goo blog サービス終了のお知らせ 

北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ホタテは塩だけで焼け~釧路ヤマまつり夏祭り

2012-07-14 23:45:09 | Weblog
 釧路市東部の益浦地区で、今年から「くしろヤマまつり 益浦夏まつり」が始まりました。

 かつては太平洋炭鉱のお膝元として活況を呈した益浦地区ですが、石炭産業が斜陽になり太平洋炭鉱が閉山をしたのが13年前のこと。

 太平洋炭鉱としては閉山したものの、「ヤマの火を消すな」という相言葉で市民が一丸となって発足した採炭のための会社が釧路コールマイン(KCM)です。

 KCMは、太平洋炭鉱の所有する坑道や炭鉱の機材を借り受けながら採炭事業を継続しつつ、採炭技術を海外の炭鉱技術後進国へ継承する研修施設としての機能も期待されるようになりました。

 これまでに中国とベトナムから国へ帰れば石炭産業の中枢を担うエリートが研修に訪れて、採炭技術はもちろんのこと、特に坑道の安全思想と安全資機材について研鑽を深めています。

 ここ益浦地区は、そんな外国からの研修生も受け入れて地域での文化的な触れ合いにも協力をしてくれている地区なのです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 【開会は太平洋太鼓】



 しかしながら、やはり地域の地盤沈下は著しく、かつての賑わいには到底及びませんが、昨年大規模総合ショッピングセンター「トライアル」が進出して、郊外型商業機能が大きく向上。

 そこで地元では今般、太平洋興発さんが中心となって「釧路ヤマまつり」実行委員会を作って、地域のにぎわい創出のためのお祭りを実施することとしました。

 今日の益浦地区は、時折海霧(じり)が漂う涼しい一日でしたが雨もなく快適な日和となりました。

 太鼓やキャラクターショー、物まね芸人の登場など、なかなかにお金のかかった凝ったつくりになっています。

 また、各種の飲食店や漁協さんなどの全面参加で賑やかな雰囲気は子供たちも大喜びのイベントとなりました。



    ※     ※     ※     ※     ※


 さて本部席のテントでは、漁業団体の親分が炭火を起こして、自慢の海産物を関係者にふるまっています。

「今日もご苦労様です」
「おお、挨拶ご苦労さん、焼けたから食べてきなさい」

「あ、はい、じゃあちょっとだけ」…などと言いながら、焼きあがる牡蠣が美味いこと!

「ほれ、ホッキもホタテもツブもあるよ」
「かーっ、たまりませんね」



「知っているかい?ホタテを焼くときは塩コショウじゃなくて、塩だけで焼くと旨さがにじみ出て甘くなるんだよ」

 確かに、羅臼の塩だけで焼いたホタテは甘みが尋常じゃなくて絶品でした。今度やってみようっと。


    ※     ※     ※     ※     ※


 しかし一通りいただいたらたちまちお腹が一杯に。


「どうしたの、まだあるよ」
「いえ、なんだかお腹が一杯で…」

「何ぼも食べてないしょ! ああ…ツブ食べたでしょ」
「はい、美味しくいただきました」

「こういうイベントの時はツブとイカは食べると消化が悪くてすぐ満腹になるんだよ。美味いものがたくさんあるときは、イカとツブは避けるんだな(笑)」
「そんな~、出しておいてそれはないでしょ…(笑)」



 
 この釧路ヤマまつり、たくさんの人が訪れて笑顔が満載。 

 この地域の新しい夏の風物詩として続けられることを大いに祈っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域の味をおすそ分け

