今日も晴天ですが日中はすがすがしい陽気。夕方からは湿度と温度が上がって、雨が降りそうな予感。
【学問のすゝめ】
「学問のすゝめ」とは、言わずと知れた近代日本の啓蒙家である福沢諭吉の代表的な著書です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」で始まるこの文書は、合本されて一冊になった「学問のすゝめ」の初編です。「学問のすゝめ」は全部で17編の小論文からなる本で、それらは福沢諭吉が折に触れて書いたエッセイのようなものなのです。
各一編は文字数にして4千~5千文字程度のもので、最初の一編が発売されたのが明治五年二月のことであり、以後断続的に一編が小本として発売され、第17編が発売されたのが明治九年十一月のことだそうです。
この冊子は福沢諭吉が明治という新しい時代の始まりにあたり、それまで長かった封建制度の下で抑圧され続けたことで、国民一人ひとりが自らを律して新しい国の国民として生きて行くその生き方を指し示したものとして、福沢諭吉の数多い著書の中でも一番に数えられることでしょう。
そしてこれがまた売れに売れたのだそうです。第一編が出された時で、本物が20万冊、偽の本も含めると22万冊が売れたのだそうで、当時の人口約3千5百万人に割り振ると、国民の160人に一人が読んだことになるのだそうです。
現代と趣を異にする明治初期にあってこのことはまさに「古来希有」のことで、いかに当時の人達にこの本が共感を持って読まれたかということを示していると言えるでしょう。
※ ※ ※ ※
そしてその内容は、福沢諭吉の思想を端的に言い表すものとなっています。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」で始まる初編では、それまでの封建的な身分制度を真っ向から否定しています。そして、「天から人が生まれるのに身分の貴賤はなく、万物の霊として身と心との働きをもって…互いに人を妨げずに安楽に暮らすという意味なのだ」と続けて、現代の民主主義にも通じるものを感じさせます。
しかしその後に続く文章では、「しかし今この人間の世界を見てみると、賢い人もいれば愚かな人もいる、貧しい人もあれば富める人もいる、貴人もいれば下人もいる、このような有様の違いはどこから来るのだろうか。それはつまり、学ぶと学ばないとの差にあるのだ」
「諺に『天は富貴を人に与えずしてこれをその人の働きに与える』とあるが、まさに人には生まれながらの貴賤貧富の別があるわけではなく、ただ学問を積んで物事を良く知るものは貴人にも豊かにもなり、無学なものは貧しくなるのだ」とも言っています。
話題は一国の独立にも及び、「自由独立のことは、人の一身にあるだけではなく、一国の上にもあるのです。…国の恥辱とあれば、日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由と言うべきでしょう」という下りは、当時まだ外国から良いようにやられ放題の有様を批判してのことでしょう。
一方で福沢諭吉は無知蒙昧な人民に対しても痛烈な批判を浴びせています。「自分が無知であるために貧しく食べるものもなく困窮したときには我が身を振り返ることをせずに、近くにいる金持ちを恨むというのは実に恥ずかしいことだ」
「法律によって自分の身や財産が守られているにもかかわらず、自分の私欲のためにはこれを破るというのは辻褄が合わないだろう」
「あるいは、たまたまそれなりの財産がある者でも、ただ金を貯めることだけは知っていても子孫を教えることを知らない。そんな子孫ならば愚かになるのも当然と言えるだろう。こんな愚かな民を導こうと思えば、道理で諭すことができず、威厳を持って畏れさせなくてはなるまい」
「西洋には『愚民の上に苛(から)き政府あり』というのはこのことで、このことは政府のせいではなくて愚民が自ら招いた災いと言うべきなのだ」
…とまあ、手厳しいこと手厳しいこと。
福沢諭吉自身は明治の初期の頃は新政府への期待も薄く、「自分さえ食えればもうどうでもいいや」という思いに駆られていたのだそうですが、それが新政府によって果断なる改革が次から次へと打ち出され、廃藩置県の行われるに及んでは自分自身の力でこの日本に西洋文明を大いに取り入れ、国民を導いてこの東洋の果てに英国に対抗するくらいの国を作ってみたいものだ、という願いをも持つようになったのだそうです。
彼は実学としての西洋学問に若くして触れる機会があったことから、逆に、語るけれども役に立たない象徴としての儒学者に対しては特に手厳しい批判を与えてもいます。
存在する意義は役に立つのか立たないのだ、という価値観を常に持ち続けたいものです。
明治期で最も有名な書物の一つである「学問のすゝめ」ですが、案外読んでいない人も多いはず。たった17編のエッセイですから、夏休みの宿題代わりにご一読をお勧めします。
明治の若々しい精神がよみがえります。
【学問のすゝめ】
「学問のすゝめ」とは、言わずと知れた近代日本の啓蒙家である福沢諭吉の代表的な著書です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」で始まるこの文書は、合本されて一冊になった「学問のすゝめ」の初編です。「学問のすゝめ」は全部で17編の小論文からなる本で、それらは福沢諭吉が折に触れて書いたエッセイのようなものなのです。
各一編は文字数にして4千~5千文字程度のもので、最初の一編が発売されたのが明治五年二月のことであり、以後断続的に一編が小本として発売され、第17編が発売されたのが明治九年十一月のことだそうです。
この冊子は福沢諭吉が明治という新しい時代の始まりにあたり、それまで長かった封建制度の下で抑圧され続けたことで、国民一人ひとりが自らを律して新しい国の国民として生きて行くその生き方を指し示したものとして、福沢諭吉の数多い著書の中でも一番に数えられることでしょう。
そしてこれがまた売れに売れたのだそうです。第一編が出された時で、本物が20万冊、偽の本も含めると22万冊が売れたのだそうで、当時の人口約3千5百万人に割り振ると、国民の160人に一人が読んだことになるのだそうです。
現代と趣を異にする明治初期にあってこのことはまさに「古来希有」のことで、いかに当時の人達にこの本が共感を持って読まれたかということを示していると言えるでしょう。
※ ※ ※ ※
そしてその内容は、福沢諭吉の思想を端的に言い表すものとなっています。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」で始まる初編では、それまでの封建的な身分制度を真っ向から否定しています。そして、「天から人が生まれるのに身分の貴賤はなく、万物の霊として身と心との働きをもって…互いに人を妨げずに安楽に暮らすという意味なのだ」と続けて、現代の民主主義にも通じるものを感じさせます。
しかしその後に続く文章では、「しかし今この人間の世界を見てみると、賢い人もいれば愚かな人もいる、貧しい人もあれば富める人もいる、貴人もいれば下人もいる、このような有様の違いはどこから来るのだろうか。それはつまり、学ぶと学ばないとの差にあるのだ」
「諺に『天は富貴を人に与えずしてこれをその人の働きに与える』とあるが、まさに人には生まれながらの貴賤貧富の別があるわけではなく、ただ学問を積んで物事を良く知るものは貴人にも豊かにもなり、無学なものは貧しくなるのだ」とも言っています。
話題は一国の独立にも及び、「自由独立のことは、人の一身にあるだけではなく、一国の上にもあるのです。…国の恥辱とあれば、日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由と言うべきでしょう」という下りは、当時まだ外国から良いようにやられ放題の有様を批判してのことでしょう。
一方で福沢諭吉は無知蒙昧な人民に対しても痛烈な批判を浴びせています。「自分が無知であるために貧しく食べるものもなく困窮したときには我が身を振り返ることをせずに、近くにいる金持ちを恨むというのは実に恥ずかしいことだ」
「法律によって自分の身や財産が守られているにもかかわらず、自分の私欲のためにはこれを破るというのは辻褄が合わないだろう」
「あるいは、たまたまそれなりの財産がある者でも、ただ金を貯めることだけは知っていても子孫を教えることを知らない。そんな子孫ならば愚かになるのも当然と言えるだろう。こんな愚かな民を導こうと思えば、道理で諭すことができず、威厳を持って畏れさせなくてはなるまい」
「西洋には『愚民の上に苛(から)き政府あり』というのはこのことで、このことは政府のせいではなくて愚民が自ら招いた災いと言うべきなのだ」
…とまあ、手厳しいこと手厳しいこと。
福沢諭吉自身は明治の初期の頃は新政府への期待も薄く、「自分さえ食えればもうどうでもいいや」という思いに駆られていたのだそうですが、それが新政府によって果断なる改革が次から次へと打ち出され、廃藩置県の行われるに及んでは自分自身の力でこの日本に西洋文明を大いに取り入れ、国民を導いてこの東洋の果てに英国に対抗するくらいの国を作ってみたいものだ、という願いをも持つようになったのだそうです。
彼は実学としての西洋学問に若くして触れる機会があったことから、逆に、語るけれども役に立たない象徴としての儒学者に対しては特に手厳しい批判を与えてもいます。
存在する意義は役に立つのか立たないのだ、という価値観を常に持ち続けたいものです。
明治期で最も有名な書物の一つである「学問のすゝめ」ですが、案外読んでいない人も多いはず。たった17編のエッセイですから、夏休みの宿題代わりにご一読をお勧めします。
明治の若々しい精神がよみがえります。
しかし、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というワンフレーズだけは知っていても、その全体像や背景まではなかなか知らないものですよね。
岩波文庫の「学問のすゝめ」はお値段5百円で、時代背景やこの本の意味などの解説も付いています。当時の文語体が見慣れないかも知れませんが、明治の初期の日本人の感性が感じられますよ。