北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

独立しているということ

2006-07-10 23:58:56 | Weblog
 二週にわたって大きめの仕事を終えて、いささかほっとしているところです。
 鋭気を養ったら、今まで後ろに回していた仕事をたたき起こしたいものです。

【独立した自分】
 週末の雪氷輸送の報道対応の余波はまだあって、今回取材出来なかった新聞社などから追加の取材申し込みがあって、担当者はまだ電話に追われ続けています。

 なかには一時間以上も電話で微に入り細に入り説明を求めてくるところもあって、電話での答えをそのまま記事の文章にして書いているのではないかと思われるようなところもあったりします。

 こちらもできるだけ丁寧に対応しようとは思っているのですが、その間にも別なところから確認の電話が来たりして、あたふたしています。

 もう少し資料を読んで理解してくれると話も早いのですが。しかし多くの市民の理解度もその程度なのだろうと考えて、それを代弁してくれるマスコミは大事にしないといけません。

 もう少しの事と辛抱して対応をいたしましょう。

    *   *   *   * 
 
 今回の北朝鮮の弾道ミサイル発射によって、国の安全や防衛という事が再びクローズアップされています。

 一部のマスコミはやはり無責任なもので、ヒステリックに「今まで何をしてきたのか」といった論調を展開したり、国民のナショナリズムの感情に火をつけるかのような表現をしています。

 政府という国民からの信頼を付託されている立場からは、やはり無責任な事は言えないので対応については国連での議論喚起を中心に、あくまでも慎重に一歩一歩ことを進めようとしています。

 軽挙妄動して憎しみという感情論で関係性を語るべきではないので、あくまでも理性的な対応に終始するのが大人の国家であり大人の国民というものでしょう。

 それでも「何をしてきたのか」という言い方に対しては、「専門家は人知れないところで考えを巡らせているもので、普段興味をもたずにいたのはどちらなのか」と言いたくなります。

 物理学者の寺田寅彦氏は「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったことになっています。実際は、著書のどこを見ても直接的にそのような表現はしていないのですが、趣旨はまさにそのとおり。

 今目の前にあることだけを考えるのではなく、いつかくる天災や不測に事態に対して普段から心を巡らし、これに備える事を勧めています。

 平和と安寧の中にいて、多くの人たちが、誰がどのようにしてそれらを守り構築しているのかに関心が及ばないのは、情報の発信側と受信側のどちらが悪いのでしょうか。

 人はしばしば自分の不利の原因を自分自身ではなく、注意をしてくれなかった自分以外に向けて不満を発する事がありますが、自分の身は自分で守るという最低限の自分の尊厳と独立を守りたいものです。

 それが独立した市民ということなのですが、独立するという本当の意味を身につけていない人が多いのも事実です。

 独立の意味をもう一度考えてみたいものです。
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