2012-07-13 23:45:40 | Weblog
 家の近くの会議場・貸館であるA会館のランチバイキングでお蕎麦を打ちました。

 熱い営業マンのSさんに誘われて、「地域の食材をもっと紹介して市民も釧路も元気にしたい」という思いに共感して参加することにしたのです。

 会場はA会館の二階で、ランチバイキングフロアの中央に打つ場所が二面作られています。




 実は打ち手は私のほかにもう一人いて、整体師にして蕎麦打ちのKさんと一緒に打つことになっているもの。

 Kさんもまだ蕎麦打ち経験は3年とのことですが、なかなかの腕前で、また水にもこだわりがあって遠矢地区に湧き出る美味しい水を用意してくださいました。




 私の蕎麦粉は地元弟子屈の摩周産蕎麦粉で、「キタノマシュウ」を用意して、1.3kgを3回と700gを2回と5kg以上打たせてもらいました。

 久しぶりに1kg以上の玉を打ったので、最初はノリが悪かったのですが後半は調子が上がってきました。

 やっぱり大玉はええですなあ(笑)




    ※     ※     ※     ※     ※



 今回蕎麦汁は蕎麦打ち仲間である美唄匠の会にお願いをして作ってあるものを送ってもらいました。蕎麦打ち仲間ってやっぱり良いものです。

 打っている最中に、地元のローカルFM局である「FM釧路」さんが取材に来てくれました。

 インタビューの中で「今回の蕎麦打ちの意味は何ですか?」と訊かれたのでこう答えました。

「地元にはサンマもトキシラズを始め、美味しい食材がたくさんあります。それらを売り込んで『買ってください』というのもいいけれど、その前にまず自分たちが食べておいしいと思う幸せを感じましょう。そしてこんなに美味しいものなのですから、その幸せを他の地域の人たちにも【おすそ分けしてあげる】という気持ちはいかがでしょう。今日はお蕎麦ですが、まずは何でも地元の美味しいものを楽しみましょう」




 「地産地消」って地域の食材への愛があまり感じられなくてドライに聞こえてしまうのは私だけでしょうか。


 まずは自分たちが地元の食材を愛して楽しまなくてはダメなんです、よ。
 

 ランチバイキングの蕎麦打ちは、来週の20日にも行います。

 よろしければぜひ足をお運びください。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津波への備えの施設

2012-07-12 23:45:27 | Weblog
 今日は一日だけの臨時市議会が開催されました。

 提案議題は議案第60号と61号の二つ。

 議案第60号は、市役所裏に建設を計画していた防災まちづくり拠点施設について、先日発表された道庁の津波被害想定の見直しを受けて、その内容を変更しようというもの。

 もっとも、建設そのものはすでに前回の議会で承認されており、今回は津波被害想定の変更という議案提案となっています。

 この施設は、現在市役所の地下に設置されている電源設備が、このままでは津波があった際に真っ先にダウンすることから、電源設備を津波想定高さよりも上に上げて守ろうというもので、併せて大切なコンピューターのデータも津波より上に上げることにします。

 この計画にあたっては、これまでの500年確率で発生する考えられていた高さ1~2mの津波には被害を受けないように一階部をかさ上げするピロティ方式に変更するとともに、今回道庁から示された1000年確立で発生しうるという大津波(高さ9.6m)に対しては電気室、電算室、避難施設などの重要な機能については安全性が保たれる高さ以上に置くことを意図しています。

 一階の部分をピロティ方式とすることで、駐車場スペースも確保でき、市民利用にも供することができます。

 ただし、津波の被害想定が上がったことに対応するために、これまで約25億円と見込んでいた建設費が約30億円と5億円ほど増加すると見積もられています。

 しかし、市役所機能の充実は現在最も急がれる備えであり、早急な整備が必要と判断をしたところです。

 共産党さんからは、「これまで市民にどのように説明してきたか」ということや、「市民議論を行ってから決定すべきではないか」という質問が出されましたが、既に過去の議会答弁や各種の懇談会でも説明をしており、またいたずらに決定に時間をかけるよりもできることを早急に行う必要があると考えているところと説明をしました。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 また議案61号については、冬の除雪のために高額施設であるグレーダーを購入しようというもので、こちらはあまり議論はありませんでした。

