皆さんの周りには、やることなすこと処理が速くて仕事ができるんだけどすぐ腹を立てる、という人はいませんか?
私の周りにもやはり何人かはいます。いわゆるエリートといわれる人に多いのですが、そうした心理はどこから来るのかについて面白い記事がありました。最後は「脳」の問題にたどりつきそうですが・・・。
---------- 【ここから引用】 ----------
仕事の早い人はなぜ腹を立てるのか 松下 信武(ゾム代表取締役社長)
プレジデント・ロイター2009年6.1号
http://president.jp.reuters.com/article/2009/05/09/87F11F8C-3AC5-11DE-9955-E5BF3E99CD51-1.php

(前半略)
・・・アリゾナ州立大学でとても興味深い心理実験が行われた。きちんとした生活習慣を好む傾向や、あいまいで、結果がどうなるのかわからない状態を嫌う傾向を、人がどれくらいもっているかを測定するPNSという心理テストがある。
(…中略…)
その結果、PNSスコアが高い学生は、低い学生に比べ、やり遂げた学生の割合が高く、早い時期に課題をやり遂げる傾向がみられた。つまり、規則正しい生活を好み、何が起きるかわからないような環境を嫌う学生のほうが、まじめに、スピーディに与えられた課題に取り組んだ、ということになる。
私たちが日常で使う「まじめな人」という言葉は、「規則正しい生活習慣をもち、安定した状態を好む人」と言い換え可能ではないだろうか。だとすると、まじめなビジネスパーソンのほうが、そうでないビジネスパーソンよりも、与えられた仕事をやり遂げる確率が高いという結論は当然すぎるくらいである。
問題は「スピーディ」である。なぜPNSが高いと、早く課題をやり遂げようとするのだろうか。アリゾナ州立大学の研究者は、「結果がどうなるのかわからない状態を嫌う」学生は、急いで決着をつけたがるから、早く課題をやり遂げたがるのではないかと考えている。この考察をビジネスパーソンに適応すれば、まじめなビジネスパーソンほど、見通しがきかない状態を不愉快に思い、できるだけ早く仕事をやり遂げようとするといえる。
仕事が速いビジネスパーソンは、仕事の見通しが立たない間は不愉快に感じ、いらいらして腹が立ちやすい心理状態になっている。だから仕事が速い人はすぐに腹を立ててしまうということになる。仕事が速いことの副作用がこの程度であれば処方箋は簡単で、情動コントロールの基本的なスキルを学べば、落ち着いて周囲の人と接することができる人に変身できる。しかし、仕事が速いことの裏側にはさらに深刻な問題が潜んでいる。
今日、世界には情報が満ち溢れている。しかし、私たちは複雑な世界をなんとか理解しようとして頭を働かせる。アメリカは最近あれほど推奨してきた時価会計主義を変えようとしている。その事象と、たとえばノルディックスキーで競技ルールが変えられたため、日本のノルディックスキーは長年メダルから遠ざかってしまったことを結びつけ、欧米は自分の都合が悪くなるとルールを変える、と考えると、西洋社会について何か理解したような気になる。
私たちは複雑な現象を理解するとき、ステレオタイプ(型にはまった画一的なイメージ)化しようとする。人間の認識力や情報処理能力には限界があり、周囲の人々や出来事をできるだけ単純化して理解しようとする。複雑な現象を構造主義的に思考して、その現象の裏側にある根本的な原理を発見するならば、私たちは世界を再発見できるだろう。
しかし、構造主義的な思考は、煩わしく、時間もかかるために、ステレオタイプで人間や出来事を理解して、大量の情報を短時間で処理しようとする。たとえば、ある営業所の売り上げが落ちてきたとき、「営業所長のAさんでは無理だよ」とか「あの地域は売れないよ」などと、問題を単純化して、営業所長の首をすげ替えたり、商品構成を変えたりする。
現代のビジネス社会では、拙速が尊ばれるために、安易なステレオタイプ化がどんどん広がっていく。大量情報の負荷を軽くするために、ものごとや人間をある程度ステレオタイプ的に理解することはそれなりの効果もあるのだが、その副作用に気がつかないと、組織はとんでもない方向につきすすむことになる。
山本七平は第二次世界大戦中の日本陸軍の病理的な思考をあざやかに解明した人だが、彼はその著書で「日本軍の行き方は常に『速戦即決、前面の敵を片づける』のである。――片づける、明らかにわれわれは常に何かを片づけようとし、片づかないと『自分の気持が片づかない』。従ってこの片づけの前提は、先験的な枠にはめられた『絶対的な見方』の基礎をなす心的秩序なのである」と述べている。
あなたの会社は目の前の赤字に対して、「速戦即決」的に安易な経費節減策だけで、赤字を「片づけ」ようとしてはいないだろうか?
