この杯から飲みなさい

 「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:26-28)

---

 いわゆる最後の晩餐にて。

 イエスは仰る。
 「みな、この杯から飲みなさい」。
 イエスが極刑の十字架上で流される血は、神にささげられるいけにえの血である。
 動物のいけにえと全く同様、肉はささげた人が食し血は神にささげられる。
 イエスの血もまた、神にささげられる。
 それは多くの人の罪を赦すためにささげられるものだ。
 動物の場合と異なるのは、イエスの十字架は、毎年毎年ささげられる動物とは違ってただ一度きりということである。
 それと違って十字架のイエスの血は、一度きりで贖罪を完了させた。

 だからイエスは、アダムの肉を持つ私たちに、「みな、この杯から飲みなさい」と勧めるのである。
 また、「取って食べなさい。」とも勧めている。
 これらのことは、儀式とは似ても似つかない。
 なぜなら、一度飲み食いできればそれで完了するからであり、それがイエスの十字架だからである。

---

 よろしければクリック下さい。
にほんブログ村 哲学ブログ キリスト教・クリスチャンへ ブログランキングへ

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 裏切り 肉をまとうイエス »