 それぞれ所管の委員会に付託された後に委員会で採決が行われましたが、前段の防災まちづくり拠点施設の計画変更については、一部の会派から反対とされました。

 その理由は、「建設予定地が津波の被害を大きく受けることが推測されその役割を果たせず、また建設費30億円を投じながら市民並びに職員の安全・安心を確保できる条件内容になっていない」というものでした。

 これでは津波被害が想定されるエリアには投資をすべきではない、ということになりますが、そこは当局側とはやや考えを異にする部分と言えそうです。

 さて採決の結果は、防災まちづくり拠点施設については賛成多数、グレーダー購入は全会一致で可決されました。

 防災に関してもその対応についてはまだ多くの意見があるようですが、出来ることを予算などのタイミングを計りながらまず行うことで、安全・安心の度合いを地道に高めてゆかなくてはならないと思います。


    ※     ※     ※     ※     ※




 今回道庁からは、割と頻度が高く起きるものの小さな規模の津波をレベル1として、また頻度は極めて少ないものの規模が非常に大きな津波をレベル2として、二段階に分けてそれぞれの津波の高さを想定したものが発表されました。

 これらの数字の持つ意味については、十分に吟味をしたうえで市民にもわかりやすく伝え、正しい知識を持つとともに、『正しく怖れる』という考え方を共有しなくてはならないと考えています。

 ただ数字をそのまま受け入れて絶望に至るのではなく、正しく理解し正しく怖れ、災害時には正しく避難行動がとれるような日頃からの備えが求められます。

 引き続き市としても道庁やいずれは国ともしっかりと情報を共有しながら津波防災への対応を強化してゆきたいと思います。


 市議会の皆さん、お疲れ様でした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

根室で釧路港をセールスする

2012-07-11 23:45:46 | Weblog
 今日は根室市まで出かけて、ポートセールスつまり、港をもっと利用してください、という営業を行いました。

 事前に根室市の長谷川市長を表敬訪問したところ、最近はベトナムへサンマを売り込みに行って、百数十トンのサンマを供給したそう。

 しかも今年はさらに売り先をフィリピンやシンガポールなど7カ国へと増やす予定で、今年サンマを送る量は千トンを超しそうだ、とのこと。

 かねがね、どうして根室市がベトナムの売り先へのコネクションを作ることができたのか、不思議だったのですが、次に商工会議所をお訪ねしてその謎が解けました。

 商工会議所では菊地専務理事さんとお話ができて、先ほどの疑問をぶつけてみました。

「根室市さんではどうやってベトナムの売り先を探せたのですか?」

 すると答えは、「根室市の課題である北方領土問題でお付き合いのある東京の組織に、商社出身でベトナムにも在住した経験のある方がいらっしゃったんです。その方を通じて、現地でビジネスをしている方を紹介してもらって、現地での売り先が開拓できました」というもの。