ステレオタイプ的にものごとや人間をみることで、ものごとや人間を「片づける」心理になりやすく、「絶対的な見方」に縛られるリスクを高めてしまう。手早く「片づけて」しまうために、仕事は確かに速くなるのだが、「絶対的な見方」はうつ病や人格障害の温床でもあり、抑うつ、軽蔑、嫌悪、苛立ちなどの情動を引き起こしやすくなる。
先に紹介したPNSのスコアが高い人は、ステレオタイプな理解をしやすいという傾向がみられ、かつ、神経過敏な傾向もある。つまり仕事の速い人(もちろん仕事の速い人全員ではないが)は、ステレオタイプな思考をしやすく、ちょっとしたことでいらいらしやすくなる、ということになる。
仕事の遅い人は、初めての仕事で戸惑っている人をのぞけば、多様な視点からものごとや人間をみつつ、柔軟に、安定した情動をもって仕事をしている貴重な人材なのである。ディズニーのアニメーションでたとえれば、「くまのプーさん」のような人である。
「くまのプーさん」はゆったりと生きているが、ときおり仲間が考えつかないような意見を言って、仲間に新しい気づきを与える。成果主義的人事施策をとると、仕事の速い人を高く評価しがちになる。そのために、せかせかと動きまわる人が多くなり、固定的なものの見方が蔓延し、組織は、あたかも帝国陸軍のように崩壊していく。そのリスクを小さくするために、仕事は遅いが、多様な視点にたち、柔軟に考える人材が必要なのである。
(以下略)
---------- 【引用ここまで】 ----------
いかがでしょう。最後の、みんなが「くまのプーさん」では困ってしまうと思いますが、出来るエリートが陥りがちな、素早い判断が案外危険だ、ということはあると思います。
結局【脳というやつ】は楽をしたがる性質をもっていて、物事を判断するときも、じっくりと今回の状況を考察するよりは、これまで知られた過去のパターンに当てはめて納得し、安心を得るという働きをしがちだ、ということです。
確かに脳はそれだけひたすら判断を繰り返していてお疲れなのでしょうが、だからといってパターン化された判断をされたり楽をされると困ることも多いはず。本を読むのが嫌だったり、新しいことに挑戦するのが嫌だったりするのは全て脳が楽をしたいためです。
脳がそう言う態度を取るということが分かれば、意志の力で敢えて脳のさぼり癖に逆らうということもできるはず。つらい読書や敢えて知らないことの挑戦をするという生き方や、パターン化した思考に陥っていることに気がついてそれから脱却するということが、実は「自分の脳に勝つ自分」であるのです。
※ ※ ※ ※
さきに紹介したナシーム・ニコラス・タレブ(以下頭文字を取ってNNTと呼ぶ)氏の「ブラック・スワン」という本に、几帳面で真摯なドクター・ジョンとだらしなくてちょっとオタクなデブのトニーとのこんなシーンがありました。
NNT:お二人さん、ここに公平なコインがあると思ってくれ。つまり投げた時に表が出る確率も裏が出る確率も同じだ。さて、それを99回投げたら全部表だった。次に投げた時に裏が出る確率はどれだけだろうか?
ジョン:くだらない質問だ。もちろん50%だろう。一回一回は独立した行為だからね。
NNT:トニー、君はどう思う?
トニー:裏が出る確率?もちろん1%もないよ
NNT:どうして?公平なコインだと言っただろう?つまり確率は毎回50%のはずだろう。
トニー:てめえ、いい加減なことを言うんじゃねえよ。さもなきゃ「50%商売」に金を出すカモだろ。いいか、コインは細工がしてあんだよ。公平なんてありえねーっちゅうんだ!(翻訳:99回投げて99回表が出たコインが公平だというあなたの仮定は誤っている可能性が高いです)
NNT:でもドクター・ジョンは50%だって言っているよ?
トニー:おれが銀行にいた時にも、こんなカモが何人もいたよ。ちょろいぜ。みんな簡単にだませるぜ!
