」
とも聞くが、
それは、今現在を良く生きていない者が
過去の栄光を他人に誇示するような
虚しい様を揶揄してのことだろう。

多重人格障害では、
過去を失ってしまうケースが多い。

うちの子らも、
「あん時、どーだった?」
と訊いたりすると
「覚えてない・・・」
と返答することが多く、
つい、(多重人格者かーッ!!)と
ガッカリすることがある。

親のノスタルジックな
感傷気分に一々面倒で
付き合ってらんない、
というのもあるかもしれないが、
もし、ほんとに覚えてないのなら、
彼らにとって「生の蓄積」って
何なんだろう・・・と、思ってしまう。

部活や恋愛での
華々しいエピソードのみが
人生の頁として残るのであれば、
それはツマランのではないか・・・と、
老婆心/老爺心ながら懸念する。



きのうは、
中学の卒アルの
母校図だけで
半時もあれこれ想い出して
楽しめた。

夏休みの、お盆の、
猛暑日の、冷房寝室での
「まったりパスタイム」としては、
これより金のかからない
ボンビー向きインナーレジャーもなかろう(笑)。

ϵ(◎θ◎)ノ☆ フォッ・フォッ・フォッ

もう数十年も前に、
「鉄コン筋クリート」
(鉄筋コンクリート…昭和の洒落)
の校舎になって久しいので、
この木造モルタルの
ボロ校舎で過ごした三年間は
涙ぐましくも懐かしい。

「鉄コン筋クリート」の
清明小だったので、
歩くたんびに床がキチキチ鳴る
“ウグイス張り”(笑)の廊下や、
田舎でしか見たことのない
“ぽっとん便所”は
衝撃的だった。

「1-7」での想い出も
数々あり、半日はそれに
浸ってられそうであった。

試しに、
『自分史』の初稿を繰ってみたら、
その部分には三段組で
10頁も当てられていた。

今の価値観、審美眼で
それをさらに膨らませて
評論を加えていったら
何倍にも増すかもしれない。

半隠居のロンバケには
《過去の自分との対話》は
面白い試みかもしれない。

『自分史』には
卒アルの写真を取り入れてなかったので、
これからスナップを貼り付けて、
新たな記憶をほじくりかえすのも
オモロイかもれしない。

【恋のトポス】と
命名したいような場所も
いくつもあって、
(ここで、Tさんと目が合って恋に落ちたんだぁ・・・)
とか、
(ここに、Kちゃんがいて、恋焦がれて眺めてたんだぁ・・・)
とか、
(ここから、Aさんのブルマ姿に悩殺されたんだぁ・・・)
と、その頃の〈胸キュン感〉が、
ほんのりと蘇ってくる(笑)。

ε= (•̀ .̫ •̀; )

54歳で『愛と死』を書いた
武者小路実篤を
キモチワリーなんて
馬鹿にできひんねぇ・・・(笑)。

(´(ェ)`)



カミさんと
たまたま居間のテレビで視てた
『大失敗選手権』という
クダラナイお笑い番組で、
ローカル・プロレス選手が
あみだしたという
“一直線”なるオリジナル技に
ふたりして腹ぁかかえて大笑いした。

