針の穴

 「それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」
 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:23-26)

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 「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」。
 金持ちの青年が去ったあとに、イエスは上のように仰る。
 だから、「金持ちが」のところは話の流れでそうなったのであり、何であっても当てはまる。
 貧乏人。
 社長。
 平社員。
 夫。
 妻。
 子。
 なんであっても、「らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」。
 天の御国に入るということは、誰にとっても針の穴を通るようなものだ。

 ところが、イエスを遣わした神には、どんなことでもおできになる。
 金持ちが針の穴を通ることすら、この神によってお出来になる。
 例えば、悔い改めた泥棒が、この神によって針の穴を通過したりする。
 その悔い改めもまた、神の御恵みによってである。

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