愛とは何か

 「「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。
 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」(ローマ13:9-10)

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 「愛」とは何か、自分にはまるで分からない、そう言い続けてきた。
 アガペーとかフィリアとかエロスとか、一体何のことだと思う。
 愛という言葉を耳にすると、何かだまくらかされているようにすら感じる。
 愛という言葉はうさんくさいのだ。

 だが、こんな自分であっても、愛されていると思うことは少なからずある。
 あるいは、そのときにはなんとも思わないことが、ずっと後になって、ああ愛してくれていたんだなあとじんわり思い出すこともよくある。
 愛とは、愛する側の行為ではなく、愛された側の感じではないだろうか。
 「私は愛する」というよりも「私は愛される」という方が、「愛」という言葉の用法としてピンと来るような気がする。

 もちろん「愛する」からこそ「愛される」と感じることは明らかだ。
 愛の分からない私がひとつ言えるとしたら、押しつけがましいのは愛ではない。むしろ逆だ。
 イエスは「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」(マタイ6:3)と言っているが、これは愛すること一般について言えると思う。

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 イエス様の平安がありますように!

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