※ ※ ※ ※
ドクター・ジョンは与えられた枠の中で物事を考える人。一方デブのトニーは目の前の事象を枠の外で考えられる人です。
人生でハプニングが起きた時に冷静に対処出来るのはおそらくデブのトニーの方でしょうね。
物事を枠にはめて考えることの危うさを常に心のどこかにとどめておけるでしょうか。
私の周りにもやはり何人かはいます。いわゆるエリートといわれる人に多いのですが、そうした心理はどこから来るのかについて面白い記事がありました。最後は「脳」の問題にたどりつきそうですが・・・。
---------- 【ここから引用】 ----------
仕事の早い人はなぜ腹を立てるのか 松下 信武(ゾム代表取締役社長)
プレジデント・ロイター2009年6.1号
http://president.jp.reuters.com/article/2009/05/09/87F11F8C-3AC5-11DE-9955-E5BF3E99CD51-1.php

(前半略)
・・・アリゾナ州立大学でとても興味深い心理実験が行われた。きちんとした生活習慣を好む傾向や、あいまいで、結果がどうなるのかわからない状態を嫌う傾向を、人がどれくらいもっているかを測定するPNSという心理テストがある。
(…中略…)
その結果、PNSスコアが高い学生は、低い学生に比べ、やり遂げた学生の割合が高く、早い時期に課題をやり遂げる傾向がみられた。つまり、規則正しい生活を好み、何が起きるかわからないような環境を嫌う学生のほうが、まじめに、スピーディに与えられた課題に取り組んだ、ということになる。
私たちが日常で使う「まじめな人」という言葉は、「規則正しい生活習慣をもち、安定した状態を好む人」と言い換え可能ではないだろうか。だとすると、まじめなビジネスパーソンのほうが、そうでないビジネスパーソンよりも、与えられた仕事をやり遂げる確率が高いという結論は当然すぎるくらいである。
問題は「スピーディ」である。なぜPNSが高いと、早く課題をやり遂げようとするのだろうか。アリゾナ州立大学の研究者は、「結果がどうなるのかわからない状態を嫌う」学生は、急いで決着をつけたがるから、早く課題をやり遂げたがるのではないかと考えている。この考察をビジネスパーソンに適応すれば、まじめなビジネスパーソンほど、見通しがきかない状態を不愉快に思い、できるだけ早く仕事をやり遂げようとするといえる。
仕事が速いビジネスパーソンは、仕事の見通しが立たない間は不愉快に感じ、いらいらして腹が立ちやすい心理状態になっている。だから仕事が速い人はすぐに腹を立ててしまうということになる。仕事が速いことの副作用がこの程度であれば処方箋は簡単で、情動コントロールの基本的なスキルを学べば、落ち着いて周囲の人と接することができる人に変身できる。しかし、仕事が速いことの裏側にはさらに深刻な問題が潜んでいる。
今日、世界には情報が満ち溢れている。しかし、私たちは複雑な世界をなんとか理解しようとして頭を働かせる。アメリカは最近あれほど推奨してきた時価会計主義を変えようとしている。その事象と、たとえばノルディックスキーで競技ルールが変えられたため、日本のノルディックスキーは長年メダルから遠ざかってしまったことを結びつけ、欧米は自分の都合が悪くなるとルールを変える、と考えると、西洋社会について何か理解したような気になる。
私たちは複雑な現象を理解するとき、ステレオタイプ(型にはまった画一的なイメージ)化しようとする。人間の認識力や情報処理能力には限界があり、周囲の人々や出来事をできるだけ単純化して理解しようとする。複雑な現象を構造主義的に思考して、その現象の裏側にある根本的な原理を発見するならば、私たちは世界を再発見できるだろう。
しかし、構造主義的な思考は、煩わしく、時間もかかるために、ステレオタイプで人間や出来事を理解して、大量の情報を短時間で処理しようとする。たとえば、ある営業所の売り上げが落ちてきたとき、「営業所長のAさんでは無理だよ」とか「あの地域は売れないよ」などと、問題を単純化して、営業所長の首をすげ替えたり、商品構成を変えたりする。
現代のビジネス社会では、拙速が尊ばれるために、安易なステレオタイプ化がどんどん広がっていく。大量情報の負荷を軽くするために、ものごとや人間をある程度ステレオタイプ的に理解することはそれなりの効果もあるのだが、その副作用に気がつかないと、組織はとんでもない方向につきすすむことになる。
山本七平は第二次世界大戦中の日本陸軍の病理的な思考をあざやかに解明した人だが、彼はその著書で「日本軍の行き方は常に『速戦即決、前面の敵を片づける』のである。――片づける、明らかにわれわれは常に何かを片づけようとし、片づかないと『自分の気持が片づかない』。従ってこの片づけの前提は、先験的な枠にはめられた『絶対的な見方』の基礎をなす心的秩序なのである」と述べている。
あなたの会社は目の前の赤字に対して、「速戦即決」的に安易な経費節減策だけで、赤字を「片づけ」ようとしてはいないだろうか?
ステレオタイプ的にものごとや人間をみることで、ものごとや人間を「片づける」心理になりやすく、「絶対的な見方」に縛られるリスクを高めてしまう。手早く「片づけて」しまうために、仕事は確かに速くなるのだが、「絶対的な見方」はうつ病や人格障害の温床でもあり、抑うつ、軽蔑、嫌悪、苛立ちなどの情動を引き起こしやすくなる。
先に紹介したPNSのスコアが高い人は、ステレオタイプな理解をしやすいという傾向がみられ、かつ、神経過敏な傾向もある。つまり仕事の速い人(もちろん仕事の速い人全員ではないが)は、ステレオタイプな思考をしやすく、ちょっとしたことでいらいらしやすくなる、ということになる。
仕事の遅い人は、初めての仕事で戸惑っている人をのぞけば、多様な視点からものごとや人間をみつつ、柔軟に、安定した情動をもって仕事をしている貴重な人材なのである。ディズニーのアニメーションでたとえれば、「くまのプーさん」のような人である。
「くまのプーさん」はゆったりと生きているが、ときおり仲間が考えつかないような意見を言って、仲間に新しい気づきを与える。成果主義的人事施策をとると、仕事の速い人を高く評価しがちになる。そのために、せかせかと動きまわる人が多くなり、固定的なものの見方が蔓延し、組織は、あたかも帝国陸軍のように崩壊していく。そのリスクを小さくするために、仕事は遅いが、多様な視点にたち、柔軟に考える人材が必要なのである。
(以下略)
---------- 【引用ここまで】 ----------
いかがでしょう。最後の、みんなが「くまのプーさん」では困ってしまうと思いますが、出来るエリートが陥りがちな、素早い判断が案外危険だ、ということはあると思います。
結局【脳というやつ】は楽をしたがる性質をもっていて、物事を判断するときも、じっくりと今回の状況を考察するよりは、これまで知られた過去のパターンに当てはめて納得し、安心を得るという働きをしがちだ、ということです。
確かに脳はそれだけひたすら判断を繰り返していてお疲れなのでしょうが、だからといってパターン化された判断をされたり楽をされると困ることも多いはず。本を読むのが嫌だったり、新しいことに挑戦するのが嫌だったりするのは全て脳が楽をしたいためです。
脳がそう言う態度を取るということが分かれば、意志の力で敢えて脳のさぼり癖に逆らうということもできるはず。つらい読書や敢えて知らないことの挑戦をするという生き方や、パターン化した思考に陥っていることに気がついてそれから脱却するということが、実は「自分の脳に勝つ自分」であるのです。
※ ※ ※ ※
さきに紹介したナシーム・ニコラス・タレブ(以下頭文字を取ってNNTと呼ぶ)氏の「ブラック・スワン」という本に、几帳面で真摯なドクター・ジョンとだらしなくてちょっとオタクなデブのトニーとのこんなシーンがありました。
NNT:お二人さん、ここに公平なコインがあると思ってくれ。つまり投げた時に表が出る確率も裏が出る確率も同じだ。さて、それを99回投げたら全部表だった。次に投げた時に裏が出る確率はどれだけだろうか?
ジョン:くだらない質問だ。もちろん50%だろう。一回一回は独立した行為だからね。
NNT:トニー、君はどう思う?
トニー:裏が出る確率?もちろん1%もないよ
NNT:どうして?公平なコインだと言っただろう?つまり確率は毎回50%のはずだろう。
トニー:てめえ、いい加減なことを言うんじゃねえよ。さもなきゃ「50%商売」に金を出すカモだろ。いいか、コインは細工がしてあんだよ。公平なんてありえねーっちゅうんだ!(翻訳:99回投げて99回表が出たコインが公平だというあなたの仮定は誤っている可能性が高いです)
NNT:でもドクター・ジョンは50%だって言っているよ?
トニー:おれが銀行にいた時にも、こんなカモが何人もいたよ。ちょろいぜ。みんな簡単にだませるぜ!
※ ※ ※ ※
ドクター・ジョンは与えられた枠の中で物事を考える人。一方デブのトニーは目の前の事象を枠の外で考えられる人です。
人生でハプニングが起きた時に冷静に対処出来るのはおそらくデブのトニーの方でしょうね。
物事を枠にはめて考えることの危うさを常に心のどこかにとどめておけるでしょうか。