 人との出会いはある種の偶然なのですが、それをうまく生かせばビジネスでも成功することができます。

 またその偶然の出会いを活かさずにチャンスを逃すということもあるでしょう。

 ビジネスも元は人ですね。





    ※     ※     ※     ※     ※



 根室のサンマは釧路の港から海外に輸出されています。

 しかしサンマを新鮮な状態で国内移出するのには苫小牧港を使うことが多いのだと。

 そうした流通の流れを簡単に変えることは難しいかもしれませんが、釧路港の弱みは改善し、強みを生かすような工夫が必要でしょう。

 小さな改善を繰り返さなくてはいけません。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アリのフライ

2012-07-10 23:48:11 | Weblog
 最近、釣りに行っても全く釣れない日々が続いています。

 キャストが悪くて気配を感じられてしまうのか、投げ入れるフライのタイプが合わないのか、それともそもそも魚のいないところにフライを投げ入れているのか…。

 どこか一つでも狂うと釣れないのがフライフィッシングの難しさでもあり、またチャレンジングなところとも言えそうです。

 たとえ釣れなくても、川を歩いて川を見つめ、同行者との会話の中で様々なヒントをもらうことは眼力を養う上では重ねなくてはならない経験に外なりません。

 多少のやせ我慢はありますが、試練の時を重ねましょう。


    ※     ※     ※     ※     ※


 これからの時期のために、様々なフライをまだ作らなくてはなりません。

 今回は、蟻のフライを教えてもらいました。





 ちょっと小さめの丸みの着いた針に、お尻に似たふくらみを作って、くびれも意識し、遠くから見えるようにラムズウールをつけます。

 ハックルと呼ばれる鳥の羽を上部に巻きつけて、常に上を向いて水に浮くように仕掛けます。

 糸を巻く方向や順番など、慣れないと一つ一つの工程をいちいち考えながら巻くのにも時間がかかります。

 何度か繰り返しながら、ようやく蟻に似せたフライができました。


 【まだお尻の形があまい】


「蟻を食うタイミングってあるものですよ。頑張りましょう」

 そういってフライの師匠には激励されましたが、季節の魚にぴったりマッチしたフライを求める旅路は長そうです。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 【釧路新聞『巷論』】 鯨とクジラの違いとは

2012-07-10 23:45:21 | Weblog
 釧路新聞の今日の「巷論」欄に私の原稿が掲載されました。
 
 タイトルは、「クジラで釧路のまちづくり」として、先月山口県下関市で開かれた「鯨フォーラム」に出席したときの様子を書いたものです。

 原稿を送ったのは先週のことですが、昨日になって担当の方から電話が来ました。

「小松さん、送っていただいた原稿なんですが…」
「はい、どうしました?」

「クジラを『鯨』と漢字で書いてくださいましたけど、普通新聞では『クジラ』とカタカナで書くんです。原稿をその用に修正しても良いでしょうか?」

 そういう慣例があるとは知りませんでしたが、新聞の紙面なので、慣例に従うことに異存はありません。

 しかし問題が…。

「漢字の鯨をカタカナに置き換えるのは結構ですが、文字数が合わなくなりませんか?大丈夫?」

 巷論の原稿は、14文字×59行と指定されているのですが、ワープロで書くときは、一行の文字数を考えながら打っているので、一文字を三文字にすると行数が変わったり、点の位置などのバランスが崩れる心配があります。

「ちょっと『てにをは』が変わりますけど治まりますよ」
「それなら結構です。よろしくお願いします」

 そうやってできたのが今回の原稿。クジラという釧路の歴史的アイデンティティを知識だけではなく、味の文化としても継承してゆきたいですね。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防災教育の真髄

2012-07-09 23:40:21 | Weblog
 仕事の関係で道東を訪れていた群馬大学の片田教授が市役所を訪ねて来てくれました。

 片田先生は、岩手県釜石市で子供たちに長く防災教育を指導し、東日本大震災の津波のなかで「釜石の奇跡」と呼ばれる子供たちを避難劇を生み出しました。

 「釜石の奇跡」とは、釜石東中をはじめとして、釜石市内で約3000人の小中学生のほとんどが押し寄せる巨大津波から逃れて無事だったことを指します。

 この「奇跡」を導いたのは片田教授による、「想定を信じるな」「最善を尽くせ」「率先避難者たれ」という「避難の3原則」の提唱で、小中学校の先生たちと一緒に防災教育の指導にあたってこられた成果でした。




 
    ※     ※     ※     ※     ※


 道東では根室市の落石漁港で漁民の皆さんと防災に関する交流を深めてきて、津波襲来時の対策や避難行動について地域と学習をしてこられたのです。

 片田先生の防災意識向上のための問題意識は、「コミュニケーション・チャンネル」です。
 
「講演会でも、『地震が発生して津波が来ると思ったら何としても避難してください』と何度も話しますが、講演会は何度行ったとしても興味のある人が何回も来るばかり。来ない人が問題だというのに、です」
「話を聞いてくれる人を増やすにはどうしたらよいですか?」

