伝えられた教えの規準

 「神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」(ローマ6:17-18)

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 アダムの子孫である私たちは、そもそも罪という主人に仕えざるを得ない。
 だが、その罪から解放されて義と認められることがある。
 「伝えられた教えの規準に心から服従」することによって、解放されるのである。

 「伝えられた教えの規準」とは、キリストの十字架の死と復活についての教えを指す。
 また、「心から服従」するというよりも、神の恵みによって「心から服従」させられてしまう。
 そのとき、その人はキリスト同様、自身の肉が十字架につけられ、そして復活させられる。

 もしも伝えられた教えが品行方正の勧めの類であるとすれば、それは義とみなされるためには何の役にも立たないことだろう。

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[付記]
 本日の記事は、2008年10月2日付記事に筆を加えたものです。

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