ただ棒状になって
後ろ向きで相手に体当たりするだけの
しょーもない技で、
その弱点が「よけられること」(笑)。

結果、空しくマットや
場外に背面から自滅落下して、
2年間も下半身麻痺になり
引退を考えたという(笑)。

幸い、麻痺も癒え、
現役復帰したが、
“一直線”は
涙を呑んで封印したという(笑)。

奥さんは
父をリスペクトして
プロレス好きの息子たちに
“一直線”だけは教えんといて!
と哀願してるという(笑)。

ほんまに
笑える「大失敗」だった。



BSで初めて
吹き替え版の
『遠すぎた橋』を視た。

レンタル物は
字幕だったので、
なんだか新鮮な感じがした。

ただ、
ショーン・コネリーが
『007』でおなじみの
若山弦蔵じゃなかったのは
ちょいと残念だった。

1977年物なので、
ショーン・コネリーも
レッドフォードも
若々しく精悍であった。

悲惨な結果に終わった
マーケット・ガーデン作戦を描いた秀作で、
WWⅡ物では、マイ・ベスト5に入る。

1 眼下の敵
2 空軍大戦略
3 地上最大の作戦
4 ナバロンの要塞
5 遠すぎた橋




万引き家族

2019-07-23 07:24:00 | 映画
学校が夏休みに入っても、
梅雨が明けない・・・
というのは、
子ども時代には
あまり記憶がない。

毎朝、6時には、
眠い目をこすりながら、
宝林寺の境内でのラジオ体操に出向き、
首からさげた紙に近所のおじちゃんから
判子をペタリと押してもらっていた。

その後は、
二度寝もせずに
朝ご飯まで
何してたんだろう・・・(笑)。

7時頃には、
『おはよう子どもショー』
っていうのをやってたなぁ。

♪ローバくん、ローバくん♪
♪草の芽のび~て 葉がのびて~♪

・・・というフレーズを
今でも覚えている。

そうすると、
近所でいっせいに
蟬がミーンミンミンと
大合唱が始まる。

「涼しいうちに
『夏休みの友』やっちゃいなよ」
と言われたこともある。

テレビもマンガもあったが、
もっぱら、外に出て、
虫採りやら、川遊び、
缶蹴り、追っかけごっこ、
なぞで一日を楽しく遊んでいた。

最近は夏になっても
セミの鳴き声を
あまり聞かなくなった。

この夏も、
梅雨寒むのせいで
まったくセミの声を
聞いていない。





録画してあった
『万引き家族』を観てみた。

すぐに、
是枝監督の前作
『誰も知らない』に
似たテイストだと感じた。

あれもカンヌで
主役の子が最優秀主演男優賞を取って
「おれ、ブラピに勝っちゃった」
という名言をはいた。

その子(柳楽 優弥)は、
その後、連ドラの『まれ』で
成長した姿を見たが、
順調に役者人生を歩んでるようである。

『万引き』では、
安藤さくらの
全裸シーンが出てきて
ちょっと驚いた。

健全キャラの
連ドラ『まんぷく』を
ちょっとだけ見てたので、
病んだような存在感は
さすがに女優だなぁ・・・と、
感心もした。

『鎌倉物語』での
飄々とした死神役もよかった。

それと、
樹木希林がやはり
控えめな演技ながら存在感があり、
アンカー(錨)のように
作品全体を引き締めていた。

児童虐待やDV、貧困の現実を
正面から取り上げ、
「人間が生きる」ということにおいて
キレイ事だけではない、
という重層的、多義的な面を
多く語らずに心象風景として描いていたのは
秀逸に思えた。

日本の空想物語ではなく、
世界の現実として
有り得そうな噺なので
多くに受け入れられたのだろう。

被虐待児“リンちゃん”の
誰かを待つような遠い眼差しを
ラストシーンにしたのは効果的で、
「家族とは」「絆とは」
ということを
その姿から考えさせられるような
演出だった。





先日、アベマで優勝したばかりの
ソータが今日迎えるのは、
最大の強敵にして
超一流の豊島名人・二冠である。

竜王戦本戦なので、
この関門を抜けないと
挑戦権にまで辿り着けない。

そして、
次に控えているのは
渡辺三冠である。

なんだか、まるで、
マンガかRPGゲームの
冒険譚のようでもある。

ソータは、
名人には1勝3敗、
三冠には1勝0敗で、
一度は勝っているので、
決して歯が立たない相手ではない。

このふたりの関門を抜ければ、
本選決勝の三番勝負、
そして、竜王挑戦の七番勝負になり
ソータには有利である。

今日は、
持ち時間が各5時間なので、
10開始で、昼休・夕休を入れて、
おそらくは夜の10時過ぎに
決着がつくだろう。

対局開始20分前の現在、
ソータ/名人共に着座し、
互礼して駒を並べはじめた。

今日は、
ソーシャン(ファン)にとっても、
棋界の記録更新においても、
今季最大の大注目の
「大勝負」である。

今、振り駒で
「先手」を引いた。

まずは、ラッキーである。

ε=ヾ(*。>◇<)ノ ヨッシャー!!

「先手」で負けたのは5回だけで、
その勝率は8割9分という
驚異的なものである。

いよいよ、
対局開始5分前である。

もう、
ブログなぞ
書いてる場合じゃぁないよ~(笑)。




きのうは、
2年来、一度も洗ってない
ドロドロの抱き枕と
サブ枕の「ニャン吉」を
浴槽に洗剤を入れて、
足踏み洗濯をした。

わーッ!
対局がはじまった~ィ!!!!

