和平

 「だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
 あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。
 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:17-21)

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 「敵」とは「何」だろうか?
 「あいつ」だろうか、それとも「あいつ」に投影された自分のことだろうか。
 さしあたっては、どちらでもよい。

 「あいつ」が困っていたら、喜んで手を差し伸べよう。
 すると「あいつ」の上に、「燃える炭火」が積まれる。
 我慢のならなくなった「あいつ」は、和平を乞う。
 そのとき、友を見いだす。

 「あいつ」が「外的なもの」であっても「内的なもの」であってもおなじだろう。
 「内的なもの」の場合は、自らとの和平が訪れよう。自分が友となる。

 「燃える炭火」を積むということだけのために手を差し伸べるのではない。
 それでは単なる復讐で、きわめて後味が悪い。
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