「システマチックに聞いてくれる人を増やすために、学校で防災教育をやることを考えました。子供が学校で習ったことを家で話しますね。それを親も真剣に考える。子供を救うために親は何をしなくてはいけないか、も伝えることで、子供を介して家庭の防災意識も高まります」
「なるほど」

「また、防災教育を10年間続ければ、12歳の子供は22歳の大人になります。防災の心得がある大人が増えれば結婚して育てる子供にも家庭教育で防災意識を育てることも期待できます。そうやって地道な努力を続けることで、防災を正しく意識できる市民を増やし、助かる人を増やすことに繋がると考えたのです」

「鍵は、誰にどのように話せば効果的に防災意識を持った人を増やせるか、ということです。コミュニケーションの繋がり(=チャンネル)をどこに求めるかを間違えると全く効果は出ませんが、逆にそれが正しければ効率的に情報を伝えることができます」


    ※     ※     ※     ※     ※


 片田先生は、その町に住むことの魅力とリスクをしっかりと把握し、町に住む作法を身につけなくてはいけない、と言います。

「海辺の町に住むということは、海からの産物や海を使った仕事があるという恵みがありますが、同時に津波などの海に帰来する災害もあるということです」

 海の恵みを享受しつつ、海に帰来する災害のリスクはできるだけ軽減する、津波に対しては非難するという、自分の中でこの両方をバランスすることこそ、海辺の町に住む作法だと言えるでしょう。

 片田先生は、「教育には三種類ある」と言います。防災教育にもそれが言えるのですが、三種類とは、①脅しの教育、②知識の教育、③姿勢の教育の三つです。

 ①の脅しの教育は、「○○しないとひどい目にあうぞ」というものですが、これは時間がたてば効果を失うとともに、地域を嫌いになる教育です。これでは得るものが多くありません。

 ②の知識の教育は、教えられたこと以上のことを学ばなくなる傾向にあります。自ら学ぶということが身についていないからです。

 ③の姿勢の教育は、これこそが防災教育において進められるべきもので、自然からの恵みと災いを適切に評価し、無用に恐れすぎることがないように導きます。地域を愛し、不当に貶めることを良しとしません。
 そういうハイ・インテリジェンスな市民を数多く育てなくては、防災意識が向上したとは言えないのです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 片田先生の言い方は非常にわかりやすいのですが、こうした啓発活動を継続して行えるかどうかが最大のポイントです。

 危機意識というたがはすぐに緩むもので、緩むのは仕方がないとしてもそれを放っておかずに気付いた時にはすぐにタガを締めるべき。

 これさえしっかりしていれば、防災危機意識を高く保つことも可能となるでしょう。

 私流に言えば「防災のための生涯学習」ということになるでしょうか。

 釧路のこれからの防災にもこうした考え方を大いに参考にしたいものです。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスランドのマリモの危機

2012-07-08 23:45:30 | Weblog
 マリモ関係でアイスランドへ出張していたマリモ博士こと、若菜学芸主幹が帰国して、現地の報告を聴く機会がありました。

 今回の出張の目的は、第一はマリモの特別天然記念物指定60周年記念事業に供するための展示用マリモの採取と輸送ですが、実は今訪問先のミーバトン湖では大量にあったはずのマリモが急速に減少しているとのことで、その要因について調査支援をしてほしいということもありました。