ヽ(///>_<;///)ノ ドキドキ!!




日々、懐古す・・・

2019-07-10 05:44:00 | 映画
夜眠ってはいるのに、
昼間もいくらでも眠れるのは
体調が優れない時である。

昨日がそうだった。

寒の戻りのような
日中も肌寒い
“梅雨寒む”が続き、
いささか風邪みたいな
体痛とダルさを感じている。

明日のY中で
今学期の最後だが、
オフ日にしっかりコンディションを
整えておかないとである。

このところ、
勤務日が濃密で多忙なことが多く、
心理療法面接で
重いケースと50分数コマ対峙すると
こちらまで「闇」と「病み」に
心身が侵襲されがちになる。

河合先生は、
地球にしっかりアースできてないと
それらにやられてしまう、
と仰っていた。

とはいえ、
聴き流すような態度はできず、
相手の苦しみをしっかり受容せねば
サイコセラピーにはならないので、
どーしても「病苦」を
共有せざるを得ない仕事ではある。

例えれば、
雪の積もった竹を
一刀両断すれば、どうしても
雪を被らざるを得なかったり、
避雷針に落雷させても
地面に流れるまでは
数千ボルトの高電圧で
金属棒は発熱・膨張するのである。

「こころの病」を
引き受けるということは、
サイコセラピスト自身も
大げさでなく命懸けなのである。

だから、
自身の教育分析、自己分析は
必須のトレーニングであるが、
国試ではそこまで要求されないので、
それをしないままで
心理師になる者が少なくない。

教育分析、自己分析とは、
己れの「こころ」という
ソフトの解剖であり、
それは、老若男女・人類共通の
「心臓」というハードの解剖と
同じである。

解剖の実習が
基礎医学に必須であるように、
本来、教育分析、自己分析も
心理臨床の基礎として
必須のはずなのである。

しかし、
国試の現任者用テキストでは、
その不備を指摘こそすれ、
現状では自らの
「こころの解剖」を為す心理師が少なく、
それゆえ、知識と経験頼りに
「踏み込み」が足りない
サイコセラピーに留まっているケースが
少なくないように思われる。

心臓の解剖もしたことのない医師が、
心臓のオペができようはずがない。

カルチャーセンター・レベルの
カウンセリング講座で
「終了証」を手にして
“心理カウンセラー”という肩書きの
オバチャンに会ったことがあるが、
付け焼刃の知識を振り回すばかりで、
自身の解剖をしてないから、
「生き死にレベル」の深刻な問題になると、
クライエントのおなかを開けといて、
「やっぱ、わたし、できな~い」
と諸手をあげて降参してしまう。

・・・んなら、
最初っから手ぇ出すな!!
馬鹿野郎!!
と、怒りを禁じ得なかった。

それでも、現状では、
自称「心理カウンセラー」と名乗るのは、
「公認心理師」と名乗らない限り
違法行為にはならないのである。





オフ日の寝養生しながら、
録画ストックの映画を
二本観てみた。

『ウォンテッド』は2008年物で
アンジーやらモーガン・フリーマンの
ガチのアクション作品だった。

主演男優のジェームズ・マカヴォイは
『X-MEN』シリーズのレギュラーのようだが、
1作しか観てないので印象は薄い。

『バンド・オブ・ブラザーズ』と
『フォイル』にも1話だけチョイ出してるが
同様に印象には残ってなかった。

コテコテのCG物に比べて
77年の手作り物の
『カプリコン1』は二度目だが、
圧倒的なサスペンス仕立てで
面白く鑑賞できた。

公開当時、
劇場ではなく
テレビの洋画劇場で観たのだが、
フェィク映像のシーンだけは
鮮明に覚えていたが
ディテールはすっかり忘れてたので、
新鮮な感じで楽しめた。

キャストで解かったのは、
コテコテ顔の
テリー・サバラスだけだった(笑)。






押入れに“塩漬け”になってる
ダンボール類をたまに開封しては、
過去の記憶・自分の足跡と再会して
ブログ・ネタの「懐古物」という
新しいジャンルにしている。

昭和59年(1984)/教員3年目の
生徒からの「感謝状」と
その頃の職員旅行の一枚が出てきた。

一緒に写っているのは、
同じ生物室で研究されていた
クモ博士・田中先生である。

理学博士号を持つ先生が、
毎日、実体顕微鏡を覗きながら
形態観察をされ、
新種をいくつか発見されて、
その論文をも献呈して頂いたので、
25歳の若造だった自分には
(学者というのは、こういうものか・・・)
とすごい刺激になった。

