イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
カレンダー
2007年4月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | ||
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ||
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | ||
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | ||
29 | 30 | |||||||
|
goo ブログ
過去の記事
カテゴリ
最新の投稿
恵みという名の種 |
しるしを見て納得できれば信仰に至るのか |
イエスは私にもまむしのすえと言っているんじゃないか? |
重荷を背負い続けるすべての人へのイエスの招待 |
周囲の評価より天との和解 |
イエスとは |
自分の十字架を負ってというのは文字どおり十字架を負うこと |
毛さえも数えられていることはありがたいか空恐ろしいか |
イエスにある者とそうでない者との対立 |
借り物の言葉、自分の言葉、聖霊の言葉 |
最新のコメント
サトシ/キリストの道筋 |
サトシ/罪深い肉と同じような形 |
サトシ/ひとりの人の不従順、ひとりの人の従順 |
Levi/神との平和 |
ネコ/神との平和 |
Levi/新しい約束 |
み/新しい約束 |
Levi/隠された宝 |
ABE/隠された宝 |
Levi/小さき門 |
最新のトラックバック
ブックマーク
プロフィール
goo ID | |
levi9183 | |
性別 | |
都道府県 | |
自己紹介 | |
連絡先:crlh[]goo.jp
返信は気長にお待ち下さい。 |
検索
gooおすすめリンク
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
double standard
「もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか。
うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。」(ヨハネ7:23-24)
---
安息日に割礼を施す。
つまり「どっちか」を守るならば「もう片方」に違反する。
自分たちのそれはよくて、人の「どっちか」違反には目くじらを立てる。
イエスはその矛盾をついた。
残念ながら、罪ある人間は、多かれ少なかれ、この double standard をやってしまう。人が「これ」をやるのは許せないのに自分はいい、とか。
また、これも残念なことだが、罪ある人間は、種々の形式の「さばき」、これもしてしまう。
私たち人間に、「正しいさばき」はできない。
それをなさることのできる唯一のお方、その方の「正しいさばき」に委ねよう。
そういうわけで人間のさばきというのは、話半分に受け取っておく程度でよさそうだ。
うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。」(ヨハネ7:23-24)
---
安息日に割礼を施す。
つまり「どっちか」を守るならば「もう片方」に違反する。
自分たちのそれはよくて、人の「どっちか」違反には目くじらを立てる。
イエスはその矛盾をついた。
残念ながら、罪ある人間は、多かれ少なかれ、この double standard をやってしまう。人が「これ」をやるのは許せないのに自分はいい、とか。
また、これも残念なことだが、罪ある人間は、種々の形式の「さばき」、これもしてしまう。
私たち人間に、「正しいさばき」はできない。
それをなさることのできる唯一のお方、その方の「正しいさばき」に委ねよう。
そういうわけで人間のさばきというのは、話半分に受け取っておく程度でよさそうだ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )