イエスによる世からの解放

 「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

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 「心の一新」は、与えられた聖霊によるもので、自力でどうこうして一新できる類いのものではない。イエスが与えて下さるものである。
 このこと自体よりも、この「心の一新」によって変えられた私は、この世と調子が合わなくなるとパウロは言う。
 現代の欧米社会のように強い自我を持つ社会であればまだしも、日本のような和を以て貴しとなす社会、「わたし」がなく「和」の平衡状態を重んじるKYの社会、突出する者を叩いては村八分にしてかかるこの社会において、世と調子を合わせないというのは相当の覚悟がいることである。だが、パウロは「この世と調子を合わせてはいけません」と書き、イエスも「わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)と言っている。
 イエスはまた「その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。」(ヨハネ14:17)と言っている。このことからすると、イエスに救われた者はどの世であろうと世とは調子が合わなくなるのである。そして、この世と調子が外れるのは自分から世を捨てるのではなく、イエスによってであって、これこそ魂の救済なのである。世の原理では立ち行かないと思って救いを求めているのであれば、なおさらそうである。
 イエスの救いは、この世に馴染んで過ごしやすくなるようにすることよりも、人が本当に満足できるものを与えることである。この世には本当にはちっとも満足できない物質や情報で溢れており、これをめぐってあれこれやっている。悪魔がイエスに「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」(マタイ4:9)と提案するほどのものであるが、イエスはこれに見向きもしなかった。

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 イエス様の平安がありますように!

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