温厚なご性格で
飄々とされており、
音楽の趣味も一緒だったので、
同室の者として、ほんとに、
居心地よく過ごさせて頂いた。

入試作業が
深夜にまで及んだときには、
学校の近所だった
我がアパートにも
お泊り頂いたことがある。

後年、
女子大の教授になられて
ご退官されたが、
当時から未だに
年賀状のやりとりは続いている。

フクシマで蜘蛛学会があった時には、
懐かしく再会させていただき、
フレンチ・レストランでの晩餐後、
我が家の茶室でも
おもてなしをさせて頂いた。

大学院の研究で
行き詰った時には、
わざわざメールを頂戴して
助言と励ましを頂き、
たいへん有り難く思わせて頂いた。

反対に、
先生のご子息が心理職につきたい、
ということで、ご相談にも
乗らせて頂いたことがある。

今は、ご自宅で
研究三昧の生活を
送っておられるとのことで、
その姿勢は今もって
見習わなきゃなぁ・・・と、
思っている。

先生のクラスの生徒さんが
自殺か事故死された時には、
ワインと共に
長文のご慰労の手紙を
差し上げたことがあったが、
後年、それがとても有り難かったと、
奥様からお礼状を頂いたこともあった。






厚いクリアファイルに
こんな懐かしい
「結婚案内/演奏会招待状」があった。

昭和61年(1986)
だったんだ。

今更ながら、
ずいぶん経ったんだなぁ・・・と、
感慨深く思う。

もう33年も昔である。

25年目の「銀婚式」は
とうに過ぎていたが、
そんなことには感心もない
ノーテンキ夫婦だが、
3年後の1989年に長男のフミが
生れたんだなぁ・・・と、
時系列を省みると、
へぇ~…ってなもんである(笑)。

この案内状は、
自分が文面を考え、
仲のよかった同僚の北岡さんが
書の達人だったので、
彼に依頼したら
快く書いてくれたものである。

彼はトリックスター的な処があり、
並み居る先生方のなかで
唯一、自分のフクシマ弁を
デフォルメして周囲を笑わせていたが、
不思議とそれが嫌ではなく
一緒になって笑っていた。

当時、市場に出たばかりの
CDプレーヤーを彼が買った時には
我がアパートにまで持って来て、
オーディオ・フェチだった自分の
評価を聞きにきたこともある。

そんな、彼が、
事故死したという連絡を
帰福後に聞いて
愕然としたが、
自分の人生に関わって
いくつかの痕跡を
残してくれたことに感謝し
ご冥福を祈った。












ココロの病?

2019-07-03 06:06:00 | 映画
昨日は
ソータ戦を楽しみにしていたが、
棋戦史に残るような
おかしな一番になり、
その話題でネット中が
大騒ぎとなった。

なにせ、
相手の堀口七段が
千鳥足のようにフラつきながら
朦朧(もうろう)とした面持ちで
開始時間寸前に入室したかと思うと、
いきなり不思議なポーズを連発して
記者たちのウケを狙ったものの
逆に失笑を買う結果になり、
なんとも異様なスタートになった。

ソータ戦は
報道陣が常に群がっているので、
今までにないその初めての雰囲気に
ついつい調子に乗って
“オダッ”てしまったとも
考えられなくもないが・・・。

“命を削り合う”神聖な対局室で、
先に正座して瞑目し、
真剣勝負前の精神統一を図っている
少年棋士を前にすることではない。

ところが、
ネット情報では、
心身を病んでいた、
ということで、
かつてはソータと同じ朝日杯でも優勝し、
B級1組にも長く在位していた
本格の強豪棋士だったという。

かつての栄光を知っているファンには、
きのうの奇異なパフォーマンス後の
短手数、短時間で破れ、
感想戦もせずに帰った、
何もかも異例づくめの
“哀しい姿”は見たくなかったという。

