イエス同様「彼」は世界から捨てられる一方で「彼」は神に受け入れられる

 「もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。」(ローマ11:15)

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 イスラエルと異邦人とについての文脈の中でのみことば。

 「もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう」。
 この「彼」は、ここではイスラエル。
 だが、イスラエルだけでなく異邦人でも、私でも彼でも、誰にでも上のみことばに当てはまる。

 イエスは世界中の憎しみのさなかに、極刑の十字架につけられて死んでいった。
 しかし神によって、イエスはよみがえる。
 そのイエス同様、「彼」は世界から捨てられて、そのことによりその世界は和解をする。
 その一方で、捨てられた「彼」は神に受け入れられて、死者の中から生き返る。
 イエスを信じるということは、イエスがこの道筋を経るということである。
 このことに、イスラエルも異邦人も、私も彼もないのである。

 

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[一版]2008年10月22日
[三版]2024年 6月 2日

 イエス様の平安がありますように!

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