 現在公式に確認されているマリモの群生は阿寒湖とミーバトン湖だけで、阿寒湖との共同研究や保全を巡る協力体制はこれまでも続いてきたものです。





    ※     ※     ※     ※     ※



 アイスランドは北海道と同じくらいの面積。

 ミーバトン湖の「ミー」とはユスリカのことで、それをエサにするためにカモや白鳥などが多数飛来する、ヨーロッパでも最も大きな鳥たちの飛来地として有名です。

 ラムサール湿地にも釧路よりずっと早く指定されているのだそうで、昔から鳥の楽園だったようです。 

 湖の出来方は溶岩が川をせき止めてできた湖で、阿寒国に比べても非常に浅いのが特徴。

 湖の中は島が多くて流れは複雑。若菜さんは「洗面器のような感じ」と表現していましたが、深いところのある阿寒湖とはちょっと様子が違います。


    ※     ※     ※     ※     ※


 ミーバトン研究所とは10数年来連絡を取ってきましたが、アイスランド政府がマリモを保護種に指定した2006年以来、急速にその数を減らしているというので、若菜さんは現地の湖を実際に潜水調査して現状を確認してきたのだそう。

 若菜さんは、99年に初めて現地調査に行き、以来相互に比較して研究するプロジェクトが進んできました。

 ミーバトン湖のマリモは阿寒湖の半分くらいのせいぜい10センチほどの大きさですが、分布面積にすると阿寒湖の20倍はあったそうです。


    ※    ※    ※    ※



 しかし今回潜水調査をしたミー湖ではかつてマリモ群落が大量にあった場所がほぼ壊滅。面積は数十分の一になっていて驚いたのだとか。

 湖底にはマリモの姿が見えなかったのですが、上層を覆っている泥や他の藻類などをどけるとある程度のマリモが出てきたそう。

 上層の堆積物を取り除くとマリモが出てくるので、まだ完全に死滅したわけではないが、このような状態が続けば早晩死滅するのではないか、と危機的な状況です。

 マリモを球状に維持するために必要な外部条件は、マリモを適度に動かす風の力と、光合成のための光。

 ところがミー湖では今世紀に入ってから、嵐の頻度が全盛期に比べて半減しているのだそうで、これが原因で湖底がかき回されていないらしいのです。

 また光の条件の方は、意外なことにここ数年、湖の珪藻土を採取する工場が閉鎖してことで子推譲化が進んで水の透明度は向上してきたのだそう。

 ところがこのことで湖底にそそぐ光の強さが強くなり、それまでマリモには有利ながら他の藻には不利という状況が代わって他の藻類の繁殖が旺盛それがマリモの上に積り光合成を阻害し、とうとうつぶれて動けなくなる…という負の連鎖が起きている模様。

 若菜さんは、「一見水がきれいになると環境条件は向上したように思いますが、実はマリモが球状に生育できる条件はとても幅の狭いもので、ちょっとしたバランスの乱れが群落の成否に大きく影響することを目の当たりにして、マリモのむずかしさを改めて認識しました。また、だからこそ阿寒湖に球状マリモ群生があることの意味がますます重要になるのではないでしょうか」と語ります。

 環境の難しさがよくわかるエピソードです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 若菜さんはミーバトン湖から譲り受けたマリモを見せてくれましたが、大きさは10センチほどで良い形をしています。

「マリモって植物でしょう?国内持込みの検疫は大丈夫だったのですか?」と心配になって訊いてみました。

 すると答えは、「根と土がついているとかなり厳しいのですが、マリモは根も土もついていないのでそうした検疫には引っかからないのだそうです。今回私も初めて知りました」とのこと。

 さて、今年の釧路の秋はマリモで盛り上げましょう。 
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大学卒業30周年同窓会

2012-07-07 23:45:02 | Weblog


 北大の校内でジンギスカンパーティ(ジンパ)を開きました。

 今年は大学卒業30周年の年に当たるので、30年ぶりの同窓会をやろうということになり、札幌在住の仲間が感じを受けて企画をしたのです。

 午前中の札幌は手稲山に雲のかかる不気味な感じでしたが、ジンパが始まる頃には快晴で時折揺れる木漏れ日が実に爽やかな札幌らしい日和となりました。

 同窓の卒業生は全部で27人ですが、東京からの参加者が2名、地元札幌市内が2名、そのほか道内からの参加者が5名と全部で9名でのパーティ。

 学部へ移行した時は成績が最下位の私でしたが、先日初孫ができて今や一番初めの「爺さん」となりました。いやめでたい(笑)。

 またその外連絡が取れた仲間から寄せられたコメントは11人分で、参加が叶わない友からはお酒やお菓子などの差し入れが多数寄せられました。

 そのうち最も遠くからは、タイ国に赴任している友からのマンゴーとお花の差し入れ。

 全員が揃った頃にはスカイプで参加者の一人のスマホと連絡が取れて、電話口で懐かしい会話もできました。




    ※    ※    ※    ※


 さて、同期の仲間達は皆農学部農学科の卒業生ですが、卒業後の組織改編に伴って今や「農学科」は存在しません。

 作物や園芸、育種などの教授による講座は再編されて今や「生物資源科学科」と名を変えて学生の育成・指導に当たっているので講座の後輩はいますが、北大農学部農学科の卒業生はもう新しく出てこないのです。

 北大農学部農学科と言えば、北海道の農業を発展させるために札幌農学校が創建されたときに最初に作られた学科。

 そのため農学科だけは「プロパー」と呼ばれて、本学創建の精神的支柱という極めて特殊な位置づけを誇りにしていたものです。

 学科はなくなっても、一人ひとりがその誇りを失わずにこれからも国家と地域の発展のために貢献したいものです。

 伝統は一人ひとりがぶら下がるものではなく、一人ひとりが支えてこその伝統なのだと思うのです。 
 
 
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これからの10年活躍出来る人

2012-07-06 23:45:32 | Weblog
 時として時代は、生まれや身分や学歴などを超えて世の中に影響を及ぼす人を生みます。

 神田昌典さんもその一人。

 外務省に入省したものの人生の行く先に悩んで転職、いつしか外務省のお偉方を相手にして講演会をするような立場になりました。

 現在の神田氏は、経営コンサルタントという肩書きながらビジネス書や小説などの執筆の他、講演、ミュージカルやテレビ番組の企画など、実に様々な創作活動を行っています。

 そんな神田氏の最新の著書が、「2022ー これから10年、活躍出来る人の条件」(PHP新書)。

 今回のテーマは、『2012年の今を生きる私たち日本人が、これからの10年をどう生きるべきか』ということですが、本の帯では「日本人(あなた)の未来は明るい」と言います。

 しかも、「本書は日本人のための本である。悪いが英語、中国語、韓国語には翻訳させない。なぜなら世界中の人々が日本人に嫉妬してしまうからである」とまで断言しています。

 その内容とは?




    ※    ※    ※    ※


 著者はまず「これからの10年を」というからにはどのような日本社会の変化が予想されるか、ということを語ります。

 たどり着いたのは、「70年周期説」。このあたりは賛否や好き嫌いがあるかも知れませんが、日本は70年というサイクルの歴史を四世代にわたる世代が受け継いで継承・発展させているというのです。

 そのサイクルを著者は、「志・能・公・商」と呼んでいて、それぞれ、「志=指導者が志を立てる段階」、「能=実務者が志を形にして広げて行く段階」、「公=経営管理やブランド管理などの管理が大事になる段階」、「商=ビジネスが最高潮に発揮される段階」という大まかな区分をしています。

 これらは大体20年弱で回ってくるサイクル論で、そういう観点で見ると今の日本は「商」が示すバブルの時代を終えて、次なる「志」の時代に向かう端境期にあるのだと。

 それゆえ今やらないと行けないことは、「今後も引き継ぐ価値観と、捨て去るべき古い価値観について対話をすることだ」と筆者は主張します。

 江戸時代の若者に「夢は?」と訊いた時にあったであろう「一万石の大名になること」という価値観は、明治時代になって見事に打ち砕かれました。

 戦時中にあった「末は陸軍大臣や海軍大臣になる」という少年の夢は戦後は価値観が変わってしまったでしょう。

 おなじようなことがそろそろ起こるとすればどのような価値観の変化が訪れるのでしょうか。

 筆者はこのサイクルが一巡する時は、「圧倒的な欠落感を感じるときであって、おそらく、人間の心や可能性について全く知らなかったと言うことに気づくのではないか」と記しています。

