八十代も半ばの両親から、地元での最近の老人会事情について教えてもらう機会がありました。
両親曰く、一番困っていることは「人がいないんだよね」とのこと。団塊世代が高齢者の枠組みに入っていくことで老人としてのカウント数は増えているはずなのですが、「新しい人が老人会には入ってこないのさ」
「まあ僕も今の気持ちのまま65歳になったところで『まだ老人じゃない。老人扱いするな』、って言いたくなるだろうね」と言うと、「それもあるかもしれないけれど、じゃあいつ入るのさ。そういう人たちはもう入ってこないよ、きっと」と思っているのだと。
しかも折角会員になってくれていても、会長とか事務局長などのいわゆる「役」をやろうという意欲のある人はいないのだそう。
「だからうちのお父さんなんかも四つの団体の会計をやってるんだよ。まあ本人も好きでやっているんだろうけど」
すると父が「どこに(意訳:そうじゃないだろう)!代わりがいたらいつでも譲るけどいないんだもの」と不満そう。
現役の各種の会合でも、いまや会長をやろうという人や事務局長の人材が不足していますが、それがそのまま高齢者の世界でも同じ現象になっています。
現役時代だったら、大体どこかの組織に属していて何らかの役をやりながら歳をとっていくわけで、そういう訓練は受けているはずの人たちが、高齢者の団体には入りたくないというのでは統率が取れなくなってゆくことが心配です。
そもそも現役時代に頂点を極めたところで、高齢者の会ではまた新人から始めて階段を一段ずつ昇っていくわけで、まどろっこしいということもあるでしょう。
高齢者が増えていく中で、その会の運営がうまくいかなくなるというのは、地域社会の紐帯がいよいよ薄れていくのかもしれません。
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私が属しているある会でも、事務局長は68歳。次を託せるなり手が見当たらなくて苦労しています。
「小松さん、あとはあなたに頼みたいんだけどね」
「いえいえ、私はまだ半分現役ですからねえ」
「わかった、あと二年は待つけど、俺も70歳になったら降ろさせてもらいたいよ」
そんな事務局長ですが、「事務局長として苦労していることは何ですか?」と訊いてみたところ、「まあ年寄りはわがままだよね(笑)」という答えが返ってきました。
歳をとると誰しも、特に男は頑固になっていきますが、それが一番の苦労の種なんだと。
「子供みたいな妬みや恨みの感情もあるし、ひと言謝ればいいのにそれができないとかね。まあ何を提案しても批判がましいのもいるしね。なんで俺もこんな役についちゃったかねえ(苦笑)」
歳を取って好々爺になる人なんて限られているのかもしれません。ちょっとした人格の至らなさや歪みは年年歳歳強くなるばかり。
せいぜい今は"これが己の行く道ぞ"と思って、反面教師にしなくては、と思っています。
未来を明るくするか暗くするかは自分次第ですね。