復讐を禁止する神

 「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:19-21)

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 有史以来ハンムラビ法典ほど優れた法律はないと、かねがね自分は思っている。
 「目には目を」。
 近代法は復讐や決闘を禁じるが、ハンムラビ法典はやられた限りにおいての復讐を認めている。
 被害を受けた者が復讐感情を持つのは自然なことで、その自然の情を果たすことができるのであるから、何と素晴らしいことだろうか。

 そんなことを思う自分に対し、上の聖句は「自分で復讐してはいけません」とたしなめる。
 そこで私は、じゃあ先制攻撃ならいいじゃないかと考える。
 先制攻撃というのは相手が構えていないところを襲って、相手がひるんだところをそのまま押し切れれば勝ちだ。単純な戦法なのだ。
 復讐心を抱え込むよりは遙かにいいではないか。攻撃は最大の防御とはよく言ったものだ。

 そう頭では考えるものの、気乗りはしない。
 今は特に復讐したい相手がいないこともあるが、過去の何人かには復讐したい。だが、実際にやろうという気はまったく起きない。
 「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」というのが、聖書の文字面なのではなく、自分の内側に刻み込まれているからだと思う。自分を動かしているのは、頭の愚かな考えではなく内住の聖霊様なのだ。
 数年前、面と向かって馬鹿にされ続けたということがあったが、私は終始にこにこしていた。我ながら不思議だったが、これは肉の私とは異なる私がそうさせてくれたのだと思う。

 あのときの愚かで底の浅い彼らは今頃どうしているのだろうか。
 思うに、復讐心を引き起こすようなこと自体を神は制裁されるのではないだろうか。そうだとすると、むしろ自分自身で「燃える炭火を積む」ことになるような気がする。
 そして何より、「わたしが報いをする」と仰ってくださる神は、復讐心に駆られた人が泥沼にはまることのないように制止して下さっている。
 頭の愚かさはハンムラビ法典最高、先制攻撃最強と考えても、神が与えた復讐の禁止を私の心はとても喜んでいる。

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[一版]2019年12月 4日
[三版]2024年 6月 9日

 イエス様の平安がありますように!

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