ユーチューブにも
その様子がアップされていたが、
よくよく見ると、
睡眠薬が抜けていないような
千鳥足であり、
多幸感のような表情で、
「フジイ君と将棋さすかい?」
とか、
おかしなことを口走ったのは
軽躁的にも、
シゾ(統合失調症)のようにも
見えた。

7月だというのに、
ダウンジャケットを着てくること自体、
常軌を逸している感じだが、
現実検討識が危ういとすれば、
やはり、なんらかの
精神的不調があったのだろう。





対局は、
ほとんど考えていないかのような
1秒指しで、
47手までいって
じっくりと考えながら指すソータに
ボロ負け状態になった。

対局中は、
何度も脇息(きょうそく)に
突っ伏している姿を見せたので、
身体的にも眠かったのか
シンドかったのかもしれないが・・・。

棋士も生身の人間だから、
体も心も病むだろう。

それでも、
盤を前にして闘っていかなければ
生きていけないとすれば、
それもまた過酷な世界である。

対局相手が
感想戦をせずに姿を消し、
ひとり、盤の前に取り残された
ソータは、報道陣の質問に
「堀口七段には
誤算があったのではと思います。
はじめての展開で、
難しいかなとは思っていました」
と、相手をフォローする
大人のコメントをしていたのは
さすがであった。

昔は、
「盤外戦」と称して、
けっこう心理戦を用いることも
なくはなかったらしいが、
そういう策を弄した棋士が
名人になったためしはない。






いつものなら、
夜の10時過ぎまでかかる棋戦が、
開始1時間20分で
終わってしまったので、
茫然自失となり、
仕方なく撮り貯めてあった
録画映画を鑑賞して過ごした。

『イーグル・アイ』は、
観たことがあるような気がしていたが、
どこまでも既視感がなかったので、
初めての作品のようだった。

2.5時間近い長尺だったが、
二度もカー・チェィスと
クラッシュ・シーンがあり、
かなりのコテコテ感だったが、
結局は、軍事用スパコンAIが暴走して
政府要人に「ギロチン計画」を
発動するのをヒーロー/ヒロインが
危機一髪で阻止するという
おハナシだった。

このタイプのプロットを
天才落語家の談志家元は、
「不安がらせて安心させる」
ワンパターンと決め付けて、
軽侮していた。

スリル物、サスペンス物は
みんなそのパターンで、
この作品も、最後は、
ヒーロー/ヒロインが
ブチュッとキスして「オワリ」(笑)。

いかにも、
「病んだハリウッド」と
揶揄されるような
予定調和に則っている。

アメリカ映画の王道なのだろうが、
ドカチャカ、ブチュ、では、
貴重な2.5時間を
これに浪費したのは
コスパがよくない気がした。

しかし、
本もマンガも映画もドラマも、
数をあたらなきゃ、
名作、傑作には
巡り会うものではないのだろう。

前評判やらレヴューを参考に
予習しても、けっきょく、
しょーもなかったという駄作は
枚挙に暇がない。






土曜日の講演会用のレジュメを
ファイルでお送りした。

いろいろと
新しいネタも考えたが、
けっきょくは、
“テッパン”の持ちネタである
『親のあるべきようわ』にした。

「あるべきようわ」
というのは、
京都・高山寺の聖僧だった
明恵上人の言葉で
「阿留辺幾夜宇和」と書き、
「~のありようは、どうあったらいいのか」
「どうあるべきか?」
という疑問形だという。

これは、
自らに向ける問いであり、
「カウンセラーのあるべきようわ」
とされると、
いろいろなことが考えさせられる。

「人のあるべきようわ」
「教師のあるべきようわ」
「フクシマ人のあるべきようわ」
「ギタリストのあるべきようわ」
「親のあるべきようわ」
・・・と、
いろいろと自分に向けられると、
何をかせねばならない、
と気にさせられる。

この「あるべきようわ」という
七文字へのアンサーの一つとして、
『復興支援コンサート』を催し
6年間も続けたともいえる。

レジュメの中身は、
長年、心酔し、私淑し、
生前、その謦咳にも接した
金光碧水先生の歌集『土』
(全19巻/44.572首)から
抜粋したもので、
自分はその研究者でもあり
関連冊子を3冊上梓している。

なので、
自家薬籠中のものでもあり、
何十回と講演してきたので、
これをメインとして、
最新の学会や臨床の知を
合間に挟んでいこうと思う。