なぐさめを拒むたましい

 「私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。
 私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。
 苦難の日に、私は主を尋ね求め、
 夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、
 私のたましいは慰めを拒んだ。
 私は神を思い起こして嘆き、
 思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。   セラ

 あなたは、私のまぶたを閉じさせない。
 私の心は乱れて、もの言うこともできない。
 私は、昔の日々、遠い昔の年々を思い返した。
 夜には私の歌を思い起こし、
 自分の心と語り合い、
 私のたましいは問いかける。」(詩77:1-6)

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 落語ブームだという。私自身も落語のCDを買ったので、確かによほどのブームなのだろう。
 笑う門には福来たる、消沈した心を笑うことによって晴れやかにしよう。
 ところで少し前、ラジオのお便り紹介で聞いたのだが、病中苦しいとき、心中あまりに窮しているときというのは、お笑い番組というのはかえって煩わしくてスイッチを消してしまうという人がいた。
 私はその人の気持ちが良く分かる。
 買った落語のCDは、よほどの時に1回プレーヤーにセットして聞いてみたのだが、笑えなかった。大笑いした落語だからこそ買ったのに。

 そのように、人には、ちょっとやそっとの慰めなどは逆に気に障ってしまう、そのような苦境、逆境というものがあるように思う。

 「あなたは、私のまぶたを閉じさせない」。
 ここ三日ほど、私はほとんど眠れていない。
 そして今日はさすがにダウン。
 これ、という心労の類は特に思いつかないから、ただ神に願い求めるより他にない。
 今、この部屋には(いつもと違って)ラジオも音楽も掛かっていない。
 そういう音は、かえって煩わしい。
 下手な慰めなんかいらない、神の霊だけを祈り求めている。

 詩人は、自分の心の奥に沈んでゆく。
 そうすることで、この時期をしのいでいるのだろう。
 苦境、逆境はもっぱら、乗り越えるためにある。
 乗り越えたその先に、一回り大きくなった自分がいるはずだ。
 私も、このちょっとした試練を、今はしのぎ続けることだけ考えよう。
 神の光が差し込んでくるとき、「ほんもののなぐさめ」でこころ満たすことができるにちがいない。
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