 経済偏重や、効率性の重視など、豊かな生活という光の陰でこの日本の現代社会に目に余る陰の部分がありますが、これらを感じ取って解決に向かう新しい時代の到来を予言しています。

 
    ※    ※    ※    ※


 これを眉唾と思うかどうかはさておき、経済面で見ると、これからはやはりアジアの時代ということを著者は感じています。

 そのときのくくり方に「儒教文化」を持ち出す当たりはちょっと無理があるかな、と思いますが、そこでの結論は、「これからの時代を生きる人たちは、日本を飛び出してアジアをベースに生きよ」、「そのためには武器として英語と中国語を話せるようにして、日本的精神を伝えるように努力しよう」ということになります。

 さらに日本社会で言えば、「会社という形態はなくなるのではないか」ということ。

 それは会社による企業活動で社会貢献をしながら人材を育成し、社員が労働者として収入を得るというサイクルを維持するには、事業の寿命が余りにも短くて、人材は育たず、企業の寿命も短くならざるを得ないだろうという、予想なのです。

 社会貢献を自分のやりがいと結びつけて、個人の力をもっと発揮するためにはNPOや社団法人、財団法人のような身軽な組織で誕生と終焉を頻繁にして維持する方が合理的なのだと言うのです。

 もちろんその変化は一瞬で起こるものではないにせよ、組織を守るためにエネルギーを費やす事への反省が生まれ、組織を内部から変革するよりも、外部に新しい組織を立ち上げて外からの力で変化を誘発させ、さらにそうしたことが産業になって行くだろう、と筆者は考えています。


    ※    ※    ※    ※


 企業を始めとする大組織の一員として加わっていることが、自分を殺し、組織を維持するためだけにあることへの無駄をどのようにして省くかが、社会問題になる時は来るかも知れません。

 あらゆる組織でコンプライアンスを守るという生産性のない活動のために多額の費用と人員を消費しています。

 こうした制度の積み上げがどこかで破綻するかも知れないとは思いますが、ここまで大胆に言い切ることは私にはできません。やはり著者の直感力でしょうか。

 そしてそうした組織の変革を前にして、一人ひとりが自分らしく社会に貢献するためには、「インフォメーションからエクスフォメーション」への発想と行動の変容を求めます。

 インフォメーションとは、いろいろな情報をただ自分に取り込む(=in)ことに注力した言い方で、これからは取り入れた情報を外へ向かって発信(=ex)する生き方が求められるのだと。

 既にそうした活動の萌芽はネットの世界では実現されていて、多くの優れた業績をもたらしたリーダー達が後輩を育てるためにネットで無料の情報提供を幾つも行っているのです。

 今の時代を今の年齢で生きていることを恨むのではなく、その後に訪れる時代を予想し、その時の年齢なりの自分の役回りをどう自覚し実践するかに、日本の命運がかかっているとも言えるのです。

 
    ※    ※    ※    ※


 著者は、この本を執筆する前に実は体に癌が見つかったそう。

 自分の命を改めて見つめながら、身辺整理をしつつあらゆる快癒のための努力を続けたそうですが、その後の精密検査では癌が消えていたのだとか。

 なにやら運命的なものを感じながら、この本を書き上げたそう。

 どのように感じるかはそれぞれですが、日本のこれからを著者なりに考えた行動のための指針です。

 私は読んでみて、自分の生き方にも照らしながら元気が出ました。

 皆さんの感想も伺いたいところです。

  
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする