昨日新東京タワー、スカイツリーの記事を書いていて、妙なデジャブ(既視)感があったのですが、今日になって思い出しました。
それは長谷工総研が発行している「CRI」という冊子の10月号に載っていた、元国土交通省河川局長にしてエッセイストの竹村公太郎さんの書かれた文章でした。
竹村氏はそのなかで「都市を考える インフラ都市論」というエッセイを連載されているのですが、今月号のタイトルは「生命感覚の都市 変化する永遠のシステム」というものでした。
竹村さんはその中で、ヨーロッパの都市がつまらないと言います。それは最初はきれいだと思っても、どの都市の街並みも同じに見えてしまうからだ、ストックホルムの町並みも一年前に訪れたマルセイユにそっくりだったと感じたのだと。
「なぜつまらないのか。その理由は簡単だ。マルセイユもストックホルムの街並みも、百年どころではなく何百年も同じ姿で変化しないからだ。私にとって変化しない街並みはつまらないのだ」
* * * * *
それに比べて、日本の街並みのダイナミックな変化をわくわく感をもって肯定します。そして映画「三丁目の夕日」が語られます。
「2年前、『ALWAYS続・三丁目の夕日』という映画が人気を博した。昭和33年ごろの東京タワーが見える下町の人々の話である」
(中略)
「映画の筋はたわいもないが、昭和30年代の東京の光景に目を奪われてしまう。当時の人々の生活も今と比べずいぶん変わっていた。電気洗濯機はハンドル手回しで絞っていた。出演している子供たちは、私と同じ年代である。半世紀前の記憶を呼び起こす東京の映像に魅入られてしまった」
「この映画の主人公は、登場する人々ではない。主人公はCGで再現された昭和30年代の東京の街並みであり、昭和30年代の人々の生活である。過ぎ去った時間が、映画の主人公であった。この映画を観ていて楽しいのは、有楽町駅前の変貌に驚き、嬉しくなるのと同じであった。それは時の流れを楽しみ、変化を楽しんでいるのであった」
* * * * *
この記事を思い出して、そうか、このデジャブ感は、東京タワーが立たんとしているこの昭和33年の映画のワンシーンだったのか、と思ったのです。
今まさに墨田区の中では、新東京タワーが日々立ち上がっていく時間の流れの中にいて、それもやがて「平成20年」というタワーが途中まで立っている風景として描かれる日が来るのでしょうか。
その後の日本が昭和という大発展の時代を迎えるさきがけが東京タワーだったとは、歴史を後から眺められる我々には分かっていることですが、新東京タワーが立った後の時代はどのようなものになるのかを今の我々は知る由もありません。
ただ私たちは日々変化する風景・景観の中にいるんだなあ、と感じ、そう思うと、今後の時代がどうなろうとやはり建設中のタワーを一度は見ておくべきなのかな、と思うのです。
実はすばらしい節目の時を生きているのだなあ、と。
それは長谷工総研が発行している「CRI」という冊子の10月号に載っていた、元国土交通省河川局長にしてエッセイストの竹村公太郎さんの書かれた文章でした。
竹村氏はそのなかで「都市を考える インフラ都市論」というエッセイを連載されているのですが、今月号のタイトルは「生命感覚の都市 変化する永遠のシステム」というものでした。
竹村さんはその中で、ヨーロッパの都市がつまらないと言います。それは最初はきれいだと思っても、どの都市の街並みも同じに見えてしまうからだ、ストックホルムの町並みも一年前に訪れたマルセイユにそっくりだったと感じたのだと。
「なぜつまらないのか。その理由は簡単だ。マルセイユもストックホルムの街並みも、百年どころではなく何百年も同じ姿で変化しないからだ。私にとって変化しない街並みはつまらないのだ」
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それに比べて、日本の街並みのダイナミックな変化をわくわく感をもって肯定します。そして映画「三丁目の夕日」が語られます。
「2年前、『ALWAYS続・三丁目の夕日』という映画が人気を博した。昭和33年ごろの東京タワーが見える下町の人々の話である」
(中略)
「映画の筋はたわいもないが、昭和30年代の東京の光景に目を奪われてしまう。当時の人々の生活も今と比べずいぶん変わっていた。電気洗濯機はハンドル手回しで絞っていた。出演している子供たちは、私と同じ年代である。半世紀前の記憶を呼び起こす東京の映像に魅入られてしまった」
「この映画の主人公は、登場する人々ではない。主人公はCGで再現された昭和30年代の東京の街並みであり、昭和30年代の人々の生活である。過ぎ去った時間が、映画の主人公であった。この映画を観ていて楽しいのは、有楽町駅前の変貌に驚き、嬉しくなるのと同じであった。それは時の流れを楽しみ、変化を楽しんでいるのであった」
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この記事を思い出して、そうか、このデジャブ感は、東京タワーが立たんとしているこの昭和33年の映画のワンシーンだったのか、と思ったのです。
今まさに墨田区の中では、新東京タワーが日々立ち上がっていく時間の流れの中にいて、それもやがて「平成20年」というタワーが途中まで立っている風景として描かれる日が来るのでしょうか。
その後の日本が昭和という大発展の時代を迎えるさきがけが東京タワーだったとは、歴史を後から眺められる我々には分かっていることですが、新東京タワーが立った後の時代はどのようなものになるのかを今の我々は知る由もありません。
ただ私たちは日々変化する風景・景観の中にいるんだなあ、と感じ、そう思うと、今後の時代がどうなろうとやはり建設中のタワーを一度は見ておくべきなのかな、と思うのです。
実はすばらしい節目の時を生きているのだなあ、と。